• 地震, 日本 2011/06/13

    ちょっと前に東北へ行ってきた。
    友人が運転する軽のワゴンに被災地に届ける荷物を詰め込んで出発した。これらの物資を購入するのに、ヤンゴンに住むミャンマー人や、在日ミャンマー人からの寄附があった。ミャンマーでは3年前にサイクロン、ナルギスによって14万人ばかりの犠牲者が出た。そのときに日本からもたくさんの援助が届いたということで、私のミャンマー人の友人もヤンゴンから送ってくれた。ナルギスのことはよく憶えているが、それから3年後、まさか日本でこんな大きな災害が起きるとはあのとき夢にも思ってなかった。

    購入した物資

    荷物を送る場所は「ふんばろう東日本」で見て選んだ。ふんばろう東日本は、支援物資を求める避難所や個人がふんばろう東日本のホームページに書き込む。それを見た人がアマゾンなどで購入して届け先を被災者にするいう、被災者と支援者を直接結ぶというネットを活用したシステムだ。

    まず石巻市内を通り、牡鹿半島の蛤浜に向かう。石巻の沿岸部に近づくと津波が破壊した跡が見えてきた。写真やPCのモニタでは何度も見ていても、実際に目の前で見ると圧倒される。言葉では言い表せない。

    雄鹿半島の蛤浜という全9戸の小さな浜に着いた。4戸が津波で全壊し、一軒の家が避難所がわりになっている。被災後しばらくは自衛隊以外の支援の手がほとんどなかったが、ふんばろう東北のようなネットを最近利用するようになってかなりの物資が届くようになったらしい。大きな避難所には援助物資が置き場所がないほど届いているが、小さな避難所や個人避難には困っているところが多いようだ。全壊した家や流された車はほとんどそのまま手つかずの状態だ。漁船も流されてしまって先のことを考える余裕もないようだった。でも、子供だけは元気に瓦礫の中を走り回っていた。

    海岸近くは津波が襲ってきた

    次は石巻市の内陸部にある田園地帯に向かった。宮城県の沿岸地帯はどこも津波で壊滅的な状態だったが、内陸部は外から見るとほとんど被害がないように見える(実は違うのだが)。でもこの田園地帯は違った。10軒に1軒くらいの割合で全壊している家があった。地盤のちがいなんだろうか。荷物を届けたのはそんな家のひとつ。家に住めなくなって、使い古した工事現場用プレハブを譲ってもらい、それを庭に移設して生活していた。今回は津波の被害があまりにも大きいので、この家のように内陸部への援助はほとんどないらしい。

    この日の仕事はこれで終わり、寝床になる長沼キャンプ場に向かった。

    Posted by 後藤 修身 @ 00:49

  • 2 Responses

    • すごいことだったんだね。ニュースでもインターネットでも再三再四見たけど、やっぱりすごいんだね、現地は。ごとさんのこの活動、すごいね。

    • 本当にこんなことが起こるんですね。実際に現場を見ると言葉が見つかりません。

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