• 何日か前に日本でも報道されたティラワの強制移住の問題。記事を読んでも詳しいことが書いてなくてよくわからない。私はまだティラワに行ったことがなかったし、強制移住対象の村がどんなところかも興味があった。

    ニュースソースはどうもメコンウォッチのこのプレスリリースのようだ。ここにあるPDFの要請書にある程度詳しいことが載っている。ただ、これを読んでも今ひとつわからない。

     日本人の友人たちと乗った車は、見晴らしのいい一本道を進んだ。というと爽快なドライブのようだが、実際は牛車なみのスピードでのろのろと走った。昔は舗装道路だったというのがかすかに分かるデコボコの道だったからだ。風景はヤンゴンの近くというよりも、バガン周辺の乾燥地帯のようだった。

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     しばらく一本道を進むと、路肩に竹と椰子で出来た小屋が見えてきた。周りにも同じような家がいくつか並んでいた。その小屋は雑貨屋兼ラペッイエサイン(ティーショップ)だった。

     甘いラペッイエを飲みたかったが、インスタントしかなかったのでコーヒーミックスを頼んだ。客は村のおやじ2人だ。すぐに移転の話を聞くことにした。どこの馬の骨かわからない外国人が突然やってきて、それも移転問題の話題なんか出すと警戒されるだろうと思っていたが違った。客のおやじも店のおばちゃんもけっこう積極的に話してくれた。そのうち、何人か村人が集まってきた。

    1. 友人の車に乗せてもらってダウンタウンに向かっている最中、ミャンマー人の友人から電話があった。

    「もしもし、SkypeとViber使わなないでください」
    何のこと?

    ミャンマーで契約した携帯でSkypeやViberなどのIP電話を使うとその携帯(正確にはSIM)が電話として一切使えなくなるというのだ。それも、今日から。私の場合、日本から持ってきたiPhoneはWiFiで繋いでViberやSkypeをいるだけなので、問題ない。ただ、こちらで買ったソニーのAndroid携帯はこっちのSIMだ。Skypeも入れいる。早速別のミャンマー人の友人に電話すると、彼も知っていた。IP電話を使うと海外に無料で電話できる。今までめちゃくちゃ高い国際電話料金と取っていたミャンマーのMPT(郵政省)にとっては大損害だ。以前のミャンマーだったら急にIP電話禁止にするというのも十分考えられる。

    騒ぎの元になった、Popular Myanmar News JournalのFacebook上の記事

    Facebookでもこの話題で持ちきりだった(私には読めないが)。私もAndroid携帯のSkypeをアンインストールしよかと思ったほどだ。夕方、Facebookを見ていた友人が、「な〜んだ」。どうもIP電話禁止令はガセネタだったらしい。今回のさわぎの原因は、Popular Myanmar News Journal という、けっこう有名なジャーナル(週間タブロイド紙)がFacebookに書いた記事だった。それがFacebook上で瞬く間に広がり、Facebookのビルマ語が読めない私まで携帯で連絡が来たのだった。

    あまりの騒ぎに、他のジャーナルが動いた。「禁止にすることはしない」というMPTのチーフエンジニアの発言をFacebook上で記事として発表した。これで一件落着した。今回の件で驚いたのは、ミャンマーでのFacebookの威力だ。Facebookによってあっという間に噂が広まった。

    ちょっと前までメディアが統制されていたミャンマーでは、誰もメディアを信用しない。メディアの代わりに、ラペッイエサイン(ミャンマー式喫茶店)で人から人へとニュースや噂が伝わっていた。それが今ではラペッイエサインからFacebookに変わりつつある。ミャンマー人がFacebook大好きな理由がやっと分かった。ラペッイエサインとFacebookのシステムが似ていたのだ。友達同士ラペッイエサインに集まり噂話をする、その中の一人が別のラペッイエサインで別の友人たちにその噂話を伝える。

    ブログの告知ぐらいにしかFacebookを使ってない私は、Facebookに積極的なミャンマー人を見習うべきなのか?

  • 今日の午後、アパートを探しにミャンマー人の友人と市内を歩いていた。車がびゅんびゅんと走るカバエパゴダ通りを歩いてると、ジャーナル(タブロイド紙)をたくさん抱えた若い女性たちの一団を発見。ビルマ語の読めない私は気が付かなかったが、友人が「Mizzimaだ!」と一声。Mizzimaはインドからインターネットで発信している反軍政のメディアだ。そのMizzimaが国内でビルマ語のジャーナルを出している。これは買わなきゃ(ビルマ語が読めないのに)。3部12,00チャットの料金を渡すと、「Mizzimaを知ってるの?」と嬉しそうな顔、Mizzimaはインターネット上では有名でも、一般のミャンマー人にはあまり有名ではない。

    Mizzima、ヤンゴンでの創刊号

    このジャーナル、25日に創刊号ができたばかりの出来立てほやほやだ。オフィスを訪れると心よく会ってくれた。編集長はインド、タイを経て今年の5月にヤンゴンに帰ってきたばかりだ。政府による圧力は今のところ全くないそうだ。とはいえ、ステップ・バイ・ステップで注意深く薦めている。これは政府も同じで、民主化した政府の統治というものを今学んでいるところだと言ってました。

    Mizzimaジャーナルは32ページほどで、政治関係の記事が多いが他のスポーツやエンターテイメント関係もたくさん載っている。編集長曰く、売るためにいろんな記事を載せなきゃいけないということだ。40紙以上あると言われているジャーナルの世界、彼らも生活しなきゃいけない。オフィス内のスタッフは40名、若い人が多かった。

    編集長と若いスタッフたち

  • 今日、651人の恩赦が発表された。

    ミャンマー:恩赦651人新たに実施 民主化運動指導者も(毎日新聞)

    1988年当時学生の民主化運動リーダーだったミンコーナインや、2004年に失脚した元首相のキンニュンが恩赦の中に含まれている。ヤンゴンの友人にチャットで聞くと、651人の中には他にも有名な政治犯が何人かいるという。これで主だった政治犯はほとんど釈放されたのではと言っていた。

    それともうひとつ、カレン族の反政府軍KNUと停戦協定が結ばれた。1990年代に他の民族軍が停戦協定を結んでもKNUだけはずっと戦ってきた。そのKNUが停戦協定を結んだ。

    ミャンマー、反政府勢力と停戦合意

    1962年のネウィンによる軍事クーデターから数えるとちょうど50年。変わるときには変わるんだ。

  • ちょっと遅くなりましたが、あけましておめでとうございます。

    去年はミャンマーの状況が大きく変わり、私も驚いている。一昨年は選挙だったが、結果は軍政側のUSDPの圧倒的勝利。「これじゃ民主化も形だけ、政府は軍の傀儡で実質的には何も変わらないな」などと思っていた。知り合いの何人かのミャンマー人に聞いても同じだった。

    ところが、去年10月のミッソンダム中止のあたりから急に雲行きが変わってきた。中国による大プロジェクトであったミッソンダムを中止するというのは、日本が普天間基地の国内移設を拒否するようなもんだ。いや、もっと大きなインパクトがあっただろう。その後は、クリントン国務長官の訪緬、NLDの政党再登録、アウンサンスーチーの補選出馬表明、KIAを除く各民族軍との停戦協定といように、怒涛の変化だった。

    在外ミャンマー人の中には、難民資格を返上して帰国する人たちがけっこう出ているそうだ。最初の頃は民主化に懐疑的だった私も、もしかしてこれ本当?と思うようになってきた。しかし、一昨年制定された憲法も選挙制度も軍に有利で形だけの民主主義だったはず。それがなぜ本当に変わってきたのかと考えてしまった。そこで、はたと気がついた。形が重要? そう思ったのは、手元に「体制維新 ー 大阪都」という堺屋太一と橋下徹による本があったからだ。

    そもそも本当の改革は、体制を変えることです。明治維新であれ、戦後改革であれ、あるいはソ連・東欧の社会主義の崩壊であれ、ことごとく体制を変えることが究極の目的であり、新しい時代の出発です。ところが日本では、戦後ずっと同じ体制、もっといえば明治以来ほとんど同じ体制が続いている。


    国でも同じで、長く自民党政権が続いた後、1993年に非自民の細川政権ができました。その後の自民党政権でも、いろいろな政権が生まれ、改革を唱えました。まず人を変えたのですが、一向にうまくいかない。そこで今度は政策を変えようということになり、民主党に政権交代をしました。民主党は「コンクリートから人へ」のキャッチフレーズで政策を変えようとした。けれども、体制を変えようという話はいっこうに出てこない。だから成果が上がらず、また元に戻ろうとしています。

    これはミャンマーに先を越されか。不十分とはいえ、彼の国は軍事政権から民主主義に変わりつつある。形が変われば中身も変わる。これを今、目の当たりにしているのかもしれない。次に形を変えなければいけないのは日本だ。

    いや、その前に自分だな。

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