• 乾季で穏やかに流れているチンドウィン川をボートはほんの数分で渡った。

    ボートはほんの数分でシンデイに着いた

    ボートはほんの数分でシンデイに着いた

    川岸を上がるとすぐに町の中心だ。広場に大型トラックが2~3台集止まっていたので、ラヘーまで乗れるかどうかガイドのウェミンさんが交渉を始めた。2台目のトラックでOK。荷台に乗ると一人20,000チャットで助手席&シート席だと25,000チャットだ。かなり高いが、外国人料金で決まっているようだ。我々はロートル組なので無理をセず前のシート席に座ることにした。9時半の出発まで2時間ほど時間があったので、シンディの町を散策することにした。

    ラヘーに向かうトラック。荷台ではなく運転席のほうでと一人10,000チャット。

    ラヘーに向かうトラック。荷台ではなく運転席のほうでと一人25,000チャット。

    シンディのメインストリート

    シンディのメインストリート

    シンディはカムティーよりもずっと小さな町だった。町のメインストリートもほんの3~4分で終わる。そのメインストリートの終わりに三叉路があり、真ん中に柵で囲まれた町の名前が描かれた碑があった。シンデ・サンピャー・チェーユワと書かれていた。サンピャー・チェーユワ は「モデル村」という意味になる。何のモデルなのか、現地で聞き忘れてしまった。

    三叉路にシンデ モデル村と書かれた碑があった。

    三叉路にシンデ モデル村と書かれた碑があった。

    シンデは、「象が死ぬ」という意味だ。何でこんな縁起の悪い名前を付けたんだ? 伝説でもあるんだろかと、この時は思った。それに、地元の人の発音はシンデではなく、シンディに聞こえる。まあ、細かいことはいいや、ビルマ語によくある文字と発音が違うパターンなんだろうと思った。

    その三叉路を左に曲がってすぐの家に目が止まった。家の縁側のようなところに少年が変な格好をしている。板に両足を通しているのだ。おお、江戸時代にあったような足枷じゃないか! どうも少年が何か悪さをしでかして、その罰として足枷をさせられてしまったようだ。これはナガ族に残っている風習なんだろうか。これも聞き忘れてしまった。この足枷写真はあるが、少年がかわいそうなので公開は控える。代わりに、ナガ族の若いお母さんと少女の写真をどうぞ。

    ナガ族の若いお母さん

    ナガ族の若いお母さんと子どもたち

    こちらは、ナガ族の姉と妹

    こちらは、ナガ族の姉と妹

    シンディでは外国人はまだ珍しいようで、町、いや村を歩いていると子どもたちが近づいてくる。子どもたちと遊んでいると、一人の老婆がどこからか現れた。

    「珍しいものがあるからちょっと来なさい」

    70才以上だと思える腰の曲がったおばあちゃんだったが、言葉も物腰も強引だった。外国人相手のあやしい土産物売りに捕まったようだ。けど、外国人相手にしてはおばあちゃん英語を話さなかったぞ。まあいい、面白そうなのでちょっと寄ってみることにした。

    捕まった場所からほんの30秒ほどでおばあちゃんの店に着いた。店といってもガランとしていてなにもない。壁にはミャンマーや中国のポスターが貼られていた。棚には薄汚れた人形やらプラスチック製のおもちゃやらライターやら薬のケースやらとても売り物には見えない。見る人が見たら価値のあるものなんだろうか。

    ガラクタに見えるけど骨董品?

    ガラクタに見えるけど骨董品?

    おばあちゃんは一人で奥のほうへ入っていった。そして持ってきたのは木彫の人形。よく見るナガ族のもののようだが、ボロボロで今にも崩れそうだ。あまり興味なさそうな顔をしているので、おばあちゃんは今度はナガの帽子を持ってきた。これもボロボロであまりいい物には見えない。最後に、いつの間にか40代だと思える息子も現れた。「息子が病気で・・・」と、おばあちゃん。結局、顔の形の小さな金属ブローチを渡辺さんが買っただけだった。

    ボロボロになったナガ族の木彫の人形

    ボロボロになったナガ族の木彫の人形

    興味深かったのはナガの骨董品ではなく、おばあちゃん自身だ。なぜ中国人のおばあちゃんがこんなところに住んでいるだ? 店の入り口には、「和合喜神」と描かれた札が貼られていた。これは雲南省あたりの家でよく貼られている札と同じものらしい。今、ネットで調べたばかりだ。

    店先に貼られた「和合喜神」の札

    店先に貼られた「和合喜神」の札

    出発の時間がせまってきた。トラックの乗り場へ戻ることにした。9時半、我々は日産ディーゼルのトラックに乗りラヘーへ向かった。

    ラヘー行きのトラックに乗り込んだ

    ラヘー行きのトラックに乗り込んだ

  • 11:23、飛行機はカムティ空港に到着。マンダレーからの飛行時間は1時間10分、私の睡眠時間は50分、充分寝られた。

    カムティー空港に到着

    カムティー空港に到着

    カムティーはミャンマー北西部、チンドウィン川の東側に面した町だ。チンドウィン川を渡るとすぐにナガ族が住むナガ丘陵が始まる。ナガへの入り口の町だ。


    より大きな地図で カムティー を表示

    カムティーは英字表記だと Khamti または Hkamti と書く。でも、ビルマ文字(ミャンマー文字)をそのまま発音すると カンティーになってしまう。なぜ表記が違うのかというと、カムティというのはシャン語の言葉で、シャン語の発音をビルマ文字では正しく表現できないからだ。ビルマ文字には「kham」の最後の m を表す文字がない。だから、シャン族以外のミャンマー人はみんな「カンティー」と発音している。

    英字だとKhamtiだが、ビルマ語(ミャンマー語)だとカンティーの発音になる。

    カムティー空港。英字だとちゃんとKhamtiの表記。

    このカムティー、シャン語では「カム」が「黄金」で「ティー」が「場所」の意味だ。カムティーは「黄金の地」という意味になる。ここには今でもシャン族の人たちが多い。ミャンマーでは「カムティー・シャン」と呼ばれている民族で、その昔、シャン・雲南地域から来たシャン人たちだ。カムティー・シャンはここカムティーやチンドウィン川流域だけじゃなく、インドのアッサム地域にもいる。12世紀から18世紀にかけてアッサムにあったアホム王国はシャン族の国だった。このカムティーシャンの歴史もいろいろと面白そうだ。

    前振りが長くなった。私にとっては12年ぶりのカムティー空港、相変わらずひなびていていい雰囲気だ。空港からか町まではトウンベイン・サイケーと呼ばれる、バイクとリヤカーを合体した車に乗った。丘の上にある空港からトウンペイン・サイケーは軽快に町へ向かっていった。4月の一番暑い時期であるが、ヤンゴンよりは気持ちのよい暑さだ。

    トウンベイン・サイケーに乗り込んだ。

    トウンベイン・サイケーに乗り込んだ。

    トウンベイン・サイケーの荷台。風が気持ちいい。

    トウンベイン・サイケーの荷台。風が気持ちいい。

    15分ほどでトゥンヤダナーというゲストハウスに到着した。外国人は1泊40ドル。昔ならせいぜい10ドルくらいのゲストハウスだが、ホテル料金の高騰はこんな田舎町までやってきていた。電気は夕方から夜10時頃まで来る。携帯はCDMAはいつでも通じるが、GSMは夜中と早朝だけ可能だという。

    カムティーのゲストハウス。これで外国人は1泊40ドル。高い!

    カムティーのゲストハウス。外国人は1泊40ドル。

    ゲストハウスは町のメインストリートに面していた。すぐ近くの竹細工店で竹編み帽子と竹カゴを購入。その斜め向かいはカムティーで一番大きな市場もある。そのまま真っ直ぐ進むと、チンドウィン川に出た。今は渇水期なのでかなり水位が下がっている。川沿いを進み、教えられたラペッイエサイン(喫茶店)に着いた。

    カムティーのメインストリート

    カムティーのメインストリート。暑季の真っ昼間なので、人通りも少ない。

    ヤンゴンではこうした竹細工の店が最近は絶滅に瀕している。

    ヤンゴンではこうした竹細工の店が最近は絶滅に瀕している。

    真ん中になるのが私が買った帽子。2,000Ks

    真ん中になるのが私が買った帽子。2,000Ks

    市場で働く女性。たぶん、カンティーシャン族。

    市場で働く女性。たぶん、カンティーシャン族。

    趣きのある校舎。4月なので学校は休み。

    趣きのある校舎。4月なので学校は休み。

    渇水期のチンドウィン川

    渇水期のチンドウィン川

    カムティーで人気のラペッイエサイン(喫茶店)

    カムティーで人気のラペッイエサイン(喫茶店)

     この町で最も人気のある(と思う)この店のお勧めはグレープフルーツジュース。グレープフルーツをまるごと搾ったここのジュースはうまい。ミャンマーでは最北部の町、プタオがグレープフルーツで有名だが、ここカムティーでもけっこう売られていた。この近くでも栽培しているだろう。 

    グレープフルーツジュースの写真は後で。 これは、携帯充電サービス

    グレープフルーツジュースの写真は後で。これは、携帯充電サービス

    夜はゲストハウスのすぐ横にある中華料理屋に入った。愛想の悪い太ったおばちゃん二人でやっているこの店、最初はこの店に来たのは失敗だったかと思ってしまった。でも、出てきた料理はどれもうまかった。「うまいね!」とおばちゃんに伝えると、ちょっと恥ずかしそうな笑顔。本当に嬉しそうだった。

    食事中に停電。料理はどれもうまい!

    食事中に停電。料理はどれもうまい!

    翌日、朝早くトウンベイン・サイケーに乗り、チンドウィン川の渡し船の出ているところまで向かった。対岸の町、シンディーからラヘー行きのトラックが出ているからだ。何もないように見える河原だったが、ここが渡し船の発着場。小さなボートに乗り、シンディーへと向かった。 

    渇水期なので、河原が広い。対岸がシンディー。

    渇水期なので、河原が広い。向こう岸がシンディー。

    小さなエンジンボートでシンディーへ向かう。

    小さなエンジンボートでシンディーへ向かう。

  • お待ちかね(待っていた人はいないかもしれないが)の『ナガの旅【ラヘー編】』を始めます。ナガから帰ってきてもう2ヶ月くらい経つので、ちょっと記憶が怪しくなってきた。今のうちに書いとかなければ。といっても、長い文章は途中で挫折する可能性が高いので、文章は簡単にその代わり写真はたくさんにするつもりだ。
     
    4月5日の夕方、ヤンゴンの長距離バスターミナル「アウンミンガラ」に着いた。ここがナガの旅への出発点。同行者はヤンゴン在住の清岡さんと渡辺さんだ。ナガに行くにはいくつかのルートがあるが、今回はヤンゴンからマンダレーは夜行バス。マンダレーから飛行機でチンドウィン川沿いの町カムティーへ飛び、カムティーからナガの大きな村ラヘーまでトラック。ラヘーからはバイクで村めぐりというルートだ。
     
    今日は初日のヤンゴンからカムティーまでの写真を紹介。
     
    まずは、アウンミンガラ長距離バスターミナル。夕方だが、4月なのでうだるような暑さ。我々が乗るバスは、NEW YORKERと書かれた派手なペイントでバス。
     
    アウンミンガラ長距離バスターミナル
     
    バスの中に入った。けっこう新し目のバス。どうも中国製バスのようだ。ミャンマーで一番多いバスは日本の中古バス。次は韓国のバスだ。ミャンマーで中国製バスに乗るのは初めての経験。ぱっと見はちゃんとしているが、シートのすわり心地やバスの振動などいまいちだ。エアコンはちゃんと効いていた。
     
     マンダレー行き中国製バス
     
    バスは18時頃に出発。ヤンゴン郊外を出るとすぐに有名なネピドーハイウェイに入るかと思ったら、なぜかバゴーまで一般道を走り、時々、乗客を乗せる。安いバス(マンダレーまで13,000チャット)にしたからだろうか?と思っていたらバゴーを過ぎてハイウェーに入った。
     
    ハイウェーといっても路肩を牛や人が歩いているので、ちょっと広い一般の道路。ずっと直線が続く。このヤンゴン・ネピドーハイウェイは交通事故が頻繁に起こる道路でもある。毎月のように死亡事故が新聞に出ている。標識がよくない、アスファルトではなくセメントなのでタイヤがバーストする、牛が急に出てくるなどいろいろと原因があるようだ。
     
    うとうとしていると、急に明るくて広い場所に着いた。時間を見ると22時前。夜食タイムのようだ。ここはどこ?と、寝ぼけ眼の私はキョロキョロしてしまった。
     
    ここは「115マイル」と呼ばれているサービスエリアだったのだ。それにしても、広いしきれいな建物がずらーーと並んでいる。そこに何十台ものバスが停車している。ここがミャンマーなんて信じられない。ちょっと前のマンダレー行きのバスが夕食をとっていた場所なんて、「ALWAYS 三丁目の夕日」の世界だったのに。これじゃ、日本のサービスエリアよりも立派だと、感激してしまった。
     
    とりあえず、バスが止まった前にあるしゃれたレストランに入りシャンカウスエ(シャンヌードル)を食べた。
     
     115マイル サービスエリアのレストラン
     
    115マイルにいるとどこにいるか分からなくなるが、やはりミャンマー、僧侶がいた。午後は食事禁止の僧侶、みんなの食事風景を眺めているだけだ。
     
     115マイル サービスエリア。僧侶は午後は食事禁止。
     
    40分ほど115マイルに滞在し、バスは出発。どこでも寝ることができる私はすぐに寝てしまった。物音に気がつくと、もうマンダレーに着いた。時間は3時過ぎ。マンダレー在住のガイドは5時頃にバスターミナルに来ると言っていたので、ここでしばらく時間をつぶすことになった。
     
    マンダレーのバスターミナルはいつもの薄汚れたミャンマースタイル。安心した私たちは、薄汚れたラペッイエサイン(喫茶店)でボーと時間を過ごした。というわけにはいかなかった。友人に頼まれていたレストラン用の日本語ロゴ作成が終わってなかったのだ。ノートパソコンで私一人苦闘していた。
     
    朝5時になり、ガイドのウェミンさんが到着。マンダレー在住の彼は辺境地が得意分野で、チン州で植物調査のガイドをしたり、東南アジア最高峰のカカポラジのベースキャンプにも行ったことのある人だ。ナガは初めてらしく、彼もナガに行けるのが嬉しいようだ。
     
    ミャンマーでは外国人が立ち入るのに許可が必要な地域がまだたくさんある。特に辺境地は多い。入域許可はミャンマーの旅行会社を通じて申請する。許可の条件としてはライセンスガイドを連れていかなければいけない。ということで、辺境地に行くにはけっこう金がかかる。
     
    早朝のマンダレー、車はすぐに空港に着いた。マンダレー空港は私は12年ぶりだ。イタリアの会社の設計による近代的なマンダレー空港、以前は客が少なくて空港ビルのほとんどの部分は使われてなかったが、今はやっと日の目を見ることができるようになった。
     
    マンダレー空港 
     
    出発ゲートの待合室でカムティー行きの飛行機をしばし待っていると、小さな少年が待合室を走り回っていた。声をかけると、愛嬌たっぷりにカメラを覗きこんだ。
     
     マンダレー空港にいた愛嬌いっぱいの少年
     
    カムティー行き飛行機は毎週日曜日のみだ。これが欠航になると1週間待たなければいけない。カムティーには船でも行ける。モンユワからボートでチンドウィン川を遡る。モンユワからカムティーまで2泊3日ほど。夜の運行は危険なので、船着場で停泊することになる。こうした理由もありボートでは時間がかかる。
     
    飛行機がやってきた。Sun Far Travel と Myanma Airwaysとの共同運航便だ。Sun Far Travel は昔はエアチケット販売会社だったが、今では共同運航便を飛ばすような会社になっていた。
     
     カムティー行き飛行機がマンダレー空港に到着
     
     10時10分に飛行機は離陸。昼食にパンが出てきて、おいしくいただいた。「ミャンマーの昔と今とで何が変わった?」という質問をよく受けるのだが、「パンとケーキがうまくなった」と最近は答えている。今のパンやケーキがそれほどおいしいということではないのだが、普通に食べられるようになった。それほど昔のミャンマーのパンはまずかった。
     
    カムティー行き飛行機の機内食
     
    私はパンを食べた後、どこでも寝ることができる私はすぐにまたウトウトした。しばらくして目が覚めると、眼下にチンドウィン川が近づいてきていた。もうすぐカムティーに到着するのか、飛行機はどんどん高度を下げていった。
     
    チンドウィン川
  • ナガは私にとって4回目、懐かしい場所に戻ってきたという気分だ。今回は、ラヘーとその周辺への村めぐりをしてきた。前回のレイシからの村めぐりでは全て徒歩だったが、今回はバイクの後ろに乗っての村めぐり。8年間の間にナガも変わってきていた。

    これまで私がナガに行ったときの写真はこちらのサイトにまとめている。祭りのときのナガの人たちの姿はとても東南アジアとは思えない格好だ。

    http://photo.campur.com/photo/myanmar.html

    ナガはインド側とミャンマー側に分かれていて、インド側は分離独立運動が盛んなナガランド州として有名だ。ミャンマー側のナガは南部、中央部、北部に大きく分けられ、それぞれ中心になる町(村?)は南部のレイシ(Layshi)、中央部のラヘー(Lahe)、北部のナンユン(Nanyun)となっている。レイシには2006年に行ってきたので今回は中央部のラヘーに行くことにした。

    ラヘー行きにはヤンゴン在住の清岡さんとミャンマーと日本を行ったり来たりの渡辺さんが加わり、全部で3人になった。それにガイドも含めて4名のメンバーだ。

    ナガに行くには入域許可が必要だ。入域許可はミャンマーの旅行会社に依頼する必要がある。それと、ガイドを付けるのが条件となる。以前は新年祭以外でナガに入るのは難しかったが、最近は比較的簡単に入域許可が取れるようになった。それでも費用はそれなりにかかるので、新年祭以外でナガに行く外国人は少ない。今回はラヘー中心に村めぐりをしたが、ラヘーから奥の村に日本人が入るのは何と戦後初めてのことだった。

    今回のナガの旅の日程だ。

    4/5 ヤンゴン → マンダレー (夜行バス)
    4/6 マンダレー → カムティー (飛行機)
    4/7 カムティー → シンディー (ボート)
    シンディー → ラヘー (トラック)
    4/8 ラヘー → マッチャン村 → サントン村 → ラヘー (バイク)
    4/9 ラヘー → ポンニョン村 (バイク)
    4/10 ポンニョン → ソロ村 (バイク)
    4/11 ソロ村 → ラヘー (バイク)
    ラヘー → シンディー (トラック)
    シンディー → カムティー (ボート)
    4/13 カムティー → マンダレー → ヤンゴン (飛行機)

    今日はまず、カムティーやラヘーで購入したものを公開する。

    ナガで買ったもの

    カムティー、ラヘーで買ったもの。

    • カムティーの竹製品の店で帽子を購入。なかなか渋くてかっこいい。実は最初に買ったものをなくしてこれは2つ目。2,000Ks
    • 帽子の右側が同じ店で購入したミニほうき。ヤンゴンでは最近こういう手作り日用品を売る店が少なくなった。500Ks?
    • 白いモチのようなのは麹。カムティーの市場で購入。ナガの酒、カウンイエはこれから作る。1個200Ks
    • 麹の上にある薄茶色のものも麹。こちらのほうが甘くなるらしい。1袋200Ks
    • 麹に左側にあるのが中国人が買い付けに来ている、タウンロンッテ(山をひとつ超えるの意)。中国語がちょっと分かる人が「水山七」ではと言っていた。朝鮮人参と同じように強壮剤になるそうだ。160gで9,000Ks。
    • 白い麹の下にあるのが鹿の干し肉、サッタチャウ。臭みがなくほどよいスモークの香りで、メチャウマ。1束1,500Ks。
    • GrandRoyalの瓶に入っているのはカムティーの市場で購入した蜂蜜。1瓶2,500Ks
    • 一番右にあるのが、ラヘーで購入した歯ブラシ。タイ製で500Ks。

    鹿肉、もっと買っときゃよかった。ミャンマー人におみやげであげたら残ったのはわずか4束。ヤンゴンでも干し鹿肉を売っているがナガの干し鹿肉とは全く別もの。ヤンゴンのものはカリカリに干したもので風味はなくなっているが、ナガのものは柔らかくて生干し状態。臭みはほとんどなく、肉の旨味とスモークの香りがマッチして、食べだすと止まらない。猟師たちが「鹿肉が一番うまい」というのも納得だ。

    干しシカ肉

    シカのスモーク干し肉。メチャウマ。

    現地で買ったものが他にもあった。

    ナガで買ったもの2

    カムティー、ラヘーで買ったもの、その2

    • 中国製のヘッドライト。ライトはまあまあだが、ベルトの部分がすぐに外れるのでいつも手で持っていた。3,000Ks
    • ざる蕎麦用に買った竹ざる。こうした簡単な手作り品もヤンゴンでは見つけにくくなった。500Ks?
    • ざるの中にあるのが、可愛らしい模様の豆、ピッタインダウン(ミャンマーのダルマの名)。まるで、チョコレートをコーティングしたお菓子のよう。2カップで600Ks
    カムティーで買った豆

    カムティーで買った豆。チョコレートコーティングのお菓子のよう。

    この豆をヤンゴンの何人かに聞いてみたが、みな知らない。これは珍しい豆かと思い、ネットで調べてみると「パンダ豆」というのにそっくりで、ちょっとがっかり。試しに一晩水につけた後に茹でてみると、チョコレートコーティングが水に溶け出し全身薄茶色の煮豆になって、またがっかり。でも、パンダ豆は煮豆でも模様が消えないはずだ。新種パンダ?

  • 今日はちょっと遠出をしたが友人の車だったので、家計簿には優しかった。

     3月9日の家計簿(為替レート 1円=9.461チャット)

    1. ヤンキンターでの2人分の費用(メモをなくしたので、金額が不確か)
      • 場所代 2,000Ks
      • ビール x2 4,000Ks
      • 焼き魚 2,000Ks
      • 干しエビ&干し魚 1,000Ks
      • トウモロコシ 300Ks
      • 揚げバナナ 100Ks
      • 入場料等その他 1,000Ks程度
    2. 帽子 1,000Ks

      合計 7,000Ks(740円)

     同じ U Wisara に住むTさんから、ビーチに行かないかと誘われた。Tさんは車を持っていて何度かそのビーチに行ったことがあるらしい。ビーチといっても海ではなくイラワジ河の川辺だ。最近までニャウンチャウンダとう名前が付いていた。ミャンマー人に大人気のチャウンダビーチにあやかって付けた名前らしい。

    「今日はチャウンダに行くぞ!」
    「お父さん本当? 僕ずっと行きたかったんだ」
    「チャウンダに着いたぞ」
    「わーい、チャウンダだ。でも、海の水なのに塩辛くないね」

    といった会話がきっとあったに違いない。親にとっては気軽に安く行けるビーチとして人気のようだ。金のない若者も、ここだったら友だちと遊びに行くことができる。

     我が家からから約2時間、ニャウンチャウンダに着いた。でも、名前が「ヤンキンダー」変わっていた。どうも、本家チャウンダビーチからクレームが来たという噂だ。ひなびているけど元気のあるビーチだった。新しいけどどことなく懐かしい感じがする。ミッキーマウスもマリリンモンローもいるし、射的場まである。細かなきれいな砂で遠浅だし、海と思い込めば海だ。ここでは潮風で体がべたつくこともないので、これはこれでいいかもしれない。

    ヤンキーンタのミッキーマウス

    まず、ミッキーマウスが迎えてくれる

     

    ヤンキーンタビーチ

    遠浅が続き、向こう岸ははるか向こう

    川辺にはパラソルがずらっと並んでいる。空いているところに座ると、オーナーらしきお兄さんが5000チャットだと言う。
    「前来たときは2,000チャットだったけど」
    と、何回か来ているTさん。すぐに2,000チャットに下がった。ずらっと並んでいる各「海の家」がそれぞれパラソルの所有権を持っているようだ。

    川辺にパラソルが並んでいる。

    川辺にパラソルが並んでいる。

     二人でビール2本につまみがちょっと、入場料やパラソル代を入れても全部で10,000Ks程度だったので、一人5000Ksだ。個人的に買ったものは帽子だ。最近は日差しも強くなり、帽子はあったほうがいい。

    ヤンキーンタで買った帽子

    ミャンマーの今の季節だと帽子があったほうが安全。

     

    ヤンキーンタの帽子屋

    帽子屋のお母さんが照れていた

     ビーチといえば、1997年にガパリビーチに行ったことがある。水着ゼロのビーチに感激した。それから17年後の2014年のビーチも水着はゼロだった。女性の水着のほうが民主化より難しいようだ。

    ビーチの女たち

    ヤンキーンタでも水着の女性はいなかった

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