• まる1日の休養日となったレイシ。地元の人から、「按摩の上手な人がいる。呼んでみるかい?」と言われた。これはもしかしてナガの民間療法?身をもってナガの伝統が体験できると期待した私はお願いすることにした。その日の夕方、そのおじさんがやってきた。年の頃は60前後、髭をちょっぴりたくわえたその風貌は普通のナガのおじさん。しゃれた赤いマウンテンジャケットが妙に似合っていた。外国人にもらったのであろうか?按摩はナガ伝統のものかと尋ねると、残念ながらビルマ族のものだという。まあ、ここまできたらしょうがない。身を任せることにした。

    ベッドに仰向けになるように促された。私の右足をゆっくりと持ち上げると、「ここが痛いのか?」と患者の痛みなど無頓着のように無造作に突っついてきた。「おりょうう、いたたたた」と前日の看護婦さんのときと違って私も遠慮なく痛みを訴える。よっしゃ、と言ったか言わないか、足を両手で抱え込むと突然力いっぱいひねってきた。

    うぎゃあああああ~~~
    あまりの痛さに悲鳴をあげた。それも一度だけでなく何度も何度も繰り返しひねってくる。そのたびに「うぎゃ~うぎゃ~」と情けない声をあげた。D先生が心配そうにのぞき込む。昨日の看護婦さんからは「安静にしなさい」と言われたのに、こんなことをしていいのか!!! と抗議しようと思ったが、按摩おじさんは熟練した職人といった表情でぎゅっぎゅっと規則正しくひねっている。それを見て、もしかして名医かもと思うようになってきた。私の中では、もう按摩おじさんではなく按摩先生にランクアップしてしまった。そう、私は暗示にかかりやすいたちなのだ。こうなったらじたばたしてもしょうがない。と、カメラを持って治療風景を撮りだした。D先生には懐中電灯を按摩先生に上手に照らすようにと、アシスタントをお願いしたりした。するとちょっとは痛みも紛れるような気になってきたから不思議である。

    永遠に続くかと思われた治療も30分ばかりで終わりがきた。
    「明日には楽になっているよ」
    と按摩先生は確信を持った目で私に告げた。それを信じる気持ちが半分、もしかして今の治療で再起不能になったのではという気持ちが半分であった。

    その夜、本当に明日は村巡りに出発できるんだろうかと不安になりながらも、寝付きの良い私はあっという間に眠りに落ちた。

  • レイシでの休養日、朝食会に呼ばれた。役所や軍やナガ委員会などのレイシの偉い方たちが10名ほどと一緒の朝食会だ。ゲストハウスができたといえ、日本人旅行者が2名来ただけでわざわざ朝食会を開いてくれるとはまだまだ外国人は珍しいのだろう。その席でD先生が流暢なビルマ語で話し出す。みんな、ほう~と感心している。そこで、D先生がヤンゴン留学時代の写真を取りだした。そこには50年近く前のナガの男たちも写っている。みんな興味深げにその写真を見て場が盛り上がってきた。「なんたら村のおじいさんではないか・・・」などと話しているようである。ところで、朝食会で出た食事であるが、ナガ飯ではなく、コーヒー紅茶にトーストと西洋式であった。

    私は初めての地だと、挨拶くらいはできるようにと簡単な地元の言葉を教えてもらうことにしている。写真を撮るときにも役立つ。ここレイシはタンクンナガが最も多いが、その他にもマグリ、パラ、クキ、ノッオウなどの部族が住み、言葉も全然違う。同じ部族同士だと部族の言葉で話すのだが、違う部族同士だとビルマ語で話すそうだ。ここレイシあたりに住むナガの人たちはほとんどビルマ語を話せるようである。でも、ナガの他の部族の言葉は話せないという。以前、カチン州プタオの奥の山へ行ったとき、リス族やラワン族もジンポー語を理解していた。ジンポー族が最大勢力だったからだ。でも、ここナガでは共通語はビルマ語である。地域を長期間統一するような大きな勢力が歴史的に生まれなかったのだろう。カチンのほうだと、山奥といっても人が住むのは山の麓であり、平地もけっこうある。近くの村まで行くのもそれほど大変ではない。中国商人が定期的に薬草を買い付けにくるくらいだ。しかし、ナガだと村は山の頂上にへばりつくようにかたまっている。隣村に行くのに谷まで1000m下り、また1000m登らなくてはいけない。そんな土地だから人の交流も少ないし、広い地域を統一することは困難であろう。

    で、結局トンクー、マグリ、パラ、クキ、ノッオウの簡単な言葉を教えてもらうことになった。ちなみに、
    ——————————————————–
           ありがとう      私       あなた
    タンクン  カイェーマラーヨゥ ハー     ヌン
    マグリ   ラウジィレ      ?       ?
    クキ    イマスースー     ハラマーハ レッラマーラ
    パラ    アエィロゥツラァ   アー     ニョー
    ノッオウ  クワインロゥムジー ?      ?
    ——————————————————–
    というように、部族によって全然違う。方言での違いなどではなく、全く別の言語だといってもいいだろう。
    せっかく言葉を覚えても、レイシでは使い方が難しい。相手の部族を聞かなければどの言葉を使っていいかわからない。そんなことだから、ビルマ語で「あなたは何族?」と聞いてから、メモを見ながら「お元気ですか」と挨拶するというマヌケな状態であった。地元の人たちはほとんどお互いに顔を知っているので私のようなマヌケ状態になることはない。

    ちょっと長くなったので、恐怖の按摩おじさんの話は次回にします。

  • ナガの旅の間がずいぶんと空いてしまった。後藤はそのままジャパン・ナガとして村に留まり日本には帰らなかった・・・というわけではない。ただ私がなまけものだっただけだ。ということで、ひさしぶりのナガの旅を再開します。

    トラックは村で唯一のゲストハウスの前で止まった。5年前に初めて訪れたときには宿などどこにもなく、学校の先生たちの寮(といっても普通の民家)に泊まった。すき間風が冷たかったのを覚えている。それが今ではゲストハウスがある。部屋数は少ないが前日のホマリンの宿よりこざっぱりして気持ちがよい。足の具合はというと、最悪であった。ガンガン痛むし腫れで靴もはけなくなってきた。閒くと、村にはクリニックがあるという。ただ、先生はヤンゴンに出張中でサヤマーしかいないらしい。


    サヤマー? 急にうれしくなってしまった。ビルマ語でサヤマーというのは「女先生」という意味で、学校の女教師や病院の女医さんなどがサヤマーである。この言葉を聞くと条件反射でデレデレしてしまうのが私の弱点であるが・・・。今回のサヤマーは看護婦さんであった。ゲストハウスまでやってきたのはまだ若いマグリ・ナガの看護婦さんだ。
    「痛い?」
    と腫れた足の甲あたりをそっと触った。
    「うぐっっっ」
    本当は大声を出したかったが、やせ我慢である。その看護婦さん、薬の類はほとんど持ってきていない。ここでは薬が貴重品だという。そこで出てきたのが真新しい救急箱。実は、ナガの村への贈り物としてヤンゴンで3箱買ってきたのだ。ナガの人たちのために買ってきたのが自分が最初に使うことになった。なんとも情けないことだが、背に腹は代えられない。軟膏を塗り、包帯でぐるぐる巻きにしてもらった。
    「足は動かさないように。明日は休みなさい」
    との命令を下された。10日間しか予定のないトレッキングで1日少なくなるのは痛いし、同行のD先生に申し訳ない。でも足も痛い。情けないかぎりであるが、翌日は丸一日レイシで休みとなった。

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