インド, ヤンゴン,

先日友人に誘われ、インド人街にある南インド料理の店に行ってみた。ダウンタウンにある29番通りの下ブロック(マハーバンドゥーラ通りとストランド通りの間)だ。地元の人はチッティータミンザインと言っていた。チッティー食堂だ。ヤンゴンでは、南インドのタミル人をチッティーということが多い。3階に上がっていくと、ヤンゴンではごく一般的な庶民的な食堂で、ビルマ族っぽい兄ちゃんが給仕をしていた。

インド, ティーボー王

1年ちょっと前に行ってきたラトナギリの話が途中で切れたままだった。前回の話はここまで

ロイヤルファミリーの消滅とその後

この後、私が会ったPradeep氏の娘の写真を出すつもりだったが、本人に許可をもらったりしているうちにそのままになり、すっかり忘れてしまっていた。ところが来月、第4回ミャンマー辺境映像際で「ビルマ王朝の末裔をインドに探して」という演題で話をすることに ...

インド, ティーボー王

1885年、第三次英緬戦争で破れビルマ王朝は消滅しイギリスの植民地となった。ティーボー王とその家族は1886年、イギリスによりボンベイの南にあるラトナギリに追放された。ラトナギリに着いたのは、ティーボー王、王妃、王女たち3名(第4王女はまだ母親のお腹の中だった)、わずかな付き人たちだった。その時、長女であるパヤージー(Paya Gyi)王女(インドではファヤー王女と呼ばれている)はまだ3才だ ...

インド, ティーボー王

ティーボー王がよく海を眺めていたという場所が旧王宮の近くにある。地図には、Thiba Pointと書かれている(インドではティーボーのことをティーバと呼んでいる)。小高い丘の先端にあるので、河口、ラトナギリの町並み、そしてアラビア海が見渡せる。100年前、ビルマから追放されたティーボー王や王女たちは何を思ってこの景色を眺めていたのだろうか。今では地元の観光スポットとして、インド人の家族や恋人 ...

インド

9日に帰ってきた。
ラトナギリには6日間滞在、のんびりとしたところでいいところだった。今回の目的は、ビルマ最後の王、ティーボー王とその娘パヤージー王女の子孫と会うことだった。王女様捜しだと勇んでいったのだが、勇みすぎたのか今回会えたのは王子様ばかりだった。

王子様といっても、50代、60代の見かけはインド人、元ロイヤルファミリーだという意識がほとんどない人もいた。それでも ...