近況報告または感想です title-s.gif (1232 バイト)

 

1999年11月18日

ひさびさの新規写真アップです。今年の5月に行ったときの写真。インドージ湖畔のロンドン村です。ここでの鹿狩は面白かった。なんと湖の中での鹿狩りです。

ラペッイエサイン(喫茶店)でミルクティーを飲んでいたら、村人たちがワイワイガヤガヤ湖の方に走って行きます。なんだなんだ。私もつれられて行くと、みんな湖の方を指差していたのです。聞くと、鹿が泳いでいるとのこと。そんなまた冗談を。男たちを乗せた舟が漕ぎ出した。しばらくすると、パーン、パーンと銃声。舟が戻ってくると確かに鹿だ。時々、犬に追われた鹿が湖へ逃げるという。こんな鹿狩りが見られるのはここだけかもしれません。

1999年10月5日

このコーナーへのひさしぶりの書き込みです。トップページを見て分かるように、トップの色と全ページのリンクの色を変えてみました。リンクの色の書き換えは全部で1000ページ以上になりましたが、この GoLive で一気に。今まではマイクロソフトのFrontPage を使ってましたけど、これよりずっといいです。でも、めちゃくちゃ重い。それによく落ちます。特に日本語入力しているとき。初めての Windows版のせいか。なんとかしてほしいです。

掲示板も新しく始めました。みなさん、気楽に書きこんでください。これはデータベースソフトの File Maker の機能を使ってます。KEY Planning さんが公開しているGuest Bookを一部変更して作りました。

最近のミャンマー関係のニュースというと例のバンコクでの大使館事件ですねえ。 VBSW というグループは初めて聞く名前ですが、何のためにやったんでしょうか。軍政府があの要求を飲むわけないというのは最初から分かっていたはずです。ニュースになって世界の注目をあびたかったのだという説がありますが、たぶん彼らの目的はこれなんでしょう。でもこんなこんなやり方だと、民主化勢力はテロリストと同じだというように思われてれてしまいますね。

1999年8月16日

昨日、深川祭りに行ってきました。3年に一度の大祭で、水かけをする祭りなんです。ミャンマーの水かけとは違い、神輿の担ぎ手にかけるんですが、その水が観客の方にも飛んで来たりしてみんなキャキャ言いながら楽しんでいました。消防署の人たちもにこにこしながらホースで水かけをして面白かったですよ。

私が初めてアジアの一人旅に出たときに中国で知り合った写真家の小峯さんがホームページをアップしました。APSARASというインドの天女の名前を付けたページです。もしあのとき小峯さんと出会わなければ私も写真をやっていたかどうか・・・。写真を始めたりミャンマーに入れこんだりしているのも、ちょっとしたきっかけなんですよねえ。ということで、APSARASをぜひ見てみてください。写真やエッセイが充実しているのはもちろんですが、ページの作りも立派です。パソコンをはじめてまだ1年しか経っていないとは思えません。きっとパソコンの師匠(実は私)が良かったんだ。

1999年8月4日

やっと新作写真を載せました。これは2月に撮ったものだからもう6ヶ月前だ。他にもたまっている写真がありますから、もうちょっと待ってください。少しずつアップしていきます。

トップページの写真も入れ替えました。この少女、見覚えがありませんか。前々回のトップページに載せていた少女と同じです。ただし、前々回は去年、今回は今年撮った写真です。この年頃の少女は1年でもがらっと変わるんですね。

家にはエアコンがありません。最近では珍しいみたい。汗をいっぱいかいて気持ちいいですよ。暑さ馴れるて夏バテにもかからない。それに、暑いといっても体温よりは低いので風がちょっとでも吹けば涼しい。ミャンマーやインドでの40度以上の暑さと比べりゃなんともないです。エアコンやめれば健康にいいし電気代はかからないし、いいことだらけです。

1999年8月3日

ミャンマーでは普通の電話から国際電話をかける場合、オペレータ・コールになっていました。5分400チャット弱(1分20円ちょっと)だったので非常に安いのですが、なかなかつながらず3時間以上待つなんてざらでした。それに5分経つと強制的に切れれてました。それが8月からヤンゴンやマンダレー等の主要都市でダイレクト・コールができるようになりました。新聞によるとドルかFEC払いと書かれてますが、ヤンゴン在住の友人の話だとバンコクまで3分2000チャットだということです。日本より高い!

今日、ミャンマーからの本というページを新規にアップしました。ヤンゴンのMinami Co., Ltd. という会社をやっている春日さんと知り合い、私のホームページに載せようということになったんです。いい本なんでぜひごらんを。

一昨日、「新規写真のアップはまだなのか」とせっつかれてしまいました。ごめんなさい。いろいろ忙しくて。写真のスキャンは終わっているんですが、アップするためにはページの作成をやらなきゃいけないのでもうちょっと待ってください。いつ? う〜ん、あと2週間ぐらいかな・・・。

1999年7月28日

Campurがやっとあるていど見られるようになりました。去年の9月くらいから始めましたから、10ヶ月もかかったのか・・・。これは友人のカメラマンたちと始めたサイトで現在アジアの写真を4,468枚をキーワード検索で見ることができます。たぶん、これは日本では最も枚数が多いのでは。世界では、500万枚を誇るCobisには負けますが、あそこはライブラリとして貸し出せる枚数はずっと少なくなります。同じくアメリカのPhotoDiskも枚数が多いですが、アジアの写真だけだと、Campurの方が多いでしょう。とまあ、今回は宣伝でした。

もう一つ話題を。池袋のミャンマーレストラン「アミーナ」が閉店になりました。ダンバウがおいしい店だったのに。ビルのオーナーの知り合いがそこに新しく店を出したいから店舗の契約更改拒否されたそうです。ひどいよなあ。いい物件が見つかればまたレストランをやりたいということなので、また始めることができたら情報を載せます。

1999年7月17日

下の日付を見ると、ちょうど4ヶ月前。やっぱり私はナマケモノです。今日の更新はリンク集だけ。写真はもうちょっと待ってください。
最近、Campurというホームページを作ってるんです。アジアの写真のライブラリです。でも、レンタルサーバのトラブルによりまだアクセスできません。来週中にはなんとか。

1999年3月17日

2月5日より訪緬していましたが、3月13日に帰ってきました。今回は、ヤンゴン、バガン、パカンジー、ホーピン、インドージ湖、ミッチーナ、チャイティヨに行ってきました。報告をぼちぼち載せていきます。新作写真についてはこれから現像、整理が待っていますので、しばらくお待ちを。

1998年12月21日

島村さんと初めてお会いしたのが、ちょうど1年前。島村さんから数多い戦前のビルマの写真を見せてもらい、素晴らしさにびっくりしました。スキャナーで取り込んでデジタル化を始めたのですが、なかなか進んでいません。やっと一部をアップしました。非常に貴重な写真ですので、何かの形にしてまとめたいと思っています。ホームページでも一部を紹介していきます。島村さんからお聞きしたのですが、戦前のビルマで生活していた日本人たちでビルマワラ会というグループを作っていたそうですが、これについて知っている方がいましたら、ぜひともをください。

1999年3月17日
ビルマワラ会の語源が分かりました。ワラというのはヒンディー語で、「人々」というような意味があるそうです。インドワラ会というのもあったそうです。まさかヒンディー語だとは思っていませんでした。ビルマワラ会というのは、「ビルマにいた人たちの会」という意味でしょう。

1998年11月12日

MXTVのテレビを見ました。なんか変。自分の声を初めてカセットテープで聞いたときを思い出しました。他人から見た自分というのをあらためて認識しました。テレビの向こうに写っていたのは変なやつでした。で、そいつは進行役の槙野さんから、「ミャンマーのどこにそんなに惹かれたか」という質問にうまく答えられなかった。

徹夜明けでボーとしていた頭だったせいか、多少あがっていたためか、もともとボケているためか・・・。一般の人に分かりやすく的確に答えるのは難しいですね。いろんな言葉が頭の中を巡りましたが、結局出てきたのは何だか分からない説明。

今回はいろいろと勉強になりました。今度また同じようなことがあったら(もうお呼びでない?)もっとシャキッとしよう。

1998年8月2日

新作写真第2弾はイェジィンにしました。ヤンゴンとマンダレーの間にあるピンマナの近くの町(村)です。ここには日本の援助で作ったシードバンク(種子銀行)があり、日本人技術者も何人かいます。シャン州境の山のふもとにあり、上ビルマと下ビルマのちょうど中間の気候です。そのせいか、気持ちのいいところで「光がきれい」という印象です。

1998年8月1日

帰国してもう一ヶ月たちました。で、やっと新作写真第一弾としてバゴー編をアップしました。その他の写真もたくさんあるんですが、もうちょっとお待ちを。

1998年7月8日

6月の27日にミャンマーから帰ってきました。今回は2ヶ月半ほど。5月は暑かった〜。30年ぶりの記録的酷暑ということで47度も経験しました。報告および新作写真はおいおいということで、ひさしぶりの書き込みでした。

1998年3月31日

27日、28日、29日と写真展のために松本に行ってきました。落ち着いていい町でした。いい町というのにはもう一つ理由があります。PHSをなくしたのに気がついたのが28日。いろいろ捜したら、前日の夜に飲みに行った店に落としていたのです。店の人がちゃんと保管してくれてました。私はミャンマーで貴重品を3回なくして(1回はパスポートとお金)全て出てきたという記録の持ち主ですが、松本でもおかげさまで助かりました。拾ってくれた方に感謝。

感謝というと、二度ほどメールでやりとりしただけの横浜のSさんが友人と一緒にわざわざ会場まで来てくれたのには驚きました。本当にありがたいです。それに東京や千葉から来てくれた友人のみなさんありがとうございます。

もう一つ感謝。写真展の準備を3日前から始めたのですが、もうめちゃくちゃ。ほとんど寝る時間もありませんでした。こんな状態のときに手伝ってくれたOさんとKさんには助かりました。本当は私がもうちょっと早く準備を始めればよかったのですが・・・。

1998年3月12日

来月の4月初めから3ヶ月ばかりミャンマーに行ってきます。ちょうど一年ぶりです。3ヶ月といっても2ヶ月になるかもしれないし、5ヶ月になるかもしれないです。ということで、そろそろ準備を始めなきゃいけないのに、最近めちゃくちゃ忙しくなってきました。なんでだろう。そういや、そろそろ約束の時間だということで家を出ようとすると、急に他の用事が入ってきたり、久しぶりに早く寝たら夜中に間違い電話がかかってきたり、実はさっきその間違い電話で目が覚めてしまったのです。それで寝られなくなってしまった。で、うだうだとこんなことを書いています。

1998年3月7日

今私が通っているビルマ語教室でビルマ語テキスト作成計画進行中。先生が今まで作った資料を元に、生徒たちの中の有志が協力してまとめます。出版社にもあたってみて、できれば出版する予定です。これができれば、今までの一般向けビルマ語テキストの中では一番いいものになるはずです。今年中にはなんとか。

1998年3月3日

またまた更新しました。今度はなんと宣伝です。書いちゃ消し、書いちゃ消しだったので、ずいぶんと時間がかかってしまった。自分の仕事を宣伝するのは難しいです。これじゃ営業マンには絶対になれないなあ。

明日ライブコンサートをする千喜良さんとさっきまで電話で話をしてました。シャン族の服を着てのステージは確実です。ミャンマーの歌を歌うかはまだ決断つかず。彼は恥ずかしがってました。なんだか、ビルマ人みたい。今のところ客は10名ちょっとの予定。彼にとっては大盛況だそうです。でも30名は入れる店だそうですので、立ち見が出るくらいになってほしい。みなさん、駆けつけましょう。といっても、宣伝がちょっと遅すぎたか。そうそう、肝心な曲ですが、生ギターによるブルースっぽいオリジナルが中心です。

Yahoo Internet Guide 4月号に「血の絆」公式ホームページ 「VIVA! Myanmar」 が紹介されました。やっぱり自分が関係したものが掲載されると嬉しいです。いつもはこの雑誌を買わないのに気が付いたときはレジの前でした。そういや、もう一冊持っているのです。2月号です。知っている人もいるかもしれないですが、「エーヤーワディのほとり」が紹介されました。それも今月の1本。いや〜、嬉しかった。そのときには、これを機会にこれから真面目に更新をやろう、なんて自分で誓っときながら・・・。

1998年3月1日

ひさしぶりに更新しました。3ヶ月ぶりです。長かったなあ。あきらめていた人もいるかもしれないですね。これからはもうちょっと真面目にやりますから許して下さい。ということで、何もなくても気軽にアップできるよう、このページを新しく作りました。

で、今まで何をしていたかというとで。
今年から写真&ミャンマー関係の仕事に専念することになりました。去年まではコンピュータソフトの仕事もやってたんです。まず第一弾として、日緬合作映画「血の絆」のホームページ VIVA! Myanmar のミャンマー部分を手伝っていました。もう一つはミャンマーツアーの企画の仕事です。これについてはまた後ほど報告ということで。


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