• 今年の10月から始めたIT教室、i寺子屋の今年最後の授業が昨日終わった。最後まで来てくれた生徒たちはみんな真面目で楽しく授業を終えることができた。

    授業が終わった後、教室として使わせてもらっているマリカで忘年会をすることにした。飛び入りもあった。ヤンゴンから初めて日本にやってきたカチン族の双子の大学生2人。彼らはマリカのオーナーの息子たちだ。また、大学院でミャンマーのことを学んでいる日本人学生とそのお父さん。そして最後は、カチンの聖歌隊がやってきた。ミャンマーでは、クリスマスになるとキリスト教徒の人たちによる聖歌隊が家々を歌いながらまわっていくという。高田馬場でカチン聖歌隊に出会えるとは幸運だった。

    このときの雰囲気をみんささんにもお送りしたい。iPhone4にスペシャルマイクを付けて録音した聖歌隊の歌。けっこうきれいな音で録音できたので、2曲聞いてください。

    Audio MP3
    カチン聖歌隊の歌 その1

    Audio MP3
    カチン聖歌隊の歌 その2

  • 今回の地震で世界中が日本を心配してくれているが、ミャンマーからも応援が届いた。

    日本ミャンマー合作映画『血の絆』の主演女優、池田美冬(麻生あかり)さんがヤンゴンで仲間と一緒にチャリティーバザーを開いたのだ。1日で日本円にしてなんと50~60万円集まった。日本と比べると1/10以下の物価、給料5,000円が普通の国でこんなに集まるとはすごいことだ。彼女から日本の友人にその様子を書いたメールが届いたので、本人の了承でここに転載します。

    以下、池田美冬さんより、
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    実は地震後、狂ったようにインターネットを見て、映像が流れるのを食い入るように毎日見ているうちに眠れなくなり、食べれなくなり鬱にはいりました。自分でできることを真剣に考えて、何ができるのか何をするべきが考えました。ここでは簡単に募金もできません。
    そこで思いました。芸能人の真似事をしてきて、7年にもなり、今何かしないと絶対に後悔する。そこでもう一人の日本人女性と二人で4月の9日にチャリティーバザーを開催することになりました。

    52区画。ミャンマー人が進んでお店の場所代を寄付として提供してくれました。芸能人崩れの為か、知られているのがいい方に転がったのか、皆すぐに私を信用し、何も言わずに協力してくれます。あさってです。死ぬ気になって成功させます。たとえ日本円で少ない額でも、ミャンマー人が日本人のために進んで寄付してくれる。寄付したかったんだけどどこにしたらいいのか分からなかったから・・。ありがとう。逆に言われました。

    たいした金額にはならないかもしれない。それでもこの貧しい国の人々がほんとに日本のことを心配して、自分のできる額で寄付してくれた。このお金はこの価値は絶対にその額以上のものだと、私は思います。そして今こそ声を大きくして言いたいです。ミャンマー人だって悪いニュースばかりではなく、日本のことを思い、心を痛めて協力しようとする温かい心をもっているのだと。

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    エピソードを少しだけ。
    バザー区画があと1つを残して完売した夜のこと。私の夫の所へ電話が来ました。「何で俺の所に真っ先に連絡して来ないんだ?俺は日本の会社と取引してるんだ!これで日本を支援できるチャンスがあるのに俺が何もしなければ、どんだけ顔がつぶれると思うんだああ、ばかやろ~~。何が何でも場所をとっておけ!」電話は切れました。この電話で完売しました(笑)

    その夜他の男性からの電話「バザーでゲーム(輪投げとか、ダーツとか)をお金をもらって遊ばせて、そのお金を全部寄付しようと思ったのに、ゲームを手伝ってくれる人がどうしても足りません。すみません、すみません。これからお金をかき集めるので寄付として受け取ってもらえませんか?」学校の先生だったそうです。

    ある夫婦。もう数店舗必要なので、思い出してある男性に電話しました。確か奥様お土産やさんしてますよね?もちろん強制ではないのですが、こういう企画があって・・・。旦那様は興味あるのですぐに家内に電話して聞いてみます。すぐに返事が来て、「こういう企画に参加させてもらうことができて、本当にありがとう。間に合ってよかった」と逆に御礼を言われました。

    仲のよい友達。彼女はホテルで働いていますが、それほど裕福ではありません。なので、2日前に電話をしてこういう企画があるのだけれど、是非バザーに遊びに来てね、あと、共通の友達がお店を出すから手伝ってあげてねとメールをしました。するとすぐに電話が来て、「こういう事を聞いて参加しないでいられるわけない! 友達と共同でお金を出すから、場所を確保してね」と言われました。

    このバザー、お店の為の場所代を頂き、それを全て寄付に回します。来てくれたお客さんからは募金をしていただければ、ありがたくいただきます。その場所代。日本円で6000円。けして安くないです。出してくれる人は皆、売って利益を得ようとは思っていません。皆言います。寄付だから。売れなくてもいいんだよ。みんな寄付したかったんだけどどこにしたらいいのか分からなかったからよかった・・・
    私たちも別にPRするつもりはないんです。ただ、ここにいるミャンマー人だってやさしいぞ!!と、自慢はしたいけれど(笑)

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    バザー終わりました。日本円としては少ないですが50万円から60万円は集まりました。皆さん本当に快く寄付してくださいました。お店も全て完売。人もまあまあの賑わいでした。

    ある日本人が場所のみを購入し、そこに孤児院の10人くらいの子供たちが手作りのキーチェンやタオル、ティッシュいれを売っていました。皆孤児院の子供たちと知っていますので、協力して買って行きます。日本円で1万円くらい売り上げがありました。よかったな~と思っていたら。しばらくして子供たちが皆集まってきてこう言いました。サイクロンの時日本人に本当に助けえてもらったから、今度は僕達の番です。材料費も取らずに全て寄付していきました。
    このお金が、心が少しでも日本に届きますように・・

    池田 美冬

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  • 明日、3月13日に予定していた第4回ミャンマー辺境映像祭は中止となった。

    会場側からの連絡で、安全確認のために13日の貸し出しが全てキャンセルになったためだ。それに、これだけの大地震の直後、ミャンマーの映像で楽しむと雰囲気ではない。

    私も、仙台に住んでいる友人と連絡が取れなくて安否が分からない。

  • トップページにも書いたように、今度の日曜日に「ミャンマー辺境映像祭」が明治大学で行われる。ここで「ビルマ王朝の末裔をインドに探して」というタイトルで私も発表する。今はその資料作りの真っ最中だ。ミャンマーやインドとインターネットで連絡とったり、資料を集めたりで忙しい。学生時代からの一夜漬け体質は年をとってもなかなか変わらない。

    ミャンマー辺境映像祭

    今回の発表者の見渡すと、ディープで面白い話が聞けそうなメンバーだ。大西さんの象と象使いの話、個人的にも何度も聞いているが、いつ聞いても面白い。

    吉松久美子さんの中国もスリムの話、以前一度お聞きしたことがあるが、あまり知られていないパンディーの興味深い話がきける。

    「森の回廊」の吉田さん、半分伝説のような人だ。吉田さんのカチンの森の話をじっくり聞くのは初めてなので楽しみにしている。

    金澤さんの「台北のビルマ人街」、友人のビルマ人から台北のビルマ人街は面白いからぜひと勧められたことがある。ここでもディープな話が出てくるみたいだ。

  • 2月8日昨日、笹川平和財団主催の「現地ジャーナリストが見たミャンマー情勢とその行方」という講演会に行ってきた。
    http://www.spf.org/spaf-j/news/article_6610.html

    ミャンマーで唯一の外国資本によるメディア「ミャンマータイムス」のCEO兼編集長、ロス・ダンクリー氏の話だ。メディア規制が厳しいミャンマーでそれも外国人として10年ミャンマーでメディア活動続けてきた人の話で興味深かった。冒頭、ミャンマーでのビザの話から始まった。1月6日にビザの期限が切れてそれ以降発給してもらえないというのだ。ダンクリー氏曰く、これは大した問題ではない、今までこれよりずっと困難にぶつかってきたがそれらを乗り越えてきたというのだ。

    ダンクリー氏は1990年代にまずベトナムでメディア活動を始め、2000年からミャンマーで本格的に活動するようになった。3年前にはカンボジアで当地の雑誌を買収し、今では大きく成長したという。ミャンマーでは8年前から日刊紙の発刊の申請を出しているが、ずっと無視されてきた。2004年にはミャンマータイムスを一緒に立ち上げたミャンマー人の共同経営者が投獄されるということもあった。また、軍政の検閲の中で出版活動をすることで「軍政の娼婦」と避難されることもあったという。

    それだけ困難な仕事なのになぜ続けてきたかというと、規制が厳しいから止めてしまっては何も変わらない。妥協しながらでもミャンマー国内で活動を続けることに意味があるという彼の言葉だった。

    去年の選挙に関しては、かなり高く評価していた。一般のミャンマー人も自由に立候補でき、カンボジアの選挙よりミャンマーの選挙のほうが活気があったという。不正はなかったのかという質問に関しては、軍政は50%以上の当選を目指しかなりやばいことをやったが、違法行為を行ったという証拠は持っていないという。アメリカの選挙でブッシュやニクソンが行ったことを考えると単にダーティーだったと避難することはできないという。また、選挙後の国民の雰囲気が以前と変わり、新しい空気を感じるようになったという。

    欧米の経済制裁については否定的だった。経済制裁は民主化には役立たなかったし、国民の貧困化に繋がっただけだという。それに、経済制裁で中国の影響力が非常に強くなった。そういった意味で、アメリカはミャンマーの地政学的な重要性を理解していないと嘆いていた。

    軍政には、今までメディアの自由な活動についてほとんど理解してもらえなかったという。要人とのインタビューもできないし、国会の議場にも入れないという。「カンボジアのような小国でも自由に報道ができる」と言っても、軍政には取り合ってもらえなかった。「ミャンマーにはミャンマーのやり方がある」という姿勢だ。なかなか変わらないミャンマーではあるが、それでも少しずつ変わってきているという。今度の選挙もそのひとつだった。これからもそうだろう。

    他にもいろいろと興味深い話はあったが、以上がその中で印象に残った話だった。

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