• 前の書き込みから3ヶ月以上たったしまった。後藤は何をしているんだと思った方はこちらに。今日はは政治ネタということで、ひさしぶりにここに書きます。

    ミャンマーでは11月8日が総選挙で、ヤンゴンも盛り上がっている。毎日1回はアパートのすぐ横を選挙カーが通って賑やかだ。ヤンゴンの選挙運動をいくつか紹介したい。

    私が住む地区にやってきたNLDの選挙カー。後ろの車はレクサス、NLDはけっこう金があるようだ。


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    選挙カーと一緒にやってきた殺虫剤散布隊。草むらに向けてNLDマーク付きの散布機から殺虫剤を撒いていた。でも、なんで選挙運動で殺虫剤?NLDは悪い虫(政府)をやっつけて庶民のためになるというパフォーマンスなのか。

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    NLD本部の真向かいにあったNLDバンドの移動ステージ。ロックをガンガンに響かせていた。

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    NLD本部にある売店でTシャツやカレンダーなどのスーチーグッズを買い求める人たち。

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    わが家のすぐ横にあるミニサッカー場でNLDの演説会。みんなにコカコーラやファンタオレンジ350cc缶を配っていた。有権者じゃない私も1本もらった。

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    戸別訪問に来たNLDの応援隊がくれたDVDで、30分ほどのドラマが入っていた。プロが作ったドラマでなかなか良くできている。

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    これ以外にも音楽を流しながら走る宣伝隊や、生バンドがやってきたりとけっこう賑やかだ。でもほとんどNLDばかり。与党のUSDPは影が薄い。USDPの選挙看板が寂しそうだ。そういや、一度だけ戸別訪問に来てパンフレットを置いていった。

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  • マハーバンドゥーラ公園の横を歩いていると、見慣れないものが目に入った。公園の前の歩道に手作りテントが数十メートル並んでいた。マハーバンドゥーラ公園はヤンゴンの中心スーレーパゴダのすぐ脇だ。東京でいうと、日比谷公園だ。テントの前には赤い看板がいくつも掲げられていた。

    マハーバンドゥーラ公園の前の抗議テント

    マハーバンドゥーラ公園の前の抗議テント

    その中に英語の看板があった。

    「我々は昔からティンガンジュンに住んでいたが、1991年に軍によって追い出されてしまった。我々の土地を返せ!」

    といった内容だ。軍政時代には強制立ち退きはよく聞いた話だ。当時、軍政には誰も逆らえなかった。突然住んでいた場所から立退きを命じられ、代替地(多くは元の場所より条件が悪かった)に強制移住させられたのだ。

    抗議の立て看板

    抗議の立て看板

    抗議活動(ただ座っているだけのようだったが)をしている人に話を聞くと、

    「祖父の代からティンガンジュンの土地に住んでいたんだ。でも、今じゃみんないろんな場所にバラバラに住んでいる。オレたちの土地を返してほしい」

    私には興味深い話だったが、抗議テントの前を歩いている通行人は誰も興味を示さない。写真を撮っている私のほうが珍しいようで、こちらをチラチラ見ていた。

    抗議テントの中で過ごす人たち

    抗議テントの中で過ごす人たち

    アパートに戻って写真をプリントして近所の人たちに見せた。このティンガンジュンの土地の問題はみんな知っていた。ジャーナル(タブロイド紙)にも出ていたという。近所の人たちは同情するのかと思っていたが、全然違った。抗議活動をしている彼らに批判的なのだ。元々、ティンガンジュンの土地は彼らの土地ではなかったのだ。要は、政府の土地に不法占拠で勝手に家を建てたが、それを政府に咎められて追い出されたらしい。それで誰も同情しなのだ。それに民主化以降、こういう話がたくさん出てきたという。最初のうちは同情を集めたが、あまりにも多くなりすぎてこの土地を巡る話題にうんざりしているのだ。

    最近、土地争議が増えたのに民主化以外にもう一つ理由がある。土地の値上がりだ。ヤンゴン中心部の土地の価格は東京とあまり変わらなくなってきた。私が住んでいる築40年のアパートの部屋も、2年くらい前までは200〜300万円で売り買いしていたのが今では1,000万円を超えている。マハーバンドゥーラ公園の近くにある、サクラタワーのオフィスの賃料は東京の一等地にあるビルの賃料と変わらない。彼らが追い出された土地も昔は二束三文だったが、今ではかなりの金額になっているのだ。

    ヤンゴンで一番賃料の高いサクラタワー

    ヤンゴンで一番賃料の高いサクラタワー

    また、軍政時代に強制移転させられた人の中には、今ごろになって政府から土地を一部返還してもらった人もいるらしい。元々その土地を所有していた人たちだ。さらに、政府の土地を不法占拠した人たちの中には、場所によっては最近居住権を認められた人たちもいる。

    そんなこんなで、ヤンゴンの土地を巡る争いは「かわいそうな人たち」だけで済むような話ではなくなっている。

  • 菩提樹の下でミャンマーカレーをごちそうになった。

    3月22日の家計簿(為替レート 1円=9.448チャット)

    1. タクシー 2,000Ks
    2. コカコーラ 425ml x3 900Ks

    合計 2,900Ks(307円)

     午後2時、土曜日は日本語教室の生徒たちが来る時間だ。今日は生徒の一人のお父さんがお腹が痛くて病院に一緒に行ったということで生徒は2人だった。生徒たちとの会話で、この「お腹が痛い」がちょっとした話題になった。

     「日本語で バイ アウンデ はどう言うんですか?」

     お腹が痛いという意味の バイ ナーデ は知っていたが、同じ意味でバイ アウンデ という言葉があるとは知らなかった。でも、全く同じではない。よくよく聞くと、 バイ アウンデ は病気で痛いとき、バイ ナーデ は唐辛子を食べすぎて痛いときに使う言葉というのだ。唐辛子による腹痛が別の言葉になっているとは、さすがミャンマーだ。といっても、料理の辛さはタイあたりに比べるとまだ大人しいほうだ。

     授業の後、ご近所のHさんとダウンタウンに向かった。HさんがiPadを買いたいというので、一緒に見に行ったのだ。iPadの用が終わった後ダウンタウンを歩いると、路上に座っている数十人の人たちに出会った。みな同じバックを持っている。

    ダウンタウンに集まった人たち

    同じバックを持ち、ダウンタウンに集まった人たち。

     彼らは明日(3月23日)から2ヶ月かけてカチン州のミッソンまで歩いて行くという。カチン州の州都ミッチーナの近くのミッソンは、メカ(メ川)とマリカ(マリ川)の合流地点で、ここからエヤワディ河が始まる。そこまでただ歩くだけではなく、目的があった。ミッソン・ダム及び周辺のダム計画の完全中止を求めての行動だ。イラワジ河の始まりであるミッソン、このミッソンを含む数カ所でダムの建設プロジェクトがあった。

    ミッソン

    1999年に撮影したミッソン。右奥がメカ(メ川)、左奥がマリカ(マリ川)。

     これを進めていたのが中国の国有企業である中国電力投資集団で、発電した電力の90%中国へ送電するという計画だ。軍事政権時代に調印されたダム計画だったが、国内では反対の声が強かった。ダムによって周辺の村が水没し、生態系も破壊されするのに加え、エヤワディ河の源が沈んでしまうからだ。そうした中、2011年9月テインセイン大統領が中国側の反対を押し切ってミッソンダムの中断を発表した。このときは、私も驚いた。ミャンマーの民主化が本物かもしれないと思ったきっかけだった。

    ただ、ダム計画は中断であって中止ではない。テインセイン大統領の現任期が切れる2015年以降、計画が復活するかもしれない。それに、ミッソン以外の一部地域ではまだ建設が続いているという。「中断」ではなく、完全中止を求めての行動がこのミッソンへの行進だ。呼びかけ人は元政治犯たちの団体で、それに賛同した人たちがここに集まった。スタート地点のシュエダゴン・パゴダからミッソンまで Google Map で検索すると徒歩で 1,245km ある。東京から長崎までの距離とほぼ同じだ。

    ダム反対のスローガン

    ミッソン・ダム永久中止を訴えている。

     

    U Ba 氏と仲間たち

    話を聞いた U Ba 氏(左端)とその仲間たち。

    説明してくれた U Ba も元政治犯で刑務所に長く入っていた。あたりはもう暗くなってきていた。夕食がまだだったら、ぜひ食べていってもらいたいと言われ、行ったのが路上飯屋。小さなプラスチックのテーブルにミャンマーカレーとごはんとスープが出てきた。おいしくいただいた。すぐ側には菩提樹が立っていた。

    露店でのカレー

    暗くて何の料理かわからないほど。

     「菩提樹を見たら、ここで食事をしたことを思い出してほしい」

     彼は手を振りながら仲間のところに戻っていった。

    菩提樹の下で

    菩提樹の下で U Ba が手を振る。

  • 昨日、近くのビアステーションでビールを飲まずに夕食だけとっていると、店のオーナーがやってきて「メティラで騒ぎが起きているのを知っている?」と聞いてきた。このオーナーは日本帰り、佐川急便で働いていたので日本語をちょっとしゃべる。メティラでインド系ムスリムと仏教徒の間で争いがあったと、オーナーがいつものおちゃらけとは違う真剣な顔をしてささやいた。何人か死亡者もいるらしい。

    一日明けた今日、騒ぎが大きくなって「緊急事態宣言」が発令されてしまった。近くの雑貨屋に行くと、ラジオで発表されていたと店のおばちゃんが言っていた。

    http://elevenmyanmar.com/national/2869-president-signs-state-of-emergency-for-four-townships-of-mandalay-region

    A state of emergency has been declared for four townships of Mandalay Region as of 4pm today, following two days of religious riots in Meikhtila town, state media reported at about 4pm today.

    The emergency decree was signed by President Thein Sein and covers Mahlaing, Meikthila, Tharzi and Wundwin townships, state media reported.

    メティラとターズィーは私も行ったことがある。特にメティラは何度か行き、親切なインド系の人の家にも一度泊めてもらったことがある。そこの主人に、「メッカに巡礼に行ったんだ」と写真を見せてもらったこともある。

    ヤンゴンに住んでいると、ムスリムも仏教徒も仲良く暮らしているように見える。インド料理やハラルフードの店にも仏教徒の客はたくさんいるし、個人的にお互い仲良くしている人は多い。でも、こういう問題が起きると「インド人は大嫌いだ」というような話をよく聞く。普段はあまり表に出てこない、反イスラム、反インド人意識に火をつけてしまうようだ。

    ところで、何か事件が起きると第一報はFacebookらしい。メディアの記者が速報をまずFacebookに流す。その後自社のビルマ語版WEBサイトにアップする。最後が英語版のWEBサイトだ。ビルマ語が読めない私はいつも最後の英語版で確認するか、日本語が達者なミャンマー人の友人に話を聞くことになる。せっかくミャンマーに住んでいるんだから、第一報のビルマ語のニュースを読めるようになりたい。

  • まず、例の張り紙を見せてもらった。「14日以内に出て行くこと」という退去命令が書かれた張り紙だ。ラペッイエサインの裏の家の壁に貼られていた。たしかに、1月31日に出されたもので、2月14日までに出て行くように書かれていた。張り紙は本当だった。でも、今日は2月25日だ。期限から10日以上経っている。郡役場からは何も言ってこないという。

     それからいろいろと話を聞くうちに、1995~1996年にかけて強制移住があったという話が出てきた。ティラワの大規模開発は今回が初めてではなかったのだ。95~96年にも今回と同じようなティラワ経済特区のプロジェクトがあり、多くの村人が強制移住対象だった。移転先に移った村人も多かったが、彼らはここに残った。開発計画が進んでいたら残ることはできなかったが、計画が消滅したため彼らは残ることができたのだ。

     ここで腑に落ちなかったのが、なぜ危険を犯してまでここに残ったかだ。当時、村人全員に別の場所に土地も用意されていたらしい。でも、彼らは移らなかった。話を聞いていくうちに、自分たちは貧乏だからとか、銀行に借金があるという話が出てきた。その借金を返すために1万チャットで売ったという話も出てきた。1万チャットというと、当時の円換算で1万円の価値がある。95年当時田舎で1万円というのはかなりの価値がある。何を売ったのかと聞くと、移転権利書だという。

    *後でミャンマー人に聞くと、移転権利書を売るというのは聞いたことがないという。この部分は私の聞き間違いの可能性もある。

     そこで、「ガヤン」があるか聞いた。ガヤンは土地の登記簿のようなもので、土地の持ち主ならガヤンかそれに準じる書類を持っている。しかし、ガヤンはないようだ。ガヤンだけじゃなく、「マッポンティン」もない人がいた。マッポンティンは身分証明書で、18才以上の全国民が持つことになっている。さらにマッポンティンだけではなく、日本の戸籍謄本や住民票に類するエインタウンスザインもない家族もあった。

     「お金がないから作らなかった」というのが理由だ。ミャンマー人に聞くと、田舎ではこういう人たちがけっこういるという。たしかに、村で生まれて村で結婚して村で死んでいくのなら必要のないかもしれない。そんな生活をしていた人たちが95年と今回、強制移住対象になってしまった。

     彼らにも言い分があった。「自分たちの先祖は100年以上前からこの場所に住んでいる。それなのに、なんで追い出されるんだ」

     この問題どう解決するんだろう。法的には彼らは不利だ。ただ、こうした人たちがこの村だけでなく他の村にもいる。メコン・ウォッチによると全部で500世帯以上だそうだ。

     2ヶ月ほど前にヤンゴン郊外のある場所に行ったことを思い出した。直径1m以上はある上水道のパイプの両側に粗末な家が並んでいた。これらの家はほとんど不法占拠で勝手に建てた家だという。80年代から勝手に住みついたらしい。法的には追い出されてもしょうがないが、「92〜93年以前から住んでいる人たちには住む権利を与える」という徳政令が最近出たという。

     ティラワに住む彼らにも徳政令を出すのだろうか。

    注)私が話を聞いたのは、ティラワで強制移住対象になっているひとつの村の一部の人たちです。村によって、また人によって状況はいろいろ違うかと思います。また、写真も撮りましたが、今回は写真を出すのを控えます。

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