• 動画, 日本 2010.01.06 No Comments

    ずいぶんと遅くなりましたが、あけましておめでとうございます。
    年と共におっくうになるようで、まだ年賀状も出していなかった。まずい、これからでも書かなければ。

    年末に友人から「Youtubeに動画をアップした」と連絡が来た。ムービーカメラマンとして2日間撮影した茶道の動画だ。その友人宅には茶室もあるのだが、「Youtubeにはろくなお茶の動画がない」ということで自ら監督主演で動画を制作に立ち上がった。で、カメラマンとして私が協力することになった。できたのがこちら

    「茶道 静寂を楽しむ Tea Ceremony 茶の湯」

    逆光の照明がちょっとやり過ぎかなと思うけど、映像的になかなかいい動画に仕上がっている。これだったらYoutubeの中では威張れる作品ではないか。

    もう一本もカメラマンで協力した作品「神社の男」。シリーズ「山手線物語」の一本目だ。監督のHさん、目標はベルリン制覇、志が高いのがいい。一人芝居でちょっと分かりにくい内容だが、見る者を突き放した雰囲気のドラマ。

    次回作は女優が出てくる予定なので乞うご期待。

  • 1885年、第三次英緬戦争で破れビルマ王朝は消滅しイギリスの植民地となった。ティーボー王とその家族は1886年、イギリスによりボンベイの南にあるラトナギリに追放された。ラトナギリに着いたのは、ティーボー王、王妃、王女たち3名(第4王女はまだ母親のお腹の中だった)、わずかな付き人たちだった。その時、長女であるパヤージー(Paya Gyi)王女(インドではファヤー王女と呼ばれている)はまだ3才だった。

    ティーボー王とスーパヤラッ王妃

    ティーボー王とスーパヤラッ王妃(元写真はPradeep Bhosale氏所有)

    4姉妹(元写真はPradeep氏所有)

    王女たち4姉妹(元写真はPradeep Bhosale氏所有)

    家族は丘の上に建つ2棟の古い家を借りることになった。マンダレーから持ってきた宝石などの財産を売りながらの生活という、マンダレー時代から比べるとつつましやかな暮らしだった。ラトナギリで大きくなったパヤージー王女は美人の誉れが高かった。その彼女が24才のとき、家族の馭者(門番だったという話もある)として働いていた地元の男ゴパル(Gopal)と恋に落ち、トゥトゥ(Tu Tu)という娘を産んだ。しかし、ゴパルは妻子ある男、正式な結婚はできなかった。

    パヤージー王女(元写真はPradeeb氏所有)

    パヤージー王女(元写真はPradeep Bhosale氏所有)

    1910年、ビルマ植民地政府の資金によって新しい王宮が建てられた。その王宮はティーボー王の意向で、ビルマのチーク材をふんだんに使ったビルマスタイルの王宮だった。この王宮も丘の上に位置し、アラビア海が見渡せた。ティーボー王が亡くなったのは1916年、57才だった。

    小さな家に24年間住んでいたが、この王宮へ家族で移った(今はミュージアムとなっている)

    小さな家に24年間住んだ後、この王宮へ移った(今はミュージアムとなっている)

    父を亡くした家族は1919年、33年ぶりにビルマに帰ることとなった。パヤージー王女は娘トゥトゥを連れていったが、夫ゴパルには必ずラトナギリに戻ってくると言ってビルマに向かった。その言葉の通り、彼女だけはトゥトゥを連れラトナギリに戻ってきた。しかし、ティーボー王は財産をほとんど残さずに死に、ゴパルも妻子を抱え、王女にはわずかな援助しかできなかった。村人たちが王女に時々援助をするという非常に貧しい生活だったという。1947年、ビルマ独立直後に王女は再びビルマに戻った。しかし、それは厳しいものだった。「ビルマの王女がヒンドゥー教徒のインド人との間に子どもをつくった。それも、平民で妻子ある男だ」というビルマ国民の非難の声で、またビルマを去らなければいけなかった。彼女が死んだのはラトナギリに戻った直後だった。

    トゥトゥは地元ラトナギリのドライバーと結婚し、5男2女をもうけた。すっかりビルマから忘れ去られインド人として生活していていたトゥトゥであったが、1961年、突然ビルマ政府から一時金をもらうことになった。トゥトゥに3,000ルピー、長女のプレミラ(Premila)に2,000ルピーである。当時としては相当な額だった。多くの子供たちや孫たちに囲まれトゥトゥは2000年10月に亡くなった。

    パヤージー王女の娘トゥトゥ(元写真はPradeeb氏所有)

    パヤージー王女の娘トゥトゥ(元写真はPradeep Bhosale氏所有)

    トゥトゥの長女プレミラとその夫(元写真はPradeeb氏所有)

    トゥトゥの長女プレミラとその夫(元写真はPradeep Bhosale氏所有)

    今、ラトナギリにはティーボー王の子孫がたくさん住んでいる。今回、最初に出会いいろいろとお世話になったのがプラディーブ氏、トゥトゥの長女プレミラの次男で、王女のひ孫にあたる。彼からいろいろと話を伺い、写真や資料を見せてもらった。プラディーブ氏は運送業を営み、インドでは中流階級といえる。娘はゴアの大学で勉強している。王女の話は次の世代へと伝えられるのだろう。

    プレミラの次男 Pradeeb Bhosle氏。今回の旅でいろいろとお世話になった

    プレミラの次男Pradeep Bhosale氏。今回の旅でいろいろとお世話になった

  • ティーボー王がよく海を眺めていたという場所が旧王宮の近くにある。地図には、Thiba Pointと書かれている(インドではティーボーのことをティーバと呼んでいる)。小高い丘の先端にあるので、河口、ラトナギリの町並み、そしてアラビア海が見渡せる。100年前、ビルマから追放されたティーボー王や王女たちは何を思ってこの景色を眺めていたのだろうか。今では地元の観光スポットとして、インド人の家族や恋人たちに人気の場所だ。子供たちのための遊具もあり、小っちゃな遊園地のようでもある。

    Thiba Point からの眺め

    Thiba Point からの眺め

    ここで一人で写真を撮っているといろんな人から声をかけられた。観光地だとやばいパターンだが、外国人ツーリストがほとんどいないラトナギリでは全く問題ない。外国人と接したことがないせいか、インド北方のモンゴロイド系インド人やネパール人と間違われることも多かった。ヒンディー語で「○×□*△」などと声をかけられても、まぬけな顔で「ナマスカール」ぐらいしか返事ができない私には訳が分からない。英語をしゃべる人は半分くらいだ。

    日暮れ後は地元民のための夕涼みの場所となる

    日暮れ後は地元民のための夕涼みの場所となる

    女子大生のグループからも声がかかった。その中に一人、いろいろ尋ねてくる子がいた。ラトナギリは好き?どんな国に行ったことがあるの?一人旅は寂しくない?などと矢継ぎ早の質問で、外の世界に興味津々の様子。私の十数年前のインド旅行のときにはほとんど出会わなかったタイプの子だ。インド人も変わってきているようだ。

  • インド 2009.12.10 2 Comments

    9日に帰ってきた。
    ラトナギリには6日間滞在、のんびりとしたところでいいところだった。今回の目的は、ビルマ最後の王、ティーボー王とその娘パヤージー王女の子孫と会うことだった。王女様捜しだと勇んでいったのだが、勇みすぎたのか今回会えたのは王子様ばかりだった。

    王子様といっても、50代、60代の見かけはインド人、元ロイヤルファミリーだという意識がほとんどない人もいた。それでも、普通のインド人と比べるとモンゴロイドの血が混じっているなという顔をしていた。

    ティーボー王がラトナギリで死んだ後、たった一人残された王女は地元インド人との間にできた娘トゥトゥをかかえ、村人から施しを受けていたという非常に貧しい生活だったという。トゥトゥはやはり地元のインド人の夫との間にできた息子6人、娘3人を残し2000年に亡くなった。今ではその子どもや孫がラトナギリやムンバイに数多く住んでいる。

  • インド 2009.12.08 1 Comment

    Mumbai ni modorimashita. Ratnagiri niha Biruma no princess wo sagashini itta nodesuga, unwaruku princess towa aemasendeshita. soredemo, Thibaw king no chiwo hiku ojisan prince to aemashitashi, kichouna hanashi mo kikukotoga dekimashita.

    asu ha nihon desu.

  • インド 2009.12.03 1 Comment

    Ratnagiri 2nichi me desu.
    kokowa kankouchi deha nainode gaikokujin nimo hotondo aimasen. shizuka na tokoro de jimoto no India jin mo odayaka desu. hisashiburi no India to iukotode tashou youjin shiteita nodesuga tounan asia no funiki desu. demo yahari India jin, keitai ni haitteiru India ongaku wo narashi nagara dance wo odotte imashita. soremo hakubutsukan no staff desu.

  • インド 2009.12.01 2 Comments

    ima Mumbai ni imasu.
    Mumbai ha hajimete desuga, nazeka Yangon to niteimasu.
    Tatemono ya machi no funiki ga Yangon wo sono mama ookiku shita youna machi desu. souieba, chai ga India chai dewa naku, Myanmar no rappeiye ni sokkuri deshita.

    asu bus de Ratnagiri ni mukaimasu.

  • インド 2009.11.28 No Comments

    明日29日からインド、帰国は12月9日だ。

    計算するとインドは17年ぶり、う~ん、そんなに経っていたのか。今回の目的地はムンバイから南のラトナギリという町、目的のものと出会えるかどうか分からない旅だ。

    元々インドに行く予定は全くなかったのだが、ひょんなところからインド往復のエアチケットが無料で手に入った。一寸先は闇じゃなくて、インドだった。

    ということで、ビーエス観光さんありがとうございます。
    http://www.ashoka.co.jp/

  • 2009.10.15 1 Comment

    友人がインドレストランを開くことになり、川越まで出かけた。

    店の名前はアユース、二日後のオープンを控え準備に忙しいときだったが、私にとってはカレー三昧の夕食となった。タンドーリチキン、シークカバブ、エビ、マトンの焼き物から始まって、インドの天ぷら、ナン、ライスにカレーが全9品。腹がインドでいっぱいになった。カレーの味は繊細で、食材の違いがちゃんと分かるカレーだった。普段食べるインドのカレーはどれもカレーカレーカレーだが、ここのカレーはカレーだがカレーではなかった。本来のインドのカレーはカレーという言葉でひとくくりできないものだった。もちろん、全てマサラ味はするのだが、ひと皿ずつみんな違う料理だった。

    シェフはデリーで料理を修行し、日本でコックとして働いて10年ほど経つビルさん。デリーには10年以上前に行ったことがあるが、こんなうまいカレーを食べた記憶はなかった。あの頃は安食堂ばかり行っていたからしょうがないか。たぶん、ちゃんとしたレストランだとこういう料理を出すのだろう。一緒に店をやっているのが、平野りつこさん。インド好きが高じて?インドレストランをやることになった人だ。店には彼女がインドで描いた絵も飾っている。日本人だが、しゃべると前世はインド?というような人だ。

    ということで、川越方面に住んでいる方はぜひ立ち寄ってみてください。

    インドレストラン、アユース
    川越市新富町2-33-8 M&Yビル2F (本川越駅徒歩1分)
    TEL:049-224-1664

    これだけの量を二人で食べた。残ったカレーはタッパーで持ち帰り

    二人で平らげた跡。残ったカレーはタッパーで持ち帰り

  • アメリカの対ミャンマーの政策変更についてのニュースが飛び出てきた。
    ええええええーーー??!!
    驚きだ。たとえば、

    http://sankei.jp.msn.com/world/america/090924/amr0909241911011-n1.htm

    【ニューヨーク=有元隆志】クリントン米国務長官は23日、国連で開かれたミャンマー問題に関する外相会合で、同国との直接対話に踏み切る方針を表明した。オバマ大統領が昨年の大統領選から掲げてきた「敵対国家」との対話の一環で、軍政支配を「圧政の拠点」と位置づけ、制裁を強化してきたブッシュ前政権からの政策を転換した。

    クリントン長官は会合後、記者団に対し、軍政側に民主化運動指導者アウン・サン・スー・チーさんを含む政治犯の即時・無条件の解放や、野党との対話を求めていく目標に変更のないことを強調した。そのうえで、「制裁は引き続き重要だが、関与か制裁かの選択は誤りで、2つを用いていく」と述べた。

    国務省高官によると、近く対話を担当する特使を任命する。高官は直接対話を決めた理由について、「(軍政側が)ここ何年もの間では初めてわれわれとの関係改善に関心を示した。(民主化要求などの)目標達成に有益と思われる」と説明した。

    オバマ政権は2月からミャンマー政策の見直し作業を続けてきた。

    米ミャンマー間では、ウェブ上院議員が8月にミャンマーを訪問し、スー・チーさんと面会したほか、軍政トップのタン・シュエ国家平和発展評議会議長と会談した。ウェブ議員は5月にスー・チーさん宅に侵入し、禁固7年の有罪判決を受けた米国人の釈放を要請し、男性を伴い出国した。

    ミャンマー関係では久々のビッグニュース。国務長官が公式に発表するくらいだから、裏ではアメリカと軍政の間である程度の話し合いはついているのだろう。ただ、スムーズに対話が進むかどうかは分からない。

    ミャンマーとの関わりが長いと人は用心深くなる。ぬか喜びに終わった経験を何度か返してきて、素直に希望を持てなくなるのだ。ヤンゴン在住のミャンマー人とこの話をしたが、相手は非常にクールだった。

    今回も、米議会がどう動くか不明だし、アウンサンスーチーの声もまだ聞こえてこない。アメリカは彼女を切るつもり?または、軍政も彼女もお互いに妥協?来年は選挙が予定されているし、これからミャンマー情勢がいろいろと動きそうだ。

 

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