2005/08

ぶらりミャンマー、河内のばあちゃんひとり歩き

2005/08/31 水曜日 - 02:32:52 by 後藤 修身

ある方から、この本を贈っていただいた。
大阪河内に住む60歳代の安富美子さん。旅好きの彼女が96年に初めてミャンマーを訪れ、魅せられてしまった。それから足繁くミャンマーに通うこと8年間で20回、最後はこの本を書き上げるまでに至った。自費出版の本なので一般には出回っていないが、肩肘張らずに楽しく読める本だ。
ほとんど地方に旅をすることもなく、ヤンゴンに逗留していました。そして道ばたの青空食堂で町の人たちと同じものを食べ、甘いコーヒーを飲み、バスに乗り、至る所歩き回って過ごした日常のなかで遭遇した事を記したものです。
と書いているように、旅ものの本とは違い、ヤンゴンでの話が中心である。自分で「河内のばあちゃん」と書いているくらいだから、気取らない元気な方だ。好奇心いっぱいで、いろんなところに顔を出し、いろんな人と仲良くなっている。この本を読んだら、「あっこの人知ってる」と懐かしく思ったり、「そうそう、自分も同じこと思った」とうなずく人が多いのではないだろうか。また、ヤンゴンのアパートで一人暮らしの経験をしたくらいだから、普通の旅行者には分からない話も書かれている。
ある日のミャンマーの情景、
少し経つと、思いもかけない懐しい匂いがただよってきた。近くの家の台所からだ。見ると、目の荒い木の柵の問からうす青色の煙が立ち昇っている。そのほのかな煙が運んでくる懐しい薪の匂いは、小学生のころ疎開先の竈の前で知った匂いである。この匂いに数十年の時を引き戻される。その地方では「かまや」と呼んでいた天窓のある広い土間の台所の有様がたちまち脳裏に蘇ってきた。分厚い木のふたをした羽釜で炊いた麦ご飯のおいしかったこと。やがて、煙の匂いとともにおいしそうな匂いも昇ってくる。その家には最近赤ちゃんが生まれたのだろうか。激しい泣き声も聞こえてくる。幼児と母親らしい女性の声もする。そんな時、人が暮らしていることを実感するのである。
安さんにとって、ミャンマーは遠い少女時代に戻り感傷的になれるところでもある。私もミャンマーにいて時々郷愁というか、デジャヴュのようなものを感じることがある。「日本で失われたもの」なんていう使い古された常套句ではない何かである。安さんもこの郷愁的なる何かと、日本とは全然違う現実がごちゃまぜになったミャンマーを楽しんでいる。
この本に興味を持たれた方は、直接安さんに連絡してみてください。
メールアドレスが、
yasuyumi@d1.dion.ne.jp
になります。

首都移転と占い

2005/08/04 木曜日 - 05:29:08 by 後藤 修身

賞味期限切れの話題になるかもしれないが、1カ月ほど前にピンマナへの首都移転の話が盛り上がっていた。ヤンゴンで最近移転に関する噂が出ているかどうか知らないが、海外では全くニュースはなくなった。移転は順調?に進んでいるんだろうか。
ピンマナには一度行ったことがある。地理的にはヤンゴンとマンダレーの中間で、気候的にも雨の多い下ビルマと乾燥した上ビルマの中間で、雨も多からず少なからずと過ごしやすい。もう7年前になるが、98年にピンマナから車で30分ほどのイェジィンというところへ行ったことがある。そこでは光がキラキラと光っていた。変な表現だが、空気が透明で光りの粒を感じるような気がしたのだ。「イェジィン(ピンマナ近郊)の写真」のページに写真を何枚か載せている。イェジィンには農林業関係の研究所や大学が集まっている。また、ピンマナの近くにはエラという町もあり、そこには鉱山研究所もある(今もあるんでしょうか?)。それらの研究所には日本からJICA関係の研究者も派遣されていた。というような環境なので、一部の日本人の間ではビルマの筑波と言われていた地域だ。イェジィンに2日ばかり滞在したが、品のある豊かな田園地帯という感じでちょっと浮世離れした感じもあったところだ。そんな地域が今や最近首都移転という政治のまっただ中にいるというのは、私にはちょっと複雑な心境だ。
この移転については上記にリンクした毎日新聞の報道では、
軍事政権の動向に詳しいある専門家は「米国によるイラク攻撃以来、軍事政権幹部らは、自分たちもいずれ(米国の)攻撃対象になるかもしれないと過敏になっている。施設はそうした事態を想定した新たな軍の司令施設である可能性が高い。河口に面したヤンゴンは海からの攻撃にもろいため、新たな基地として山間部を選択したのだろう」と分析する。 
というような記事が出ていたが、そんなの考えられない〜〜。どう考えても、ピンマナに首都を移転する合理的理由など思い浮かばない。そう、合理的説明をしようとすること自体が間違いだ。ということは、私の信頼するミャンマー人の友人が言っていたのだが、ヤンゴンで噂になっていたように「占い」によって決まったというのが真実ではないか。え〜?占い?と思う人もいるかもしれないが、ミャンマーは知る人ぞ知る占い大国だ。そこら中に占い師がいる。ネウィン元大統領も相当占いに入れ込んでいた。廃貨を行って新たに90チャットや45チャット紙幣を作ったときにも、9が彼のラッキーナンバーだからだという話があった。お抱え占い師もいたという。今のタンシュエ議長も専属占い師がいるという話がある。また、ミャンマーでは空を飛ぶ僧侶がいたり、夜になるとそこら中で幽霊が出てくる。という具合に「不思議」がたくさん残っている国である。以前紹介したマヌサーリーの世界である。今回の首都移転もそんな話のひとつのような気がする。

中国の影

2005/08/03 水曜日 - 04:20:27 by 後藤 修身

ひさしぶりのアップになった。
このひさしぶりの間、世間で話題になったミャンマー関係ニュースというと、
2005年07月23日
ミャンマー前首相、禁固44年の判決 自宅軟禁へ
2005年07月26日
ミャンマー、ASEAN議長国を辞退 外交の混乱回避へ
2005年07月28日
中国・李外相、突然ミャンマー訪問 憶測呼ぶ
なぜか最近朝日がミャンマー関係のニュースに力を入れているので朝日の記事ばかりになった。キンニュン元首相の44年の判決だが、実際には刑は執行猶予で自宅軟禁が続けられるらしい。
ASEAN議長国問題は以前からささやかれていたように、自ら辞退した。欧米側としてはしてやったりだろうし、ASEAN側としては辞退してくれて胸をなで下ろしたというところだろう。でも、議長国になったほうが民主化への実際の圧力になったのではないだろうか。
議長国辞退のすぐ後に中国の李外相が突然ミャンマーを訪問した。朝日の記事のタイトルのように、いろいろと憶測を呼ぶ訪問だ。まず、中国はミャンマーが議長国を引き受けるべきだという立場だったらしい。そりゃそうだろう、中国自体がオリンピックの開催資格を海外から云々言われ始めている時期なので、ミャンマーが辞退するのは中国にとってまずいだろう。もうひとつ、この時期に中国関連で話題になっていたのが、中国の石油会社がアメリカの石油会社ユノカルを買収する話であった。ユノカルは2/3の鉱区はアジアにあり、ミャンマーでも天然ガス事業を行っている。また、この買収話は安全保障の問題でアメリカ国内で非常にもめていた。李外相が訪緬する前日には、中国海洋石油、ユノカル買収断念、米議会の反発受け という記事も出ていた。アメリカの反発を受けても中国がこんなにしゃかりきになっているのも、石油事情が逼迫しているからだ。また、石油というと、ミャンマーのシットウェから雲南省を通り重慶までパイプラインを引くという中国の計画がある。このように、中国にとって地理的にミャンマーは非常に重要な国である。この訪緬で何を語り合ったのか詳細は不明だ。朝日の記事に簡単にこう書いている。
新華社通信によると、タン・シュエ議長と李外相の会談で双方は、両国の友好と経済、貿易分野での協力強化を確認しあったという。
議長国辞退で傷心のミャンマー君に甘い言葉で近づいてくる中国君という構図を考えると分かりやすい。