2006/03

ナガの旅〜その2〜レイシへ

2006/03/24 金曜日 - 01:27:44 by 後藤 修身

朝4時半起床。船付き場へ行くために準備をしなければいけない。早朝といっても、宿はもう騒々しい。私と同じように船に乗るため、他の泊まり客も朝早くから起きて準備をしているからだ。荷物をたくさん持って、ゲストハウスの暗い階段をゆっくりと降りた。前にもリュックを担いで足下がよく見えないため、余計に慎重に降りた。最後の一段、、、、あれっ?おかしい、足が着かない???と思ったのは一瞬、そのまま倒れてしまった。あちゃ〜〜〜 やってしまった。ゆっくりと左足だけで立ち上がり、右足に体重を乗せた。痛っっっっ。足を引きずりながらゆっくりとあるいてみる。ズキズキするが、我慢すればなんとか歩けそう。もしかして骨折ではと思ったが、幸い捻挫だけで済んだようだ。D先生やガイドが心配そうに尋ねる。しかし、ここはやせ我慢で「だいじょうぶ」と言うしかない。そのまま、足を引きずりながらなんとか船着き場へ。
チンドウィン河上流のタマンティーまで行く船に乗る。幅2m、全長10mほどで、座席が窮屈に並んでいる。ぎっしりつまった乗客は50人くらいいるだろうか。船はエンジンの爆音を響かせながらチンドウィン河を遡っていく。早速D先生が早速周りの人たちにインタビューを始めた。相手がナガ族だと答えると、D先生と私とで二人して喜びの声をあげる。周りの人たちはこんなアホな二人(いや、本当にアホなのは私一人だが)を何と思っていただろうか。D先生はビルマ語の通訳としても第一級であるし、翻訳者としても本を何冊か出している。そんな人だからビルマ語はぺーらぺらである。相手が何族か聞きたかったのは、我々よりも周りの人たちのほうだったのではないか。

チンドウィン河を遡るボート。ナガ族の女性が前に乗っていた。
楽しかった船旅も昼前には終わった。ナガへの入り口になる村、タマンティーに着いたのだ。数時間経ったので足も多少は良くなっただろうと思い、岸に一歩踏み出す。あぎゃ〜!! 朝よりずっと痛い。滑り落ちそうになる岸の階段をやっとの思いで登りきり、D先生ごひいきの食堂に入った。D先生は以前チンドウィン河の川下りの旅をしたときに、この食堂でずいぶんとお世話になったという。

タマンティーの船着き場。乾期で水位が下がり、ずいぶんと階段を登る。
ところでこのタマンティー、上流でダムを建設する計画がある。調査に協力した日本人技師もこの食堂にも何度かやってきて、店の家族ともずいぶんと親しくなったという。しかし計画通り進むと、数年後にはこの食堂やタマンティの村一帯はダムのため水没するため、移転することになる。
食事が終わり、あとはナガ山の中にあるレイシへ出発だ。タマンティーからレイシまでの道は乾期の間、車が走ることができる。車といっても荷物と一緒に貨物トラックに乗っていくのだが、4時間ほどで到着する。やはり文明の利器は楽である。12時半頃にタマンティーを出発した。私にとっては二度目の道であるが、やはりナガの山に入ると興奮してくる。アップダウンを繰り返し徐々に高度は上がっていく。4時半すぎ、前方に大きな村レイシが見えてきた。足が痛いのを忘れて揺れる荷台の上で立ち上がった。トラックはクラクションを鳴らしながら村に入った。ついに到着した。

山の稜線にレイシの村が広がっている。

ナガの旅〜その1〜ホマリン到着

2006/03/17 金曜日 - 00:54:36 by 後藤 修身

ナガへの旅はいつも早朝に始まる。朝一のヤンゴンエアウェイズでヤンゴンからマンダレーへ向かう。マンダレーではホマリン行きのUBを待った。昼前に予定よりちょっと遅れてプロペラ機のUBが到着した。
昼過ぎにチンドウィン河沿いの町ホマリンに無事到着。ナワラというゲストハウスに投宿した。私は2階の部屋、同行者のD女史は1階の部屋だ。そう、今回はいつもの一人旅ではなく同行者がいた。女史と書いているように、今回の旅の同行者は何と女性である。Dさんは昭和30年代初頭、大阪外大ビルマ語学科在学中に戦後初めてのビルマ政府国費留学生として、1年間ラングーン大学でビルマ語を学んだ方である。その後、東京外大の教壇にも立ったD先生の教え子には、ビルマ関係の研究者や外務省職員がたくさんいる。この世界でD先生を知らないのはモグリである。と書くと、何だか雲の上の人のようであるが、素顔は気さくな大阪のおばちゃんだ。

夕暮れのホマリン
その大阪のおばちゃんは留学生時代、ヤンゴンでナガの男たちと偶然出会い、そのときからずっとナガにあこがれていたのだ。連邦記念日のためにナガからヤンゴンへはるばるとやってきたナガの男たちと、はるばる日本からやってきた女子学生と出会った。そのときに一緒に撮ったという写真を見せてもらった。山から出てきたばかりだという風情のたくましいナガの男たちと一緒にかわいい女子学生が写っていた。当時のD先生だ。女子学生はナガの人たちと再会できるのを希望していたが、それが許されないまま数十年の時が過ぎたのである。そんなある日、何気なく買った週刊誌をめくっていると、ナガの男たちの写真が目に飛び込んだ。その写真を撮ったのが私だった。そんなこんなで、D先生と私のナガ繋がりができたのだ。その後、D先生は2003年のナガの新年祭を見にナガの地を初めて訪れた。今回の旅では、村巡りということでもっと奥地へ入ることができる。女子大生時代に出会ったナガの男たちの消息が分かるかもしれない。
私はというと、2001年にレイシ、2002年にラヘーと続けてナガの地を踏んだが、それは祭りという特殊な状況である。彼らが実際に住んでいるもっと奥地の村に行き、普段の生活がどんなものかぜひ見てみたかった。新年祭以外では入るのが難しいナガであるが、今回そのチャンスが巡ってきたのである。

ホマリンの船着き場