ミャウンミャ myaungmya の様子

サイクロン被害

チートゥシェインさんという在日ミャンマー人が5月7日から5月16日まで出身地のミャウンミャに行って被害の様子を見てきた。ミャウンミャは最大の被害があった地域のひとつ、ラプタという町の北に位置する町で、多くの避難民がいる。18日、シェインさんの報告会に行きた。その内容を簡単ですが箇条書きにしたので、みなさんの参考になればと思う。

シェインさんのブログ
http://myaungmya.jugem.jp/
なお、22日木曜日18:00よりJMCCで「シェイン先生に義援金を渡す会及び皆の思いを託す会」というのが開かれます。

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ミャウンミャまでヤンゴンから車で6時間ほど。アクセスは以前と同じ。ヤンゴン、ミャウンミャ間の道路や橋はだいじょうぶ。ミャウンミャ自体はサイクロンによる直接被害はあまりない。

ミャウンミャにはラプタから逃れてきた人たちが2万人ほど。僧院、学校、教会、モスクなどで避難生活をしている。ラプタなどの被害地域では、半数ほどの人たちが残っていると思われる。

ミャウンミャの行政およびコミュニティは以前と同じでしっかりしている。避難民には市当局や多くの市民ボランティアが世話をしている。市民ボランティアと市当局は良好な協力体制。

軍からの救援物資は、ミャウンミャを素通りしてラプタなどの南へ送られている。ミャウンミャにいる避難民には市民ボランティアや市当局が食料や必要な物資を提供。今はだいじょうぶだが、これがずっと続くと自分たちの食料なども不足してくるかと思われる。

シェインさん自身としては、ミャウンミャにいる避難民へサンダルとトイレを送ることを考えている。避難民は裸足で逃げてきた人がほとんどで、ミャウンミャでの生活で足を怪我をする人が多い。また、トイレが絶対的に不足していて衛生状態が悪い。サンダルは安いビーチサンダル、トイレは竹とビニルシートを使って、ひとつ500円程度でできるもの。

軍の援助活動が活発になったのは、国民投票の10日を過ぎた頃から。それまではあまり動きがなかった。

避難民の話:12フィートの波がやってきて、根こそぎ流されてしまった。自分は30時間以上木につかまり助かった。同じように木につかまっていた人の中には、強風でヤシの葉が飛んできて首が切断されていまった人もいた。また、救助される直前に力つきて流された人も。家族の中で助かったのは、自分と子供一人、妻と他の子供たちは流されてしまった。

田畑は海水につかり、今年の作付けは無理だといわれていた。来年以降のことは専門家でないので、分からない。

ヤンゴンでは市民のボランティア活動に対して当局が規制しようとしているようだ。ただし、情報が日々変わってくるので現時点でどうなっているかは分からない。少なくても、ミャウンミャでは当局と市民ボランティアの関係は良好で、双方助け合っている。
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