• 地震, 日本 2011/06/14

    翌朝、栗原市に向かった。ここを拠点に活動している「小さな避難所と集落をまわるボランティア」の手伝いをするためだ。ネットで偶然見つけたのだが、実際に何をするかは行ってみないと分からない。ただ、「小さな避難所と集落」という言葉に惹かれた。

    3時間後、我々の車は布団セールス部隊の車に変わった。布団が必要なところを探して配って回るのだ。もちろん布団は無料だ。60枚ともなれば掛布団だけでもかなり量があるし重い。軽のワゴンにぎゅうぎゅう積めになった。その他に多少の服や雑貨類を詰め込む。まず向かったのは唐桑半島の付け根あたりにある集落だ。ここも海に近い場所は壊滅状態だが、集落の奥の方は津波を逃れた家があった。その一軒に布団を届けた。そこの奥さん、日本語がたどたどしい。何と中国の黒竜江省から嫁に来た人だった。地震のときはたまたま中国にいて、地震後に戻ってきたらしい。この集落には他に中国人妻が二名いるという。こんなときじゃなければ黒竜江省のことをいろいろと聞きたいがそういうわけにもいかない。

    全壊を免れた家

    この集落までは、ボランティア先輩組の車と一緒に回っていろいろと教えてもらった。次からは友人と私の二人で回らないといけない。どこに行けばいい?「匂いを嗅げ」との先輩の一言だった。ということで、匂いは分からなかったがとにかく北へ向かった。

    海岸沿いを走ると小さな集落が見えてくる。匂うぞ!と勇んで避難所に行っても「物資はもういっぱいなんです」と、なかなか難しかった。先輩組と分かれた後はなかなか布団は捌けなかったが、時間だけは過ぎていった。やはりそんなに甘いもんじゃない。夕方が近づいてきた。そろそろ店じまいをしなければいけない。今日の宿泊地に向かった。

    走っても走っても津波の跡が続く

    海岸沿いを走る気仙沼線はいたるところで分断されている

    そこは被災者宅だった。このボランティアをやっている方が支援活動の中で親しくなった方の家だ。我々は全然面識がなかったが、ずうずうしくもおじゃますることになった。

    すでに7人が集まっていた。電気がない部屋の中でLEDランプが青白く光り、テーブルの真ん中には大きな鍋、仏壇に犠牲になった娘さんの写真があった。津波がなければ出会わなかった人たちだが、7人は同士のように見えた。我々はほとんど聞き役だったが、静かで深くて楽しい夜だった。

    Posted by 後藤 修身 @ 02:18

  • One Response

    • 匂い、ですかー
      サバイバーらしい言葉ですねえ、
      実際、人間もただの弱く小さき生き物
      (こういう天災や自然に向かうと実にそう思われます)
      つまるところ、本能や直感がものをいうときがありますよね。

      これまでの幾多のご旅行でも実感されてきたと思いますが^^

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