• まず、例の張り紙を見せてもらった。「14日以内に出て行くこと」という退去命令が書かれた張り紙だ。ラペッイエサインの裏の家の壁に貼られていた。たしかに、1月31日に出されたもので、2月14日までに出て行くように書かれていた。張り紙は本当だった。でも、今日は2月25日だ。期限から10日以上経っている。郡役場からは何も言ってこないという。

     それからいろいろと話を聞くうちに、1995~1996年にかけて強制移住があったという話が出てきた。ティラワの大規模開発は今回が初めてではなかったのだ。95~96年にも今回と同じようなティラワ経済特区のプロジェクトがあり、多くの村人が強制移住対象だった。移転先に移った村人も多かったが、彼らはここに残った。開発計画が進んでいたら残ることはできなかったが、計画が消滅したため彼らは残ることができたのだ。

     ここで腑に落ちなかったのが、なぜ危険を犯してまでここに残ったかだ。当時、村人全員に別の場所に土地も用意されていたらしい。でも、彼らは移らなかった。話を聞いていくうちに、自分たちは貧乏だからとか、銀行に借金があるという話が出てきた。その借金を返すために1万チャットで売ったという話も出てきた。1万チャットというと、当時の円換算で1万円の価値がある。95年当時田舎で1万円というのはかなりの価値がある。何を売ったのかと聞くと、移転権利書だという。

    *後でミャンマー人に聞くと、移転権利書を売るというのは聞いたことがないという。この部分は私の聞き間違いの可能性もある。

     そこで、「ガヤン」があるか聞いた。ガヤンは土地の登記簿のようなもので、土地の持ち主ならガヤンかそれに準じる書類を持っている。しかし、ガヤンはないようだ。ガヤンだけじゃなく、「マッポンティン」もない人がいた。マッポンティンは身分証明書で、18才以上の全国民が持つことになっている。さらにマッポンティンだけではなく、日本の戸籍謄本や住民票に類するエインタウンスザインもない家族もあった。

     「お金がないから作らなかった」というのが理由だ。ミャンマー人に聞くと、田舎ではこういう人たちがけっこういるという。たしかに、村で生まれて村で結婚して村で死んでいくのなら必要のないかもしれない。そんな生活をしていた人たちが95年と今回、強制移住対象になってしまった。

     彼らにも言い分があった。「自分たちの先祖は100年以上前からこの場所に住んでいる。それなのに、なんで追い出されるんだ」

     この問題どう解決するんだろう。法的には彼らは不利だ。ただ、こうした人たちがこの村だけでなく他の村にもいる。メコン・ウォッチによると全部で500世帯以上だそうだ。

     2ヶ月ほど前にヤンゴン郊外のある場所に行ったことを思い出した。直径1m以上はある上水道のパイプの両側に粗末な家が並んでいた。これらの家はほとんど不法占拠で勝手に建てた家だという。80年代から勝手に住みついたらしい。法的には追い出されてもしょうがないが、「92〜93年以前から住んでいる人たちには住む権利を与える」という徳政令が最近出たという。

     ティラワに住む彼らにも徳政令を出すのだろうか。

    注)私が話を聞いたのは、ティラワで強制移住対象になっているひとつの村の一部の人たちです。村によって、また人によって状況はいろいろ違うかと思います。また、写真も撮りましたが、今回は写真を出すのを控えます。

    Posted by 後藤 修身 @ 03:29

  • コメントを残す

    メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

過去記事

サイト内検索

 
WP_Modern_Notepad