ヤンゴン家計簿3月22日 | 菩提樹の下で

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菩提樹の下でミャンマーカレーをごちそうになった。

3月22日の家計簿(為替レート 1円=9.448チャット)

  1. タクシー 2,000Ks
  2. コカコーラ 425ml x3 900Ks

合計 2,900Ks(307円)

 午後2時、土曜日は日本語教室の生徒たちが来る時間だ。今日は生徒の一人のお父さんがお腹が痛くて病院に一緒に行ったということで生徒は2人だった。生徒たちとの会話で、この「お腹が痛い」がちょっとした話題になった。

 「日本語で バイ アウンデ はどう言うんですか?」

 お腹が痛いという意味の バイ ナーデ は知っていたが、同じ意味でバイ アウンデ という言葉があるとは知らなかった。でも、全く同じではない。よくよく聞くと、 バイ アウンデ は病気で痛いとき、バイ ナーデ は唐辛子を食べすぎて痛いときに使う言葉というのだ。唐辛子による腹痛が別の言葉になっているとは、さすがミャンマーだ。といっても、料理の辛さはタイあたりに比べるとまだ大人しいほうだ。

 授業の後、ご近所のHさんとダウンタウンに向かった。HさんがiPadを買いたいというので、一緒に見に行ったのだ。iPadの用が終わった後ダウンタウンを歩いると、路上に座っている数十人の人たちに出会った。みな同じバックを持っている。

ダウンタウンに集まった人たち
同じバックを持ち、ダウンタウンに集まった人たち。

 彼らは明日(3月23日)から2ヶ月かけてカチン州のミッソンまで歩いて行くという。カチン州の州都ミッチーナの近くのミッソンは、メカ(メ川)とマリカ(マリ川)の合流地点で、ここからエヤワディ河が始まる。そこまでただ歩くだけではなく、目的があった。ミッソン・ダム及び周辺のダム計画の完全中止を求めての行動だ。イラワジ河の始まりであるミッソン、このミッソンを含む数カ所でダムの建設プロジェクトがあった。

ミッソン
1999年に撮影したミッソン。右奥がメカ(メ川)、左奥がマリカ(マリ川)。

 これを進めていたのが中国の国有企業である中国電力投資集団で、発電した電力の90%中国へ送電するという計画だ。軍事政権時代に調印されたダム計画だったが、国内では反対の声が強かった。ダムによって周辺の村が水没し、生態系も破壊されするのに加え、エヤワディ河の源が沈んでしまうからだ。そうした中、2011年9月テインセイン大統領が中国側の反対を押し切ってミッソンダムの中断を発表した。このときは、私も驚いた。ミャンマーの民主化が本物かもしれないと思ったきっかけだった。

ただ、ダム計画は中断であって中止ではない。テインセイン大統領の現任期が切れる2015年以降、計画が復活するかもしれない。それに、ミッソン以外の一部地域ではまだ建設が続いているという。「中断」ではなく、完全中止を求めての行動がこのミッソンへの行進だ。呼びかけ人は元政治犯たちの団体で、それに賛同した人たちがここに集まった。スタート地点のシュエダゴン・パゴダからミッソンまで Google Map で検索すると徒歩で 1,245km ある。東京から長崎までの距離とほぼ同じだ。

ダム反対のスローガン
ミッソン・ダム永久中止を訴えている。

 

U Ba 氏と仲間たち
話を聞いた U Ba 氏(左端)とその仲間たち。

説明してくれた U Ba も元政治犯で刑務所に長く入っていた。あたりはもう暗くなってきていた。夕食がまだだったら、ぜひ食べていってもらいたいと言われ、行ったのが路上飯屋。小さなプラスチックのテーブルにミャンマーカレーとごはんとスープが出てきた。おいしくいただいた。すぐ側には菩提樹が立っていた。

露店でのカレー
暗くて何の料理かわからないほど。

 「菩提樹を見たら、ここで食事をしたことを思い出してほしい」

 彼は手を振りながら仲間のところに戻っていった。

菩提樹の下で
菩提樹の下で U Ba が手を振る。