日本 in Myanmar

エミさんの死

2007/09/27 木曜日 - 03:48:29 by 後藤 修身

ヤンゴン在住の日本人にデモの話いたとき、急にエミさんの死が伝えられた。突然のことに驚いた。
2007年9月26日午前3時15分、エミさん(本名:鈴木孝子さん)死亡。93歳であった。1935年、エミさんはビルマの映画の父と呼ばれたウー・ニプと結婚、日本に帰ることもなくずっとヤンゴンの人であった。こちらのページにエミさんのことが書かれている。

私はエミさんとは5〜6回お会いしたことがある。江戸っ子をそのまま絵にしたような雰囲気の、しゃきしゃきした人であった。エミさんの家を訪問したとき、私の薄汚れたパナ(ミャンマーサンダル)を見て、すぐに新しいパナを店から取り寄せて「これを履きなさい」と言われたり、日本からのお土産は何がいいかと尋ねると、「亀の子たわし」と答え、「掃除には亀の子たわしが一番だよ」言っていたエミさんをなぜか思い出した。
最後を看取った孫娘のRさんと電話で話をした。苦しむことなく静かに亡くなったそうだ。1ヶ月ほど前、
「私もちょっと疲れた。これくらいでいいかな」
と珍しく気弱な言葉を吐いたが、Rさんが
「おばあちゃんのこと、みんな大好きなの。おばあちゃんがいないと、みんな困るの」
と答えると、
「そうだね。もっとがんばらなくちゃ」
と気を取り直したという。葬儀はエミさんが望んだ通り、ミャンマー式で行うという。エミさんはミャンマー仏教を深く信仰していた。そういえば、以前話をしていたときに、
「ビルマの仏教はいいわよ」
と、しみじみと言っていたのを思い出した。
ところでエミさん、昔からデモが大好きだったという。ちょうどデモ隊があふれた日、その日に亡くなるなんてエミさんらしいと、Rさんと納得しあった。

元日本兵

2005/05/29 日曜日 - 03:37:12 by 後藤 修身

フィリピンで元日本兵が見つかったというニュースが話題になっている。しかし、なかなか姿を現さないので、ここに来てなんだか変な雰囲気になってきた。日刊スポーツでの共同電ニュース、 仲介の日本人男性「数日中に救い出す」では、
だが、元日本兵とは「まだ直接会ってはいない」とし、現段階で2人の写真や本人が書いた文字などの物証はないことも明らかにした。
今回の情報は伝聞で「雇ったフィリピン人スタッフを通じて得た」という。
とあるし、同じく日刊スポーツで英タイムス紙からのニュースとして、英紙「日本兵生存は偽情報か奇跡か」という記事が出てきている。
 しかし、偽情報の可能性も排除されていないと指摘。その場合は現地のガイドら地元に落ちる金目当ての可能性があると分析した。
と書かれている。他にも、Livedoor News が伝えるAP電では、元日本兵情報はペテンの可能性=比警察高官
この地域を担当するフィリピン警察の情報局高官は27日、「この話はペテンの可能性がある。誰かが何かを手に入れたかっただけのことかもしれない」と語っている。
ペテンではないかとまで書かれてしまっている。本当に元日本兵がいるのかどうかは私には全然分からないが、これまでの報道の流れを見ると、たしかにある種のあやしさを感じる。
ここでミャンマーの話にとぶが、ビルマにも日本に帰国しなかった元日本兵がいる。2000年にヤンゴンで亡くなった北村作之蒸さんや、やはり2000年に亡くなった吉岡徳喜さんは有名である。他にも何名か知られていたが、高齢のため亡くなられた方がほとんどだ。彼らの事情は個々人で違うが、最後は自分の意志でビルマに残った。時々日本に一時帰国することもあったが、最後はビルマの地で亡くなった。その他にも地方に行くと元日本兵に関する噂は時々聞くが、噂だけに終わるのがほとんどだ。私も一度、90歳を越える日本人のおばあちゃんが中国国境に住んでいるという情報を元に現地へ行ったが、その地にはちょうど紛争が起きて入れなかったし、そのおばあちゃんを知る人に尋ねると、中国人で既に亡くなったという話であった。
また、今回のフィリピンの情報の中で、2名以外にも60名もの元日本兵がいるという「すごい話」があるが、ビルマ絡みでもすごい話があった。メコン源流「ニッポン村」という本だ。元日本兵や元看護婦たちがラオス国境に近いビルマの山奥に村を作り、そこに200名ほどの日本人の村民がいるというのだ。絶版になっているが、一部で注目を浴びていた(一部とは誰?)本なので、古本で仕入れて読んでみた。でも、途中で読むのをやめた。そんな本だった。