• ヤンゴン川の船着き場、200~300人は乗れる大きな渡し船の他に、十数人乗るといっぱいになるような小舟もある。大きな船は向こう岸のダラーの船着き場に着くのだが、小舟に乗ると向こう岸で何本かに分かれている支流へ入っていく。

    ある日、その小舟に乗って奥の村まで行った。遅くなったので帰ろうとするとヤンゴンまで戻る舟はもうないという。それではと、村人から聞いた方向を目指して一人でてくてくと歩き出した。だが、すぐに道が分からなくなった。周りは人家もほとんどなく途方に暮れていると、二人連れの少女たちが向こうから歩いてきた。近くの村に帰るところだった。彼女たちに船着き場はどこかと尋ねると、あと30分くらいは歩くと答えた後、二人は相談を始めた。何事かと思っていたら、「私たちが送ってあげる」。

    二人は冗談を言い合いながらずんずんと進んでいく。私はおとなしくその後ろをついて行った。その頃私はビルマ語をほとんど話せなかったので、彼女たちとのコミュニケーションもすぐに続かなくなった。それでも、彼女たちは時々後ろの私を振り返り、キャッキャと笑う。何がおかしいのだろう。アホなおじさんだと笑っているのだろうか。それとも、箸が落ちてもおかしい年頃なのか。そんなこんなでダラーの船着き場が見えてきた。ここで彼女たちともお別れとなった。タッダー、タッダー(バイバイ)と言いながら何度も手を振る。しばらく歩いた後振り返ると夕日を浴びた二人が遠くでまだこちらを見ていた。きっと、アホなおじさんだったからまた迷子にならないか心配していたのに違いない。

  • 私のサイトは写真サイトのはずなのに、このブログには写真が全然なくて殺風景だ。それに政治絡みの話が多くて色気がない。ということで、ミャンマーで撮った写真を肴にしたシリーズを始める。まずは、『Myanmar Photo、出会い』ということで、ミャンマーで出会った人たちの写真、となれば、男性諸氏ご期待の美少女たちの写真がメインだ。

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    ストランドホテル前にある船着き場から茶色い大きなヤンゴン川を渡った先に川向こうの町、ダラーがある。町というよりも村に近い。騒々しいヤンゴンから川ひとつ隔てただけでのどかな田園風景が広がっている。それでも、船着き場にはトラックバスやジープが客待ちしていてにぎやかだ。このダラーから車で1時間ばかり、南へ下っていったところに壺で有名なトンテがある。ここも町というよりはどこにでもあるような村である。ただ、大きな壺があちこちに置かれているのを見て、普通の村とはちょっと違うというのに気がつく。ここで作った壺をすぐ近くを流れるヤンゴン川でミャンマー各地に運んでいくのだ。トンテの中を歩くと、壺を作っている家はいたるところにある。そんな家をおじゃますると、みんな土まみれになって壺を作っている。その中に美しい少女を見つけた。服や腕は土まみれになっていたが、他の人たちとはあきらかに違う(と私の目には見えた)。薄暗い作業場で撮影するのはもったいないので表に出てもらうことにした。ちょっと驚いたような目をしたが、にこやかに応じてくれた。表に出るとうわさを聞きつけて近所から人が集まってきた。にぎやかな撮影会になった。だが、彼女は大勢の前で緊張したのか、表情が硬い。そこで、「テテモウに似てるね」と声をかけた。周りから笑い声とからかいの声がどっと上がった。テテモウとは、ミャンマーで最も人気のある女優で、当時多くのCMに出演していた。私の目から見ると、テテモウより目の前の少女のほうがずっとかわいいのだが。ともかく、座は一気に盛り上がり、少女も照れながらもまんざらでもなさそうだ。

    このトンテの少女の写真は一時エーヤーワディのトップページを飾っていた。男どもからは好評だった。驚いたのは、海外からのメール。「彼女はどこに住んでいるのか。ぜひ会いたい」という英語のメールが2通も来たのだ。迷ったが、トンテという地名は正直に教えた。もしかして、今頃は異国の地で妻として住んでいるかもしれない。

  • 昨日の昼、二日酔いでうなっていたら、テレビから「ミャンマー」という声が。見ると、「世界仏教サミット」でマスコミの取材が許可され、ヤンゴンで撮影された映像だった。たしかテレビ朝日の放送であったが、民放のニュースでミャンマーの映像を見るのもひさしぶりであった。また、新聞でも小さな記事であるが取り上げているところがある。でも、今回の開催までの紆余曲折についてはほとんど書かれていない。日経新聞の記事でほんの少しだけ言及されているが、「当初1000人規模の参加を表明していた日本の仏教団体がキン・ニュン前首相解任後に参加中止を決定。」とだけ書かれていて、念仏宗の名前はない。それに、参加中止ではなく主催中止である。相変わらず宗教団体に対しては腰が引けている。

  • 拉致問題が表沙汰になって以降、日本でもやっと北朝鮮という国の本当の姿を認識するようになってきたが、それよりずっと以前に北朝鮮の恐ろしさを身をもって知ったのがミャンマーだ。

    ラングーン爆弾テロ事件(1)
    ラングーン爆弾テロ事件(2)
    1983年10月9日、韓国大統領一行がラングーン(ヤンゴン)のアウンサン廟を訪れた。ちょうどそのとき爆弾が爆発。韓国政府およびビルマ政府の要人たちが19人死亡した。全斗煥大統領は到着が遅れたために難を逃れた。この事件は世界を驚かせ、犯人についていろんな説が上がったが、2日後の11日、ビルマ政府は朝鮮人の犯人を捕らえたと発表した。犯人のうち1名は銃撃戦で死亡したが、2人を逮捕。11月4日には犯人の国籍が北朝鮮であると発表し、即日、国交断絶した。それも単なる国交断絶ではなく、外交措置として最も厳しい国家の承認取り消しであった。犯人の2人は裁判の被告となり、翌年の2月9日に死刑が確定した。

    北朝鮮がテロ国家としての姿を世界に初めて示したのがこの事件であった。だが、北朝鮮の犯行だというのを信じなかった人たちも日本には多かったようだ。当時駐ビルマ大使だった佐久間平喜氏の著書『ビルマに暮らして』によると、

    ちなみに、それまでビルマが北朝鮮と密接な関係にあっただけに、なおのことビルマ政府の本事件の調査と裁判は、国際的には公正なものであると受けとめられた。しかし、わが国のいわゆる「進歩的文化人」のなかには、北朝鮮への親近感のためか、ビルマの裁判に疑いの目を向け、北朝鮮犯行説に異を唱える人が多かったのには驚かされた。

    と、書かれている。そういえば、この当時私はまだ20代だったが、本当に北朝鮮だろうかと疑ったことをぼんやりとだが覚えている。マスメディアの当時の(今でも?)「進歩的」な報道にだまされていたのかもしれない。

    北朝鮮絡みはもうひとつある。『大韓航空機爆破事件』である。大韓航空機が消息を絶ったのがミャンマー沖のアンダマン海だ。爆破してバラバラになった機体がミャンマー領のアンダマン海に眠っているという。それにしても、北朝鮮が起こした国際テロの二つがミャンマーと関わりがあるというのは、何かの因縁があるのだろうか。

  • ミャンマーでは国内の政治的な動きについてはほとんど報道されない。そのせいか、噂が非常に多い。毎日いくつも政治的なうわさ話が生まれているのではないかと思われるくらいだ。たまには本当の話もあるが、ほとんどはウソである。こうしたうわさ話紹介するのも面白いのだが、「エーヤーワディブログ」が「ウソつきブログ」と呼ばれるのもつらい。ということで今までうわさ話の類はあまり書かないように心がけていたのだが、今日はひとつだけ紹介したい。

    Shanland.orgという、シャン族のグループのサイトに、「The riddle of Maung Aye」という記事が出ている。その中にアウンサンスーチー氏関連の部分がある。

    We hear: Aung San Suu Kyi has reportedly called Maung Aye the most charismatic of Burma’s top brass. His friendliness toward Suu Kyi when the two last dined together was described as unusual.

    —–以下は後藤訳—–
    聞いた話だが、
    マウンエイは軍の中では最もカリスマ性のある高官だと、アウンサンスーチーが評した。二人が(軍の)晩餐会で会ったとき、マウンエイは彼女に対して異常なほどの親密さを見せていたそうだ。
    —–

    といった内容である。We hear と文頭にあるから、これは伝聞情報である。しかし誰から聞いたとも書いてないし、噂話とも書かれていない。実は、このスーチーとマウンエイの話はしばらく前からよく噂として聞く話である。この話の真偽を先日ある日本人のミャンマー専門家に聞いたところ、偽情報だと断定されてしまった。それも、誰かが意図的に流した偽情報だろうというのがその専門家の見解であった。

    軍政の中ではタンシュエ議長に続くNo.2の地位にあるマウンエイは、今回の政変でキンニュンを追い落とした中心人物だと目されている。また、日本を含めた海外のマスコミでは「強行派」とされている。ただ、軍の中では清廉であるとミャンマー国内では評価されているらしい。一般国民からの人気度を見ると、タンシュエは人気がないがマウンエイは一部では人気があるようだ。ちなみに、キンニュンは国外では評価されていたが、国内では人気がなかった。マウンエイの評価については、上記記事にも書かれている。

    ミャンマー国内の政治、社会状況をある程度理解した上で、この「スーチー&マウンエイ仲良し説」を推理してみるのも面白い。また、この話の背景をご存じの方がいましたら、ぜひ教えてください。

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