• ジョービンガウッ(Gyobingauk)からバイクでバゴーヨーマ(バゴー山地)へ入っていった。

     3月30日の家計簿(為替レート 1円=9.387チャット)

    1. バゴー山地ツアー代 90,000Ks *ジョービンガウッ, バゴー山地での全ての費用
    2. 長距離バス(ジョービンガウッ → ヤンゴン) 4,000Ks
    3. お土産 4つ(マラインゲという牛乳から作ったピィー名物のお菓子) 4,000Ks
    4. タクシー (バスターミナルから帰宅) 2,000Ks

     合計 100,000Ks(10,653円)

    今回バゴー山地へ向かったのは、福島さんが以前訪れたときに日本兵の遺骨が残っているという話を聞いたからだ。そこで、今回はその現場へ行ってみようということになった。

    朝8時過ぎにジョービンガウッを出発してバゴー山地へ向かった。福島さん夫妻、ガイドのPさん、私の4名がそれぞれバイクの後ろにまたがった。バイクは全て中国製、50万~60万チャットするという。タイから輸入したホンダのバイクは150万チャットだから、約1/3だ。みんなホンダのバイクを買いたいというが、3倍の価格差は大きい。結局、ここで走っているバイクはほとんど中国製だ。ただし、山道を走るバイクの場合はタイヤやホイールはタイ製のパーツと交換する場合が多いという。

    中国製バイク

    地方では中国製バイクが大流行。

     1時間ほど平地を走って行く。周りは刈り取られた後の乾いた水田が続く。茶色だらけの風景に時々オアシスのように緑の木々が見えてくる。そこは村だ。村をいくつか過ぎると道はだんだんと上りになってきた。それとともに、赤土だった道がパウダーのように細かな土に変わってきた。

    バゴー山地へ向かう

    平地では赤土の道がずっと続く。

     運転するのも大変だ。パウダー状の道は轍が深く、バイクが走れるのは道の細い中央部だけ。轍に落ちると、パウダーにハンドルが取られてちゃんと走れない。私が乗ったバイクのドライバーは上手だったので1回しか転ばなかったが、何度も転倒しているバイクもあった。転び方が下手だとかなりの怪我をしてしまう。1台のバイクは我々が休憩中に一人で運転していてパンクしてしまった。その時に転んでしまい膝を怪我してしまった。バイクもホイールがだめになってしまい現地で修理することになった。バイクが1台足りなくなったが、それも現地調達した。

    バゴー山地を走る

    途中、ちょっとトラックの荷台に乗った。バイクだと頭の先から足の先まで土埃。

     途中休み休み走ってバイクが行ける最後の場所に到着した。時間は1時半、ここからは徒歩20分ほどで目的地だ。一番暑い時間だが、しょうがない。カレン族のドライバーを先頭に歩き始めた。彼は近くの村に住む40才のイケメンで、このあたりの地理には詳しい。

    バゴー山地のゾウ

    途中、ゾウとも出会った。

     途中、ゾウにも出会いながら現地に着いた。そこは何の変哲もない斜面。このあたりで日本兵二人が死亡したという。ただ、この「あたり」ということで、はっきりとした場所は分からない。遺骨や遺品についても詳しく探せば出てくるのではということだが、詳しく探すには何日もかかってしまう。遺骨や遺品についてはあきらめた。

    日本兵はバゴー山地のこのあたりで亡くなった

    日本兵2名がこのあたりで亡くなったという。

     カラカラに干からびた斜面に持ってきたミャンマー製の線香をさした。そこにジュースを供え、ミネラルウォーターの水を乾いた斜面にかけた。そして、線香に火をつけて祈った。気温44度だった。

    バゴー山地で命を落とした日本兵と地元ミャンマー人のために祈った

    ここで亡くなった日本兵と地元ミャンマー人のために祈った。

     案内してくれたカレン族のドライバーに話を聞いた。日本兵二人は、将校と付き添いの兵士だった。対日蜂起したビルマ軍との戦いで二人は負傷してここまで逃げてきた。輜重が任務だったのか、運搬の手伝いとして地元のミャンマー人6人を引き連れての敗走だった。そして運搬任務も終わることとなった。6人は一箇所に集められた。そして彼らが受けたのは謝礼ではなく銃弾だった。その後、日本兵二人はこの斜面に死亡した。

     銃弾を受けた6名のミャンマー人のうち一人だけ助かった。だからこんなに詳しく当時の状況が分かっているのだ。敗走時に道案内や運搬を手助けしてくれたミャンマー人を最後に殺したという話は他にもある。以前読んだ じっこくおさむ氏の「ミャンマー物語」という本の中でも、道案内をしてくれたミャンマー人を殺すように上官から命令された作者の話が載っていた。この本では、作者は殺すことができずにこっそりと逃したと書いている。上官もそのことを知っていたが、見てみぬふりをしていたらしい。

     手助けしてくれた地元のミャンマー人をなぜ殺したか。それは情報が漏れるのを恐れたからだ。すぐ背後まで迫っていた英国軍、敵に自分たちの行方が漏れないように殺したのだ。ミャンマー人がかくまってくれたために命が助かった日本兵という話はたくさん聞く。でも、こうして殺されたミャンマー人がいたのも事実だ。

     夜8時頃、すっかり暗くなってジョービンガウッに無事戻った。ヤンゴン行きのバスは一晩中あるという。夜9時半のバスでヤンゴンに向かった。

     バスの一番後ろの座席が空いていた。道路の悪いミャンマーでは後ろの席は振動が多くていやがる人も多いが、ちょうど2座席空いていたのでそこで横になってヤンゴンまでぐっすり寝た。1時半頃、ヤンゴンに到着した。そして、タクシーで U Wisara の団地に着き料金を払おうとした。

    財布がないーーーー!!!

    何とズボンのポケットにも荷物の中にもどこにも財布が見つからない。とりあえず、家の中からお金をもってきてタクシー代を払った。部屋の中で荷物を全開。でも、どこにもない。バスは途中のドライブインで休憩した。そのときにお土産を4,000Ks買った。これが財布を確認した最後だ。ヤンゴンに到着してバスから降りるとき、財布がポケットになかったのが分かったので、リュックに入っているんだろうと思った。となると、なくしたのはドライブインからヤンゴン到着の間だ。となると、バスの中で寝ているうちに財布を落としてしまったか、隣りにいた人にスられたかどちらかしか可能性はなかった。

    深夜2時過ぎだったが、 ネットでバス会社の電話番号を調べて電話してみた。バスのナンバーは? バスの色は? と聞かれたがナンバーはわからないし、色もはっきりとは覚えていない。もう深夜だし、これ以上できることはない。寝ることにした。ちなみに、財布の中にはミャンマー・チャットが5万ちょっと、ドルが110ドルばかり、ミャンマーのカンボーザ銀行のカードとVISAカードが1枚ずつ入っていた。

    ミャンマーでは落し物をしても必ず出てくる。これは私の個人的神話だ。今回もきっと出てくるに違いないと、妙な確信を持って横になった。疲れていたせいか、確信のせいか、あっという間に寝てしまった。

    Posted by 後藤 修身 @ 20:31

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