• 日本で活躍するミャンマー人タレント、黒宮ニイナさんの本が出た。黒宮ニイナのミャンマー・ステイ 旅のフレーズ&フォトだ。

    「黒宮ニイナの ミャンマー・ステイ 旅のフレーズ&フォト」の表紙

    「黒宮ニイナの ミャンマー・ステイ」の表紙

    実はこの本の中にあるミャンマーでの写真、9割くらいは私が撮った写真だ。去年と今年2回に分けてヤンゴンで撮影した。日本風の名前が付いているが、彼女はミャンマー人の両親の元でミャンマーで生まれた。小学校5年生のころ親とともに日本に移住した。彼女は全くの日本人ネイティブの発音で、言われないとミャンマー人とはわからない。

    私は、彼女の写真をなぜか日本で撮ったことがある。2012年の東京だ。そのときの写真はこちらミャンマーと東京タワーと映画(本田晋&黒宮ニイナ)

    今回撮影して気がついたのが、細い! 以前よりも痩せたのかミャンマーだからそう見えるのか、背が高くて細い。おまけに美人だから、撮影中じゃなくても彼女は目立っていた。

    この本には彼女の写真がいっぱい載っているので、ニイナファンにおすすめ。また、ビルマ語(ミャンマー語)の会話本にもなってる。というか、メインはこっちだな。ビルマ語に関する部分は、JMCCのヘーマーさんが全面的に関わっている。

    最後にこのブログの特典として、彼女の未公開写真を大公開します。気に入った人は本を買うように

    シュエダゴンパゴダにやってきた

    シュエダゴンパゴダにやってきた

    ろうそくに照らされて

    ろうそくに照らされて

    ボウタタウンパゴダで黄金の女?

    ボウタタウンパゴダで黄金の女?

    公園でボール遊び

    公園でボール遊び

    ラペッイエサイン(ティーショップ)の少年と記念撮影

    ラペッイエサイン(ティーショップ)の少年と記念撮影

    ボージョーマーケットで宝石に見入る

    ボージョーマーケットで宝石に見入る

    野菜市場でお買い物

    野菜市場でお買い物

    シュエダゴンパゴダの参道

    シュエダゴンパゴダの参道

    さようなら

    さようなら

  • ジョービンガウッ(Gyobingauk)からバイクでバゴーヨーマ(バゴー山地)へ入っていった。

     3月30日の家計簿(為替レート 1円=9.387チャット)

    1. バゴー山地ツアー代 90,000Ks *ジョービンガウッ, バゴー山地での全ての費用
    2. 長距離バス(ジョービンガウッ → ヤンゴン) 4,000Ks
    3. お土産 4つ(マラインゲという牛乳から作ったピィー名物のお菓子) 4,000Ks
    4. タクシー (バスターミナルから帰宅) 2,000Ks

     合計 100,000Ks(10,653円)

    今回バゴー山地へ向かったのは、福島さんが以前訪れたときに日本兵の遺骨が残っているという話を聞いたからだ。そこで、今回はその現場へ行ってみようということになった。

    朝8時過ぎにジョービンガウッを出発してバゴー山地へ向かった。福島さん夫妻、ガイドのPさん、私の4名がそれぞれバイクの後ろにまたがった。バイクは全て中国製、50万~60万チャットするという。タイから輸入したホンダのバイクは150万チャットだから、約1/3だ。みんなホンダのバイクを買いたいというが、3倍の価格差は大きい。結局、ここで走っているバイクはほとんど中国製だ。ただし、山道を走るバイクの場合はタイヤやホイールはタイ製のパーツと交換する場合が多いという。

    中国製バイク

    地方では中国製バイクが大流行。

     1時間ほど平地を走って行く。周りは刈り取られた後の乾いた水田が続く。茶色だらけの風景に時々オアシスのように緑の木々が見えてくる。そこは村だ。村をいくつか過ぎると道はだんだんと上りになってきた。それとともに、赤土だった道がパウダーのように細かな土に変わってきた。

    バゴー山地へ向かう

    平地では赤土の道がずっと続く。

     運転するのも大変だ。パウダー状の道は轍が深く、バイクが走れるのは道の細い中央部だけ。轍に落ちると、パウダーにハンドルが取られてちゃんと走れない。私が乗ったバイクのドライバーは上手だったので1回しか転ばなかったが、何度も転倒しているバイクもあった。転び方が下手だとかなりの怪我をしてしまう。1台のバイクは我々が休憩中に一人で運転していてパンクしてしまった。その時に転んでしまい膝を怪我してしまった。バイクもホイールがだめになってしまい現地で修理することになった。バイクが1台足りなくなったが、それも現地調達した。

    バゴー山地を走る

    途中、ちょっとトラックの荷台に乗った。バイクだと頭の先から足の先まで土埃。

     途中休み休み走ってバイクが行ける最後の場所に到着した。時間は1時半、ここからは徒歩20分ほどで目的地だ。一番暑い時間だが、しょうがない。カレン族のドライバーを先頭に歩き始めた。彼は近くの村に住む40才のイケメンで、このあたりの地理には詳しい。

    バゴー山地のゾウ

    途中、ゾウとも出会った。

     途中、ゾウにも出会いながら現地に着いた。そこは何の変哲もない斜面。このあたりで日本兵二人が死亡したという。ただ、この「あたり」ということで、はっきりとした場所は分からない。遺骨や遺品についても詳しく探せば出てくるのではということだが、詳しく探すには何日もかかってしまう。遺骨や遺品についてはあきらめた。

    日本兵はバゴー山地のこのあたりで亡くなった

    日本兵2名がこのあたりで亡くなったという。

     カラカラに干からびた斜面に持ってきたミャンマー製の線香をさした。そこにジュースを供え、ミネラルウォーターの水を乾いた斜面にかけた。そして、線香に火をつけて祈った。気温44度だった。

    バゴー山地で命を落とした日本兵と地元ミャンマー人のために祈った

    ここで亡くなった日本兵と地元ミャンマー人のために祈った。

     案内してくれたカレン族のドライバーに話を聞いた。日本兵二人は、将校と付き添いの兵士だった。対日蜂起したビルマ軍との戦いで二人は負傷してここまで逃げてきた。輜重が任務だったのか、運搬の手伝いとして地元のミャンマー人6人を引き連れての敗走だった。そして運搬任務も終わることとなった。6人は一箇所に集められた。そして彼らが受けたのは謝礼ではなく銃弾だった。その後、日本兵二人はこの斜面に死亡した。

     銃弾を受けた6名のミャンマー人のうち一人だけ助かった。だからこんなに詳しく当時の状況が分かっているのだ。敗走時に道案内や運搬を手助けしてくれたミャンマー人を最後に殺したという話は他にもある。以前読んだ じっこくおさむ氏の「ミャンマー物語」という本の中でも、道案内をしてくれたミャンマー人を殺すように上官から命令された作者の話が載っていた。この本では、作者は殺すことができずにこっそりと逃したと書いている。上官もそのことを知っていたが、見てみぬふりをしていたらしい。

     手助けしてくれた地元のミャンマー人をなぜ殺したか。それは情報が漏れるのを恐れたからだ。すぐ背後まで迫っていた英国軍、敵に自分たちの行方が漏れないように殺したのだ。ミャンマー人がかくまってくれたために命が助かった日本兵という話はたくさん聞く。でも、こうして殺されたミャンマー人がいたのも事実だ。

     夜8時頃、すっかり暗くなってジョービンガウッに無事戻った。ヤンゴン行きのバスは一晩中あるという。夜9時半のバスでヤンゴンに向かった。

     バスの一番後ろの座席が空いていた。道路の悪いミャンマーでは後ろの席は振動が多くていやがる人も多いが、ちょうど2座席空いていたのでそこで横になってヤンゴンまでぐっすり寝た。1時半頃、ヤンゴンに到着した。そして、タクシーで U Wisara の団地に着き料金を払おうとした。

    財布がないーーーー!!!

    何とズボンのポケットにも荷物の中にもどこにも財布が見つからない。とりあえず、家の中からお金をもってきてタクシー代を払った。部屋の中で荷物を全開。でも、どこにもない。バスは途中のドライブインで休憩した。そのときにお土産を4,000Ks買った。これが財布を確認した最後だ。ヤンゴンに到着してバスから降りるとき、財布がポケットになかったのが分かったので、リュックに入っているんだろうと思った。となると、なくしたのはドライブインからヤンゴン到着の間だ。となると、バスの中で寝ているうちに財布を落としてしまったか、隣りにいた人にスられたかどちらかしか可能性はなかった。

    深夜2時過ぎだったが、 ネットでバス会社の電話番号を調べて電話してみた。バスのナンバーは? バスの色は? と聞かれたがナンバーはわからないし、色もはっきりとは覚えていない。もう深夜だし、これ以上できることはない。寝ることにした。ちなみに、財布の中にはミャンマー・チャットが5万ちょっと、ドルが110ドルばかり、ミャンマーのカンボーザ銀行のカードとVISAカードが1枚ずつ入っていた。

    ミャンマーでは落し物をしても必ず出てくる。これは私の個人的神話だ。今回もきっと出てくるに違いないと、妙な確信を持って横になった。疲れていたせいか、確信のせいか、あっという間に寝てしまった。

  • ヤンゴンで驚いたことのひとつが、寿司だ。以前は日本人用の日本食レストランはあっても、寿司はなかった。ところが、今ではヤンゴンに寿司屋が数店舗はある。それも客はほとんどミャンマー人。ミャンマー人の舌、どうなってしまったんだろう。

    ミャンマー人客でいっぱいの寿司屋

    ミャンマー人客でいっぱいの寿司屋

    昔は海の魚はほとんど食べなかったし、生魚などとんでもなかった。海苔も食べてなかった。日本から持ってきた海苔でおにぎりを作ったことがあるけど、ミャンマー人には大不評だった。ところが、今では普通のミャンマー人が普通に握り寿司や海苔巻きを食べている。 

    単なるブームかなとも思ったがそうでもないみたいだ。ヤンゴンの大手食品スーパーチェーン、シティーマートではどの店舗でも寿司コーナーがあるし、海苔巻き用の海苔(韓国製だが)や巻き簾も売っている。シティーマートという高級スーパーだけでなく、路上の屋台寿司屋もある。この間は、屋台寿司屋で小学生がおやつで食べていた。これはブームを超えて完全に定着してきている。

     でも暑いヤンゴン、さすがに路上の寿司屋は敬遠していた。2ヶ月ほど前には私が熱中症になったくらいの暑さだ。しかし、「寿司っ娘」のかわいい看板についつい足が止まって、買ってしまった。店のお姉さん曰く、売れ行きがかなりいいとのこと。暑さ対策として、氷水を張った上に寿司パックを置いていた。

    これが路上の寿司っ娘

    これが路上の寿司っ娘

     私が買ったのは1500チャットの巻き物メインの寿司パック。こっちの刺身はあまりうまくないから巻き寿司でOK。赤いのはカニカマ。といっても、日本のカニカマを想像しちゃいけない。ヤンゴンのカニカマは見かけだけで、味はそのままカマボコだ。あと、太っちょのエビカマもあり、騙されたこともある。

    酢が控えめだけど、まずまずの味

    酢が控えめだけど、まずまずの味

    この1500チャット寿司、写真を撮った後食べるつもりだったが、そのまま冷蔵庫の入れて忘れてしまい、朝になった。買ってから12時間以上、さすがにもう食べなければ。ということで、ヤンゴンで朝から寿司を食べてしまった。シャリがボソボソになっていたが、腹のほうはだいじょうぶだった。

  • 異郷の女友人から珍しい本を借りた。『異郷の女』という1956年に出た小説で、作者は村松喬。

    戦時中のビルマに派遣された日本人記者とシャン族の娘の恋愛小説だ。戦時中のビルマ関係の本というと戦記物ばかりで、こういう本は珍しい。

    読む前はそれほど期待していなかったのだが、読み始めると止まらなくなった。面白くて一日で読んでしまった。男女の恋愛に、日本とビルマという支配者と非支配者のの関係が絡んでいる。読んでいて、ジョージ・オーウェルの『ビルマの日々』を何度も思い出してしまった。作者もかなり意識して書いるように思える。

    ジョージ・オーウェルは常に冷静にビルマを見ていたが、村松喬は個人的にビルマに入れ込んでいたようだ。人間としてのビルマ人や人の住む町の描写が多く、ビルマにかなり好意的に書いている。それに、恋愛小説なのに読み終わったらビルマの基礎知識も頭に入るという本だ。

    小説の中でワ族やパンデー人のことが書かれていたのにはびっくりした。ワ族の入り口の町、パンロンまでの旅を書いている。パンロンは中国系イスラム教徒、パンデー人の故郷でもある。このパンロンではワ族とは出会えなかったが、途中、「家ワ」と呼ばれる、危害を加えないワ族と出会っている。家ワというのも初めて聞いた。

    作者自身、毎日新聞の記者で実際に戦時中のビルマに派遣されている。小説という形式になっているが、恋愛も含めて実際の体験がかなり含まれているに違いない。

    この本のように、ほとんど知られていないが面白いビルマ関係の本が他にもあるかもしれない。

  • 昨日、ジュンク堂池袋本店に行ってきた。ここに来たのは初めて。座り読みというのを初めて見た。ここの店には各階にかなりの数のイスとテーブルがあり、そこで立ち読みならぬ座り読みができるのだ。数冊テーブルに置き本を読んでいる人の姿を見ると、まるで図書館だ。最近は書店も工夫している。

    ジュンク堂に来たのは、大西信吾さんがのミャンマーのゾウの写真展を見るためだった。大西さんはミャンマーの自然と動物を撮り続けているカメラマン。ゾ ウをと巡る季節というミャンマーのゾウの写真集を出したのを記念に今月いっぱいジュンク堂池袋本店の7回で写真を展示している。A2サイズの写真が全部で24枚、やはり写真は大きくすると臨場感がわく。ミャンマーでチーク材を運搬しているゾウ、世界でもこうしたゾウの仕事が残っているのは珍しい。急斜面を登るゾウの後ろ姿、なぜかなまめかしさを感じた。

    写っている展示写真が犬になってしまった。この犬、「現場監督」らしい。大西さんと現場監督だ。

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