• 今日、651人の恩赦が発表された。

    ミャンマー:恩赦651人新たに実施 民主化運動指導者も(毎日新聞)

    1988年当時学生の民主化運動リーダーだったミンコーナインや、2004年に失脚した元首相のキンニュンが恩赦の中に含まれている。ヤンゴンの友人にチャットで聞くと、651人の中には他にも有名な政治犯が何人かいるという。これで主だった政治犯はほとんど釈放されたのではと言っていた。

    それともうひとつ、カレン族の反政府軍KNUと停戦協定が結ばれた。1990年代に他の民族軍が停戦協定を結んでもKNUだけはずっと戦ってきた。そのKNUが停戦協定を結んだ。

    ミャンマー、反政府勢力と停戦合意

    1962年のネウィンによる軍事クーデターから数えるとちょうど50年。変わるときには変わるんだ。

  • ちょっと遅くなりましたが、あけましておめでとうございます。

    去年はミャンマーの状況が大きく変わり、私も驚いている。一昨年は選挙だったが、結果は軍政側のUSDPの圧倒的勝利。「これじゃ民主化も形だけ、政府は軍の傀儡で実質的には何も変わらないな」などと思っていた。知り合いの何人かのミャンマー人に聞いても同じだった。

    ところが、去年10月のミッソンダム中止のあたりから急に雲行きが変わってきた。中国による大プロジェクトであったミッソンダムを中止するというのは、日本が普天間基地の国内移設を拒否するようなもんだ。いや、もっと大きなインパクトがあっただろう。その後は、クリントン国務長官の訪緬、NLDの政党再登録、アウンサンスーチーの補選出馬表明、KIAを除く各民族軍との停戦協定といように、怒涛の変化だった。

    在外ミャンマー人の中には、難民資格を返上して帰国する人たちがけっこう出ているそうだ。最初の頃は民主化に懐疑的だった私も、もしかしてこれ本当?と思うようになってきた。しかし、一昨年制定された憲法も選挙制度も軍に有利で形だけの民主主義だったはず。それがなぜ本当に変わってきたのかと考えてしまった。そこで、はたと気がついた。形が重要? そう思ったのは、手元に「体制維新 ー 大阪都」という堺屋太一と橋下徹による本があったからだ。

    そもそも本当の改革は、体制を変えることです。明治維新であれ、戦後改革であれ、あるいはソ連・東欧の社会主義の崩壊であれ、ことごとく体制を変えることが究極の目的であり、新しい時代の出発です。ところが日本では、戦後ずっと同じ体制、もっといえば明治以来ほとんど同じ体制が続いている。


    国でも同じで、長く自民党政権が続いた後、1993年に非自民の細川政権ができました。その後の自民党政権でも、いろいろな政権が生まれ、改革を唱えました。まず人を変えたのですが、一向にうまくいかない。そこで今度は政策を変えようということになり、民主党に政権交代をしました。民主党は「コンクリートから人へ」のキャッチフレーズで政策を変えようとした。けれども、体制を変えようという話はいっこうに出てこない。だから成果が上がらず、また元に戻ろうとしています。

    これはミャンマーに先を越されか。不十分とはいえ、彼の国は軍事政権から民主主義に変わりつつある。形が変われば中身も変わる。これを今、目の当たりにしているのかもしれない。次に形を変えなければいけないのは日本だ。

    いや、その前に自分だな。

  • ミャンマー人の友人から面白い話を聞いた。タンシュエが女性用ロンジー、それも結婚式などで着る派手な模様のものを着ているというのだ。いくらなんでも、そりゃ冗談だろうと思ったが何と本当だった。

    タンシュエのスカート問題 (Irrawaddy News)

    ちょっと恥ずかしいタイトルと共に写真も出ている。2月12日のユニオンデーにタンシュエならびに軍の高官らがみな女性用ロンジーを着ている映像が国営テレビの画面に出てきたという。 女性用ロンジーを着た理由としてビルマ語で yadaya と書いている。ミャンマー人の友人によると、悪いことが起きないように前もって行う行為だという。日本語だと「お祓い」に近そうだ。ここでの悪いことというのは、アウンサンスーチーの影響力だ。

    アメリカのレーガンのように、国の権力者が占いに頼るというのはよくある話だ。でも、それが事実だとしてもあまり口外しない。それが、ミャンマーの場合は堂々と国営テレビの映像にもなっている。これには、いいも悪いもなく、ただ感心した。

  • 今週の火曜日、8日に東京での講演を聞いたロス・ダンクリー氏がヤンゴンで逮捕されたというニュースが入ってきた。

    http://www.mizzima.com/news/breaking-and-news-brief/4876-myanmar-times-publisher-arrested-in-rangoon.html
    http://www.monstersandcritics.com/news/asiapacific/news/article_1618824.php

    10日、木曜日に逮捕となっている。逮捕理由はオーバーステイとマリファナ所持だったとミャンマータイムスのスタッフが語ったらしい。火曜日に東京で講演をして木曜日にヤンゴンで逮捕?急すぎる。それに、ミャンマーのビザが1月6日に切れてそれ以降発行してもらえないので入国できないとダンクリー氏本人が講演の中で言っていた。その2日後にヤンゴンである。そんなに早くビザが発給されたのだろうか。でも、この記事はガセネタとも思えない。

  • エジプトでムバラク大統領が辞任した。20年前のソ連東欧の共産国崩壊を見ているようだ。

    ところで、この共産主義国崩壊の先駆けといえるようなことがビルマで起こった。1988年の民主化運動だ。それまでネウィン独裁で社会主義国だったビルマがささいなことをきっかけに大きな暴動、民主化運動に繋がった。その結果、ネウィン独裁と社会主義は消え去ったが軍事クーデターにより軍政になってしまった。その翌年1989年、中国で天安門事件が起こる。ビルマと同様に軍が発砲し多くの犠牲者を出し、共産党は生き残った。しかしその翌年、1990年にはベルリンの壁崩壊、1991年にはソ連崩壊へと繋がっていった。

    それから19年後、2007年にミャンマーで僧侶を中心とした大規模な民主化デモが起こる。このときも軍が発砲しデモは失敗に終わった。その翌年2008年、チベットで大規模な反政府運動が起こる。これも軍によって力でねじ伏せられた。そして今回のチュニジア、エジプトの民主化だ。

    大規模なデモがまずミャンマーから始まり次に中国、そして世界へという流れが20年を隔てて同じように起こった。ミャンマーと中国では失敗したというのも同じだ。単なる偶然か、はたまた何か因縁でもあるのだろうか。

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