• 今日、ヤンゴンから成田行きのANA便に乗る。11月28, 29日に行われる「ミャンマー祭り」で、写真展「チョーミン楽団が行く」を開くためだ。

    写真展の会場は東京の増上寺にある慈雲閣。時間のある方は見に来てほしい。

    写真展のための解説文がこちら。

    初めてのビルマ、今のミャンマー

    バンコクから飛び立った古いフォッカー機は20人ほどの客を乗せラングーン(ヤンゴン)のミンガラドン空港に到着した。何もない薄暗い空港を出ると、タクシーが1台だけ客待ちをしていた。ドアがちゃんと閉まらないボロボロのアメ車だった。夕暮れが迫った穴だらけの道をタクシーはガタガタ音をたてながら走った。町が見えてきた。道の両側にはろうそくで照らされた露店が並んでいた。そこをロンジーをゆっくりと揺らしながら人々が歩いていた。まるで影絵のような世界、1987年のビルマだった。

    中国のトルファンで出会った旅行者から聞いた「ビルマは夢のような国だ」という言葉に導かれるようにして訪れたビルマ、当時はネウィンによる独裁で社会主義で鎖国政策をしていた頃だった。そのビルマはどの国とも違っていた。

    ダウンタウンに立ち並ぶコロニアル調の建物は薄汚れて巨大な廃墟のようだった。夜になると停電で街は暗闇、ホタルの光のようにあちこちでロウソクの灯が揺れていた。車がほとんど見当たらないため歩行者天国と化したメインストリートでは、青年たちが道路の真ん中でギターを鳴らしながら歌っていた。

    路上喫茶店では「外国人は初めてだからお代はいらないよ」と言われ、食堂では見知らぬ人が知らないうちに私の食事代を払っていた。宿泊したYMCAでは「友だちが送ってきました。何て書いてますか?」と、日本語で書かれた古い年賀状を初老の男から渡された。シュエダゴンパゴダでは「山本少尉はとても親切でした」とたどたどしい日本語で話しかけられ、彼の家族に歓待された。

    ビルマは戦後間もない時期から時間が止まっていた。でも、そこで出会ったのはにこやかで奥ゆかしい、そう、たおやかな人たちだった。トルファンで聞いた言葉は本当だった。ビルマは外国人旅行者にとって本当に夢のような国だった。

    私はビルマの虜になった。しかし翌年、ビルマに政治的混乱が起き、私が次に入国できたのは1994年だった。それから毎年のようにミャンマーを訪れるようになった。そして、2012年からはとうとうヤンゴンの住人になった。

    28年前の「夢のような国」と比べ、今のミャンマーは大きく変わった。特にヤンゴンだ。若者はロンジー(腰巻き)よりジーンズを好むようになり、女性が酒を飲むようになり、どこも渋滞だらけになり、土地の価格は東京並みになり、ショッピングセンターで何でも買えるようになり、お金の話しをするようになり・・・ だんだんと、普通の国になってきた。

    でも変わらないミャンマーもある。特に地方に行くと昔からのミャンマーに出会うことができる。そして、ミャンマーのもうひとつの大きな魅力は多様な民族だ。違う文化を持ち違う言葉を持ち違う宗教を持つ。仏教とパゴダだけではないミャンマーがそこにはある。

    これからも、変わっていくミャンマー、変わらないミャンマー、そして多様なミャンマーを見続けていきたい。

    写真展「チョーミン楽団が行く!」

    仏教遺跡で有名なバガンから車で1時間半ほどのところにチャウッパダウンという町がある。近くにあるポッパ山が有名なくらいで他に何の変哲もない町だ、と思っていた。しかし、ここにはサインワインという伝統音楽の楽団が60以上もある町だった。私はそれらの楽団のひとつ「チョーミン楽団」と偶然知り合った。

    驚いた。サインワイン楽団の演奏がこんなに素晴らしいものだったとは。もちろんサインワイン楽団自体は以前から知っていたし、ステージでの演奏やテレビでの演奏は何度も見ている。しかし、深夜まで村で行われる演奏を目の前で見たのは初めてだった。

    ピタリと息の合った超絶技巧の演奏、美しくてアクロバティックな踊りで観客の心をつかむ踊り子、会場を笑いの渦にする漫才コンビ、全てが渾然一体となった「エンターテイメント」だった。それが深夜3時頃まで続く。電気も来ていない小さな村でこんな一流のエンターテイメントに出会えたのは衝撃だった。一流といっても、一部の人たちが喜ぶ高尚なものとは違う。下ネタがポンポンと飛び出し、踊り子も下ネタに反応して言い返す。サインワインのリーダーもそれに合いの手を入れる。観客は大爆笑だ。言葉があまりわからない私もおかしくて大笑いしてしまった。

    サインワイン楽団の演奏はチャウッパダウンのようなアニャー(上ビルマ、中央乾燥地帯)で特に盛んだ。村で子供のシンピュー(得度式)や寺への寄進式を行うときに、式の主催者がサインワイン楽団を呼ぶ。仏教と深く結びついている。最近は費用がかかるということで、楽団を呼ばずにCD再生で済ますところも増えてきたが、まだ上ビルマでは楽団を呼ぶ村が多い。電気もないテレビもない村にとっては一大娯楽だ。

    サインワイン(パッワイン)は、大小の鼓がずらりと環状に並んだ楽器で、リズム楽器でもありメロディー楽器でもあるというミャンマーにしかない不思議な楽器だ。この楽器を演奏する人が楽団のリーダーでもある。サインワインの名手が繰り出す演奏は超絶技巧そのものだ。フネーと呼ばれるチャルメラに似たリード楽器はサインワイン以上に音が目立つ。これも名手の手にかかると、フリージャズのトランペットのように縦横無尽に音が駆け巡る。小さめの金属製ゴングがサインワインと同じように環状に並んだチーワイン、各ゴングから放たれた音は天上から降り注ぐ響きだ。他にも何種類かの楽器、歌手、漫才師が揃ってサインワイン楽団となる。

    サインワイン楽団が演奏をするのは11月から4月の乾季の間だけだ。後の半年は雨季になるので演奏はない。その間、リーダー以外の楽団員はそれぞれの村に戻り、農作業などの本来の仕事をする。演奏する人たちも村人なのだ。村で生まれ村で演奏する音楽。そう、サインワイン楽団は保存された伝統音楽ではない、生きている今の音楽だ。

    今回の写真展では、今年の4月に撮った写真を紹介する。チャウッパダウンから楽団員と一緒にトラックの荷台に乗り、村まで2〜3時間ほど。日中は40度を超える気温の中、演奏は深夜3時まで続いていた。私が受けた感動を少しでも伝えることができたら幸いだ。

    友人の石谷崇史氏によるドキュメンタリー映画「チョーミン楽団が行く!」が制作進行中。2017年に公開予定なので乞うご期待。

    写真展で展示する写真を何枚か公開します。

    さあ、ニャウンラ村へ出発

    さあ、ニャウンラ村へ出発

    さあ、始まった

    さあ、始まった

    エーワディーティンの登場だ

    エーワディーティンの登場だ

    息もぴったり

    息もぴったり

    コントに大笑い

    コントに大笑い

    サインワイン(パッワイン)の調律は入念に

    サインワイン(パッワイン)の調律は入念に

    一瞬の音に集中

    一瞬の音に集中

    楽しき荷台

    楽しき荷台

     

  • 日本で活躍するミャンマー人タレント、黒宮ニイナさんの本が出た。黒宮ニイナのミャンマー・ステイ 旅のフレーズ&フォトだ。

    「黒宮ニイナの ミャンマー・ステイ 旅のフレーズ&フォト」の表紙

    「黒宮ニイナの ミャンマー・ステイ」の表紙

    実はこの本の中にあるミャンマーでの写真、9割くらいは私が撮った写真だ。去年と今年2回に分けてヤンゴンで撮影した。日本風の名前が付いているが、彼女はミャンマー人の両親の元でミャンマーで生まれた。小学校5年生のころ親とともに日本に移住した。彼女は全くの日本人ネイティブの発音で、言われないとミャンマー人とはわからない。

    私は、彼女の写真をなぜか日本で撮ったことがある。2012年の東京だ。そのときの写真はこちらミャンマーと東京タワーと映画(本田晋&黒宮ニイナ)

    今回撮影して気がついたのが、細い! 以前よりも痩せたのかミャンマーだからそう見えるのか、背が高くて細い。おまけに美人だから、撮影中じゃなくても彼女は目立っていた。

    この本には彼女の写真がいっぱい載っているので、ニイナファンにおすすめ。また、ビルマ語(ミャンマー語)の会話本にもなってる。というか、メインはこっちだな。ビルマ語に関する部分は、JMCCのヘーマーさんが全面的に関わっている。

    最後にこのブログの特典として、彼女の未公開写真を大公開します。気に入った人は本を買うように

    シュエダゴンパゴダにやってきた

    シュエダゴンパゴダにやってきた

    ろうそくに照らされて

    ろうそくに照らされて

    ボウタタウンパゴダで黄金の女?

    ボウタタウンパゴダで黄金の女?

    公園でボール遊び

    公園でボール遊び

    ラペッイエサイン(ティーショップ)の少年と記念撮影

    ラペッイエサイン(ティーショップ)の少年と記念撮影

    ボージョーマーケットで宝石に見入る

    ボージョーマーケットで宝石に見入る

    野菜市場でお買い物

    野菜市場でお買い物

    シュエダゴンパゴダの参道

    シュエダゴンパゴダの参道

    さようなら

    さようなら

  • ナガの旅は休んで、今日はサッカーの話題だ。昨日の28日、ミャンマー代表対セレッソ大阪の試合を見に行った。Yanmar Cup と銘打ったこの試合の正式名称は、

    「日本ミャンマー外交関係樹立60周年記念日本財団チャリティマッチ ヤンマーカップ ミャンマー代表VSセレッソ大阪」

    長い! それにしても、ミャンマーでヤンマーカップは舌を噛みそうだ。

    MYANMAR NATIONAL TEAM vs CEREZO OSAKA YANMAR CUP と書かれたチケット

    MYANMAR NATIONAL TEAM vs CEREZO OSAKA YANMAR CUP と書かれたチケット

    友人の車でスタジアムに着いたのは開始時間の17時ちょうどくらい。スタジアムの中に入った時にはもう試合が始まっていた。我々が座ったのは正面スタンドの向かい側の席だ。正面スタンドは7割程度の入りでけっこう人がいた。ゴール側スタンドは誰もいない。我々のスタンドは3割くらいの入りだ。空はどんよりとして、雨が降りそうな気配。雨季の時期は夕方が一番降りやすい時間帯なので、傘も忘れずに持ってきた。その代わり、財布を忘れてきたけど。ちなみに、このトゥワナスタジアムは1987年に日本の無償資金協力によってできた競技場だ。

    正面スタンドには日本からのサッカーツアー客の団体もいる。

    正面スタンドには日本からのサッカーツアー客の団体もいる。

    試合はセレッソ大阪が押している。7割近くはセレッソボールだ。それでも両チームとも点はなかなか入らない。一度、セレッソがミャンマーのゴールを割ったが、主審がピッピーと笛をならした。よく分からないが、反則があったようでノーゴールだった。ミャンマー人は大喜びだった。そのうち、空の様子がおかしくなってきた。黒い雲が押し寄せてきたのだ。風も急に強くなり、パラパラと雨が落ちてきたと思ったら、すぐに本降りになった。屋根のない下の方の席にいた人たちが一斉に上に移動してきた。そして、あっという間に土砂降りになった。

    土砂降りになり、観客が移動してきた。

    土砂降りになり、観客が移動してきた。

    土砂降りでもゲームは続いていた。そして、ハーフタイム。チアリーダーによるチアダンスが始まった。でも、正面スタンド前なので、残念ながらこちらからは遠くてよく見えない。チアリーダーも大阪から来たらしい。

    土砂降りの中でも試合は続く。

    土砂降りの中でも試合は続く。

    後半が始まった。空が少しずつ暗くなってきたころ、セレッソ大阪に点が入った。意外や意外、こちらの席に座っているミャンマー人の一部から喜ぶ声援が聞こえた。親善試合だし親日的なミャンマー、和気あいあいとした雰囲気で、緊張感があまりない。

    さっき土砂降りの雨が降ったばかりだが、西の空が赤くなってきた。そろそろ90分も近づいてきたようだ。まだ時間が残っているがミャンマ人の観客が帰り始めた。

    試合も終わりに近づいてきた。

    試合も終わりに近づいてきた。

    西の空が色づいてきた。

    西の空が色づいてきた。

    スタジアムの後ろは紫色だった

    スタジアムの後ろは紫色だった

     

  • 再来週の日曜日土曜日に「もうひとつのミャンマー」ということで、ミャンマーの話をすることになった。案内はこちらです。

    http://mjsociety.web.fc2.com/inf_last.html

     第9回日本・ミャンマーソサエティ会合のお知らせ
    日時:2012年4月21日(土)14:30~17:00
    場所:明治学院大学白金キャンパス2号館1階2201教室

     ミャンマーといえば、敬虔な仏教国で熱帯の地にパゴダが広がっているというイメージがあります。それは事実ですが、ミャンマーの全てではありません。

     インド国境に近いチン州の山には、巨石文化や女性の刺青の風習を残している人たちが住んでいます。その北部には、東南アジアの文化とはかけ離れているように見えるナガ族の人たちが住む地域が広がっています。これらの地域ではインパール作戦で多くの日本兵が犠牲になったところ<でもあり、現地の人々の記憶に残っています。また、ミャンマー最北部にはヒマラヤ山脈につながる雪山が広がり、狩猟を生業にする人たちも住んでいます。これらの「もうひとつのミャンマー」を写真を中心にして紹介していきます。そして、ビルマ族とその他の民族との関係、少数民族同士の関係など、現地で肌で感じたことも紹介したいと思います。

    ということで、写真を交えながらあまり知られていない少数民族の話をするので、興味のある方は上記ページより申し込みお願いします。

    ところで、最近のミャンマー関係のニュース、あれよあれよという間に増えて私など卒倒しそうになる。以前だと週に一度出ればいいほうで、それもアウンサンスーチーが…、軍事政権が…、難民が…と暗い話題だけだった。ところが最近は、アウンサンスーチーの話題が多いのは相変わらずだが、選挙が、投資が、スズキが、ローソンが、と連日の報道。どこの国の話だと、クラクラしてしまう。

    「もうひとつのミャンマー」は最近のこうしたニュースとは直接は関係のない話になるが、普段見ないミャンマーの民族や自然を紹介するので、みなさんにちょっとでもクラクラなってほしい。

    私は自慢じゃないがこういうところで話をするのが苦手だ。得意な人はあまりいないだろうが、そういう一般人から見ると、スティーブ・ジョブズはプレゼンの名人だった。その名人が、本番前に何日も練習を繰り返していたという。私も今回はちょっと練習してみよう。

  • いつも暇だと思われている私だが、ショートムービーの撮影の手伝いで最近忙しくしていた。

    監督はいつものH氏ではなく、別の友人のK氏だった。なぜか私のまわりでは映画作りが流行っている。今回は私は録音係で、スタッフが総勢10名ばかりと素人作品にしては大掛かりだった。それに、なんとプロの俳優が出演した。

    男優は日緬合作映画の「血の絆」にも出演していたベテラン俳優の本田晋さん、女優は最近テレビにも出演している黒宮ニイナさん。お二人ともさすがプロ、現場が締まる。

    本田晋さんとは2日目の撮影の終わった後に数人で軽い飲み会となり、役者の世界の素の話を聞けた。映画か小説のテーマになるような考えさせられる話もあった。

    黒宮ニイナさんは両親ともビルマ族の純ミャンマー人。10歳のときに日本にやってきて、今は女優として舞台やテレビで活躍している。今回の撮影でもいい演技をしていた。性格も素直でいい子だ。ぜひブレイクしてほしいということで、ムービー撮影の間に気を入れて写真を撮った。

    そうそう、ひとつ発見があった。東京タワーすぐ近くの芝公園で録音係をやっていると、なぜかヘッドフォンからラジオ放送らしきアナウンサーの声が・・・。うん?誰かラジオをつけている? いや、そんな人はだれもいない。マイクをくくりつけている竿の角度を変えると音は消えた。代わりにサーという高い周波数のノイズ。ラジオ音、ノイズなしの角度を探すのが大変だった。そうなか、マイクケーブルが東京タワーから発信しているFM電波を拾っているのか。東京タワーの近くでは録音注意!

    筋肉痛になったが、楽しい3日間だった。

    主演の本田晋さんと黒宮ニイナさん。息もぴったり

     

    本田晋さん、存在感がある

     

    凛とした表情の黒宮ニイナさん

     

    黒宮ニイナさん、ラストシーンは東京タワーをバックに

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