• 心配した雨も降ることはなく、バイクは快調に走る。ちなみにバイクは4台とも中国製、日本のバイクは高くて買えないそうだ。

    こんな細い道も現れる

    こんな細い道も現れる

    この崖から落ちるとやばい

    この崖から落ちるとやばい

    竹橋

    竹橋

    ちょうど昼ごろ、サッパロー村に到着。この村は新しく移転してきた村なので、家も新しい。昨日のマッチャン村やサントン村より開けている感じだ。向こうの山の山腹に小さく元の村が見える。子どもたちの写真を撮っていると、こっちに来いと真新しい大きな家の人に呼ばれた。

    開けた場所にある、真新しいサッパロー村

    開けた場所にある、真新しいサッパロー村

    中には40~60才くらいの男たちが酒を飲んでいた。その中の40才前後の一人の男だけ雰囲気が違う。こざっぱりしてビルマ語も流暢だ。彼はここ一帯の軍の司令官だった。軍の基地はサッパロー村の先のソロ村にあるという。我々がポンニョン村へ向かうと言うと、帰りはぜひソロ村に泊まっていけと勧められた。

    サッパロー村を後にしたバイク隊はそのソロ村に立ち寄った。大きな村だったがガランとしてほとんど人がいなかった。子どもたちをちょっと見かけるくらいだ。この村も農繁期で大人たちは焼き畑に働きに出ているようだ。

    ガランとしたソロ村

    ガランとしたソロ村

    ソロ村を出るとポンニョン村までもう少し。と、突然道がなくなった。真新しい土砂が上から降ってきて、それが道を塞いでいたのだ。上からはディーゼルエンジンの音。どうも、道路工事のようだ。この土砂を駆け上がり新しい道に出ることにした。バイク隊の青年たち、元気よく駆け上がる。それにしても、ラヘーからこんな山奥に入ってブルドーザーに出会うとは思ってもなかった。

    バイク道が行き止まり。頭上には工事中の新しい道。

    バイク道が行き止まり。頭上には工事中の新しい道。

    土砂を勢いよく駆け上がるバイク隊

    土砂を勢いよく駆け上がるバイク隊

    道路工事の現場からしばらく走ると谷に降ると、たくさんの若者や子どもたちが働いていた。橋の建設現場だった。村に人がいなかった理由は農作業だけではなかったのだ。

    橋の工事に集まった村の若者や子どもたち

    橋の工事に集まった村の若者や子どもたち

    その谷を渡り、まさに今できつつある道を駆け上がる。真新しい黄色いパワーショベル&ブルドーザーの脇を抜けてカーブを曲がるとポンニョン村が正面に見えてきた。

    黄色いショベルカー&ブルドーザの横を抜けると、ポンニョン村だ

    黄色いショベルカー&ブルドーザの横を抜けると、ポンニョン村だ

  • ラヘーの朝、雨音が止んでいた。昨日は夕方から降りだした雨が降り続き、寝床の中でも雨音を聞いていた。その雨も朝にはぴたりと止んでいた。後で聞いたのだが、毎年4月の始めは雨が降ることが多いという。降るといっても3~4日程度で、その後は5月初めまで晴れが続くらしい。昨日は4月始めの雨にちょうど当たったみたいだ。

    8時半、ポンニョン村へ出発した。ポンニョン村はインド国境近くにある村で、まだ外国人が入ったことがないということで、予定を変更して行くことにした村だ。美人が多い村という話に惹かれたというのは内緒だ。

    雨は降ってないが、滑る滑る。昨日の雨で地面がゆるみ、バイクが真っ直ぐに走れない。私が乗ったバイクは2度転んでしまった。どちらもスピードが出てなかったので怪我はしなかったが、私は泥だらけになった。

    スリップして上れないトラック

    スリップして上れないトラック

    しばらく走ると泥道も少なくなってきた。ラヘーの近くが特に雨が多かったようだ。ラヘーから離れると道もだんだんと乾いて快適なサイクリング道になってきた。

    バイク4人組

    バイク4人組

    ガンガン飛ばす

    ガンガン飛ばす

    時々、村人の一団とすれ違う。彼らは時速4Km、こちらは時速30Km、追い越していく我々を見て何を思っているだろうか。

    ときどき村人たちとすれ違う

    ときどき村人たちとすれ違う

    突然前に大きな動物が現れた。象だ! タイによくいる観光用の象とは違い、人と一緒に働く使役象だ。ミャンマーでは今でも材木の切り出しに象が使われている。私は大喜びで象の周りをウロウロしたが、象は意に介する事無く悠然としていた。象だけのときは危なくてこんなことはできないが、象使いと一緒にいる象は大人しい。若い象使いも上から悠然と見ていた。

    材木を運ぶ使役象

    材木を運ぶ使役象

    象も象使いも悠然としている

    象も象使いも悠然としている

    ミャンマーでは使役象がまだ各地にたくさんいるが、これは世界的に見て非常に珍しい。国が閉ざされ経済発展も遅れていたという理由もあるのだが、軍政時代でも国は使役象を保護してきた。ミャンマーでは国が直接管理している使役象もたくさんいて、そうした象使いは森林局の公務員だ。ただ、今回我々が出会った象は国の象ではなく、民間の象だった。

     ミャンマーの象に関しては象の本も出版している大西さんが非常に詳しい。私の象の知識もほとんど大西さんからの受け売りだ。

  • ナッサヤーの家を出た。さっきまで村を覆っていた雲も晴れ、村の全体が見渡せるようになった。村は奥に長くのびていた。一番向こうは小高くなった山の上だった。2Kmくらいあるだろうか。高いところがあるだったら行かなきゃと、村の一番奥を目指すことにした。

    山の上まで村が延びていた

    山の上まで村がのびていた

     ちょうど、薪を背負ったおばあちゃんがやって来た。

    「ペーチャーガティ」

    と挨拶をする。マッチャン・ナガの言葉で、「お元気ですか?」というような意味だ。おばあちゃん、ちょっと不思議そうな顔をした。私が知っているのはこの言葉以外に3~4つ。会話にはならない。おばあちゃんは、そのままスタスタと歩いて行った。私もその後をついて行く。まるでストーカーだな。おばあちゃんは足が早い、私は寄り道をして写真を取っている。結局、私は置いて行かれてしまった。

    おばあちゃんの後をつけていく

    おばあちゃんの後をつけていく

    それにしても静かだ。昼間の2時だというのに人がほとんどいない。子どもが遠くに数人見えるだけだ。これだけ人がいないのには理由があった。4月は雨季の始まる前で農作業で最も忙しい時期だったのだ。働ける人たちはみんな朝早く焼き畑まで出かけて、夕方戻ってくる。焼き畑が遠い場合は、小屋を作って農繁期の間そこで寝泊まりする場合もある。こんなわけで、4月のナガの村は静かだ。ちょっと坂がきつくなった。こんな坂でも家が地面にへばりつくように建っている。

    30度ほどの斜面に家(住居用ではないようだ)がへばりついている

    ナガの犬は柴犬みたいでかわいい

    ナガの犬は柴犬みたいでかわいい。でも・・・

    一軒の家の前で40才前後の男性がいた。私よりずっときれいな格好をしている。「ペーチャーガティ」と挨拶すると、ビルマ語(ミャンマー語)が返ってきた。珍しく彼はビルマ語が話せるマティカという村人だった。彼の話だと、ここサントン村には120家族で840名ほど住んでいて、さっきまで我々がいたマッチャン村はこのサントン村から別れてできた村だという。 

    「最近まで村は自給自足で金は全然いらなかった。でも、今では金が必要なんでラヘーに働きに行っているよ。ほら、ソーラーパネルも買わなきゃいけない」

    と、家の横に立てられたソーラーパネルを指さした。この村でもバイクを持っている人が何人かいるという。つい最近まで自給自足の生活だったのが、一気にソーラーパネルやバイクが流入してきた。それらと一緒に我々外国人も流入してきたわけだ。

    マティカの家のソーラーパネル

    マティカの家のソーラーパネル

    マティカの家で出会った少女。恥ずかしがりながらもしばらくついてきた。

    マティカの家で出会った少女。恥ずかしがりながらもしばらくついてきた。

    頂上はもうちょっとだ。両脇に家が並ぶ村の坂をゆっくりと登る。おっ、子どもたちがいた。杵と臼で脱穀をしている。またまた「ペーチャーガティ」で挨拶した後、ビルマ語で「写真を撮るね」とカメラを向けた。お姉ちゃんのほうは最初は何がなんだか分からなかったようできょとんとしたが、すぐに走って家の中に入っていった。驚かせてしまったようだ。外国人がラヘーの奥の村まで来るようになったのは去年からで、それも少数だ。

    頂上まであとわずか。道の両側に家が並ぶ。

    頂上まであとわずか。道の両側に家が並ぶ。

    頂上についた。頂上は藪になっているだけで何もなかった。頂上から奥も藪が続きその向こうにはもう少し高い山に続いていた。ここまでけっこう時間がかかった。ナッサヤーの家の出て30分くらいだろうか。誰にも言わずにここまで来たので、今頃私を探しているかもしれない。早く戻ることにした。 

    かなり上まで来てしまった。

    かなり上まで来てしまった。

    また雲の中に入った村をどんどん降りていく。村の入り口あたりまで来たが誰もいない。まあそのうち誰か来るだろうと待っていると、パンパンパオンとバイクがやって来て、みんなと合流できた。

    「これから首輪を付けなきゃね」

    などと言われながら、ラヘーへと帰途についた。 

    ラヘーへと、帰途を急いだ

    ラヘーへと、帰途を急いだ

    ドライバーは早く帰りたいようで、バイクを飛ばす。そのうち雨が降ってきたと思うと、土砂降りになった。落ちないようバイクにしがみつくこと1時間、やっとラヘーに着いた。

  • 次の村はすぐ近く、バイクは軽快に走って・・・ あれ? なかなか着かない。ドライバーのタンウィンもちょっと気になったようで、来た道を引き返す。向こうから1台やって来た。どうも、道を間違えてしまったようだ。まあ、気がついてよかった。そこからすぐにサントン村に着いた。この村も人の気配があまりない。子どもたちが遠巻きに顔を覗かせるだけだ。

    あっという間に村は雲の中

    あっという間に村は雲の中

    赤ん坊を背負っている子どもたち

    赤ん坊を背負っている子どもたち

    この村にビルマ語が達者な人が一人いるということで、その家に向かった。ナッサヤーだった。ミャンマーでは、ビルマ族の土着の精霊信仰をナッという。今ではビルマ族だけでなく、他の民族の精霊信仰もナッと総称している。サヤーは先生なので直訳すると「精霊信仰の先生」、祈祷師や霊媒師などのことになる。

    でも、ここのナッサヤーは祈祷師や霊媒師といったおどろおどろしさは全くなかった。おしゃべりでひょうきん者のナッサヤーだ。最初からずっと思いつくまましゃべり続けている。ときどき、竹筒から酒を飲みニカッと笑う。この笑顔がかわいらしい。相手にはお構いなしにずっと早口で話しをしているので、結局何を言っていたのか2ヶ月経った今ではすっかり忘れてしまった。私の記憶力の問題もあるが、たいしたことは話してなかったのだろう。

    愛嬌のあるナッサヤー

    愛嬌のあるナッサヤー

    そうだ、ひとつ思い出した。私がナッサヤーの写真を何枚も撮っていると、
    「だめだね」
    と、ダメ出しを食らってしまった。
    「今のカメラはちっちゃいんだ。そんな大きなカメラはだめだね」
    私のカメラはだめカメラに認定されてしまった。

    忘れようがないこともひとつ、ナッサヤーには秘密があった。だめカメラでこの秘密を撮ったが、ブログにはこの写真は出せない。どうしても知りたい人は直接ナッサヤーに会いに行ってほしい。

    そうだ、もうひとつあった。ナッサヤーのところに若い男の客が来た。青年は我々に遠慮して奥の部屋に引っ込んだが、私も彼の後を追った。ビルマ語を話せる彼は、自分は中国人だと言った。文化大革命のころ、両親が中国から渡ってきたという。文化大革命で中国からミャンマーに逃げてきた人たちは多いらしい。そして、両親はシンディーに住みついた。

    「シンディーという地名は中国語だというのを知ってる?」
    始めて聞く話だった。その頃、シンディーは何もない土地だったが、中国人がたくさん渡ってきて村を作ったという。そうか、シンディーは文化大革命が原因でできた村だったのか。あの怪しい骨董屋のおばあちゃんも、文化大革命の混乱で逃げてきたのかもしれない。

    後で聞いた話だが、シンディーは「興地」と中国語で書く。たしかに興地は中国語でシンディーと発音する。中国から逃げてきた人たちの気構えが感じられる地名だ。カムティーといいシンディーといい、地名には歴史が潜んでいた。

    注)ナガに詳しいD先生からシンディーの名について指摘された。有名な作家、ルドゥ・ウ・フラが1967年3月にナガ丘陵を訪ねた著書「ナガ丘陵瞥見」で、シンディの地名が出てきている。文革の年代を考えると、文革で逃げてきた中国人がシンディを作ったとは考えられない。ということは、もともとあったシンディーという地名に中国人が興地という文字を当て字で付けたというのが正しい解釈のようだ。

    ナガでよく見る竹

    ナガでよく見る竹

    ナガの村は絵になる

    ナガの村は絵になる

  • ナガの旅は休んで、今日はサッカーの話題だ。昨日の28日、ミャンマー代表対セレッソ大阪の試合を見に行った。Yanmar Cup と銘打ったこの試合の正式名称は、

    「日本ミャンマー外交関係樹立60周年記念日本財団チャリティマッチ ヤンマーカップ ミャンマー代表VSセレッソ大阪」

    長い! それにしても、ミャンマーでヤンマーカップは舌を噛みそうだ。

    MYANMAR NATIONAL TEAM vs CEREZO OSAKA YANMAR CUP と書かれたチケット

    MYANMAR NATIONAL TEAM vs CEREZO OSAKA YANMAR CUP と書かれたチケット

    友人の車でスタジアムに着いたのは開始時間の17時ちょうどくらい。スタジアムの中に入った時にはもう試合が始まっていた。我々が座ったのは正面スタンドの向かい側の席だ。正面スタンドは7割程度の入りでけっこう人がいた。ゴール側スタンドは誰もいない。我々のスタンドは3割くらいの入りだ。空はどんよりとして、雨が降りそうな気配。雨季の時期は夕方が一番降りやすい時間帯なので、傘も忘れずに持ってきた。その代わり、財布を忘れてきたけど。ちなみに、このトゥワナスタジアムは1987年に日本の無償資金協力によってできた競技場だ。

    正面スタンドには日本からのサッカーツアー客の団体もいる。

    正面スタンドには日本からのサッカーツアー客の団体もいる。

    試合はセレッソ大阪が押している。7割近くはセレッソボールだ。それでも両チームとも点はなかなか入らない。一度、セレッソがミャンマーのゴールを割ったが、主審がピッピーと笛をならした。よく分からないが、反則があったようでノーゴールだった。ミャンマー人は大喜びだった。そのうち、空の様子がおかしくなってきた。黒い雲が押し寄せてきたのだ。風も急に強くなり、パラパラと雨が落ちてきたと思ったら、すぐに本降りになった。屋根のない下の方の席にいた人たちが一斉に上に移動してきた。そして、あっという間に土砂降りになった。

    土砂降りになり、観客が移動してきた。

    土砂降りになり、観客が移動してきた。

    土砂降りでもゲームは続いていた。そして、ハーフタイム。チアリーダーによるチアダンスが始まった。でも、正面スタンド前なので、残念ながらこちらからは遠くてよく見えない。チアリーダーも大阪から来たらしい。

    土砂降りの中でも試合は続く。

    土砂降りの中でも試合は続く。

    後半が始まった。空が少しずつ暗くなってきたころ、セレッソ大阪に点が入った。意外や意外、こちらの席に座っているミャンマー人の一部から喜ぶ声援が聞こえた。親善試合だし親日的なミャンマー、和気あいあいとした雰囲気で、緊張感があまりない。

    さっき土砂降りの雨が降ったばかりだが、西の空が赤くなってきた。そろそろ90分も近づいてきたようだ。まだ時間が残っているがミャンマ人の観客が帰り始めた。

    試合も終わりに近づいてきた。

    試合も終わりに近づいてきた。

    西の空が色づいてきた。

    西の空が色づいてきた。

    スタジアムの後ろは紫色だった

    スタジアムの後ろは紫色だった

     

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