• バガンに最初に行ったのが1987年、最後が2003年。この間にもバガンは大きく変わっています。オールドバガンの中心地には小さな小さな町がありましたが、90年台初めにニューバガンへと強制移住になりました。それでも、観光客相手の仕事をしている人は困るということで住み続けている人たちもいます。僧院の敷地内だったら当局も見逃してくれているからです。

    1987年のころは、イラワジ川では数百人くらいの人たちが毎日砂金取りをやってました。そのときに写真に撮った少女が今では貫禄いっぱいのお母さんです。

    バガン2(遺跡に暮らす)
    バガン2(遺跡に暮らす)

  • バガンに初めて行ったのは1987年、もう23年になります。観光客もほとんどいない中、パゴダはどこも上りほうだい。一番高いタビニュの一番上のテラスから、地平線まで広がるパゴダを眺め、時の流れを実感していました。またタビニュに上れたら、今度は自分自身の時の流れを感じるでしょう。

    バガン遺跡
    バガン1(遺跡)

    写真は全部で20点アップしました。1995年頃撮影したブローニーサイズのものが多いです。

  • マンダレーからシャン州の中国国境の町、ムセ、ナンカン、チューゴーに行ったのは2000年でした。このときの写真をまとめたものです。「あと10年もするとムセは中国になってしまう」と言っていたイミグレの役人は今はどうしてるだろう。ムセだけでなくミャンマー全体の中国化が進んでますね。

    ビルマ公路
    ビルマ公路

    以前書いた文章のほうはこちらです。
    ビルマ公路2000

    マンダレーからムセへのこの道路、10年前はミャンマーとは思えないほどの快適な高原道路でした。

  • 最近は Campur Photo での写真紹介ばかりで申し訳ない。
    と言いながらまた写真紹介です。


    チャイティヨ パゴダ

    このサムネイルは一番最初にチャイティヨに行ったときの写真です。ちょうど9月の雨期で雨がじゃあじゃあ、チャイティヨに来ている人は誰もいませんでした。でも、写真にとってはこの雨が結果的にはよかったです。海中のゴールデンロックのようになりました。

    他には、火事(2年前?)になる前のチャイティヨの宿屋街の写真などあります。

  • Campur Photoの今日の紹介は、笑顔みの写真です。男の微笑みがあっても気持ち悪いだけなので、すべて女性です。いや、一人?だけ男もいたか。

    ビルマの笑顔
    (ビルマ族)
    ビルマの笑顔2
    (少数民族)

    ミャンマーは人の写真の撮りやすい国です。声をかけるとどの民族でもだいたい笑顔が返ってきます。その笑顔の中でも選りすぐりの笑顔を集めました。

    ミャンマー人の男からは、私がミャンマーで写真を撮るためにあまりにも声をかけすぎていると言われます。それだけ人の写真を撮っていますが、これは外国人だからできるんでしょう。ミャンマー人同士だと人によって、撮られる方もちょっと警戒するようです。このあたりはミャンマーでも日本でもどこの国でも似てますね。

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