• 11:23、飛行機はカムティ空港に到着。マンダレーからの飛行時間は1時間10分、私の睡眠時間は50分、充分寝られた。

    カムティー空港に到着

    カムティー空港に到着

    カムティーはミャンマー北西部、チンドウィン川の東側に面した町だ。チンドウィン川を渡るとすぐにナガ族が住むナガ丘陵が始まる。ナガへの入り口の町だ。


    より大きな地図で カムティー を表示

    カムティーは英字表記だと Khamti または Hkamti と書く。でも、ビルマ文字(ミャンマー文字)をそのまま発音すると カンティーになってしまう。なぜ表記が違うのかというと、カムティというのはシャン語の言葉で、シャン語の発音をビルマ文字では正しく表現できないからだ。ビルマ文字には「kham」の最後の m を表す文字がない。だから、シャン族以外のミャンマー人はみんな「カンティー」と発音している。

    英字だとKhamtiだが、ビルマ語(ミャンマー語)だとカンティーの発音になる。

    カムティー空港。英字だとちゃんとKhamtiの表記。

    このカムティー、シャン語では「カム」が「黄金」で「ティー」が「場所」の意味だ。カムティーは「黄金の地」という意味になる。ここには今でもシャン族の人たちが多い。ミャンマーでは「カムティー・シャン」と呼ばれている民族で、その昔、シャン・雲南地域から来たシャン人たちだ。カムティー・シャンはここカムティーやチンドウィン川流域だけじゃなく、インドのアッサム地域にもいる。12世紀から18世紀にかけてアッサムにあったアホム王国はシャン族の国だった。このカムティーシャンの歴史もいろいろと面白そうだ。

    前振りが長くなった。私にとっては12年ぶりのカムティー空港、相変わらずひなびていていい雰囲気だ。空港からか町まではトウンベイン・サイケーと呼ばれる、バイクとリヤカーを合体した車に乗った。丘の上にある空港からトウンペイン・サイケーは軽快に町へ向かっていった。4月の一番暑い時期であるが、ヤンゴンよりは気持ちのよい暑さだ。

    トウンベイン・サイケーに乗り込んだ。

    トウンベイン・サイケーに乗り込んだ。

    トウンベイン・サイケーの荷台。風が気持ちいい。

    トウンベイン・サイケーの荷台。風が気持ちいい。

    15分ほどでトゥンヤダナーというゲストハウスに到着した。外国人は1泊40ドル。昔ならせいぜい10ドルくらいのゲストハウスだが、ホテル料金の高騰はこんな田舎町までやってきていた。電気は夕方から夜10時頃まで来る。携帯はCDMAはいつでも通じるが、GSMは夜中と早朝だけ可能だという。

    カムティーのゲストハウス。これで外国人は1泊40ドル。高い!

    カムティーのゲストハウス。外国人は1泊40ドル。

    ゲストハウスは町のメインストリートに面していた。すぐ近くの竹細工店で竹編み帽子と竹カゴを購入。その斜め向かいはカムティーで一番大きな市場もある。そのまま真っ直ぐ進むと、チンドウィン川に出た。今は渇水期なのでかなり水位が下がっている。川沿いを進み、教えられたラペッイエサイン(喫茶店)に着いた。

    カムティーのメインストリート

    カムティーのメインストリート。暑季の真っ昼間なので、人通りも少ない。

    ヤンゴンではこうした竹細工の店が最近は絶滅に瀕している。

    ヤンゴンではこうした竹細工の店が最近は絶滅に瀕している。

    真ん中になるのが私が買った帽子。2,000Ks

    真ん中になるのが私が買った帽子。2,000Ks

    市場で働く女性。たぶん、カンティーシャン族。

    市場で働く女性。たぶん、カンティーシャン族。

    趣きのある校舎。4月なので学校は休み。

    趣きのある校舎。4月なので学校は休み。

    渇水期のチンドウィン川

    渇水期のチンドウィン川

    カムティーで人気のラペッイエサイン(喫茶店)

    カムティーで人気のラペッイエサイン(喫茶店)

     この町で最も人気のある(と思う)この店のお勧めはグレープフルーツジュース。グレープフルーツをまるごと搾ったここのジュースはうまい。ミャンマーでは最北部の町、プタオがグレープフルーツで有名だが、ここカムティーでもけっこう売られていた。この近くでも栽培しているだろう。 

    グレープフルーツジュースの写真は後で。 これは、携帯充電サービス

    グレープフルーツジュースの写真は後で。これは、携帯充電サービス

    夜はゲストハウスのすぐ横にある中華料理屋に入った。愛想の悪い太ったおばちゃん二人でやっているこの店、最初はこの店に来たのは失敗だったかと思ってしまった。でも、出てきた料理はどれもうまかった。「うまいね!」とおばちゃんに伝えると、ちょっと恥ずかしそうな笑顔。本当に嬉しそうだった。

    食事中に停電。料理はどれもうまい!

    食事中に停電。料理はどれもうまい!

    翌日、朝早くトウンベイン・サイケーに乗り、チンドウィン川の渡し船の出ているところまで向かった。対岸の町、シンディーからラヘー行きのトラックが出ているからだ。何もないように見える河原だったが、ここが渡し船の発着場。小さなボートに乗り、シンディーへと向かった。 

    渇水期なので、河原が広い。対岸がシンディー。

    渇水期なので、河原が広い。向こう岸がシンディー。

    小さなエンジンボートでシンディーへ向かう。

    小さなエンジンボートでシンディーへ向かう。

  • お待ちかね(待っていた人はいないかもしれないが)の『ナガの旅【ラヘー編】』を始めます。ナガから帰ってきてもう2ヶ月くらい経つので、ちょっと記憶が怪しくなってきた。今のうちに書いとかなければ。といっても、長い文章は途中で挫折する可能性が高いので、文章は簡単にその代わり写真はたくさんにするつもりだ。
     
    4月5日の夕方、ヤンゴンの長距離バスターミナル「アウンミンガラ」に着いた。ここがナガの旅への出発点。同行者はヤンゴン在住の清岡さんと渡辺さんだ。ナガに行くにはいくつかのルートがあるが、今回はヤンゴンからマンダレーは夜行バス。マンダレーから飛行機でチンドウィン川沿いの町カムティーへ飛び、カムティーからナガの大きな村ラヘーまでトラック。ラヘーからはバイクで村めぐりというルートだ。
     
    今日は初日のヤンゴンからカムティーまでの写真を紹介。
     
    まずは、アウンミンガラ長距離バスターミナル。夕方だが、4月なのでうだるような暑さ。我々が乗るバスは、NEW YORKERと書かれた派手なペイントでバス。
     
    アウンミンガラ長距離バスターミナル
     
    バスの中に入った。けっこう新し目のバス。どうも中国製バスのようだ。ミャンマーで一番多いバスは日本の中古バス。次は韓国のバスだ。ミャンマーで中国製バスに乗るのは初めての経験。ぱっと見はちゃんとしているが、シートのすわり心地やバスの振動などいまいちだ。エアコンはちゃんと効いていた。
     
     マンダレー行き中国製バス
     
    バスは18時頃に出発。ヤンゴン郊外を出るとすぐに有名なネピドーハイウェイに入るかと思ったら、なぜかバゴーまで一般道を走り、時々、乗客を乗せる。安いバス(マンダレーまで13,000チャット)にしたからだろうか?と思っていたらバゴーを過ぎてハイウェーに入った。
     
    ハイウェーといっても路肩を牛や人が歩いているので、ちょっと広い一般の道路。ずっと直線が続く。このヤンゴン・ネピドーハイウェイは交通事故が頻繁に起こる道路でもある。毎月のように死亡事故が新聞に出ている。標識がよくない、アスファルトではなくセメントなのでタイヤがバーストする、牛が急に出てくるなどいろいろと原因があるようだ。
     
    うとうとしていると、急に明るくて広い場所に着いた。時間を見ると22時前。夜食タイムのようだ。ここはどこ?と、寝ぼけ眼の私はキョロキョロしてしまった。
     
    ここは「115マイル」と呼ばれているサービスエリアだったのだ。それにしても、広いしきれいな建物がずらーーと並んでいる。そこに何十台ものバスが停車している。ここがミャンマーなんて信じられない。ちょっと前のマンダレー行きのバスが夕食をとっていた場所なんて、「ALWAYS 三丁目の夕日」の世界だったのに。これじゃ、日本のサービスエリアよりも立派だと、感激してしまった。
     
    とりあえず、バスが止まった前にあるしゃれたレストランに入りシャンカウスエ(シャンヌードル)を食べた。
     
     115マイル サービスエリアのレストラン
     
    115マイルにいるとどこにいるか分からなくなるが、やはりミャンマー、僧侶がいた。午後は食事禁止の僧侶、みんなの食事風景を眺めているだけだ。
     
     115マイル サービスエリア。僧侶は午後は食事禁止。
     
    40分ほど115マイルに滞在し、バスは出発。どこでも寝ることができる私はすぐに寝てしまった。物音に気がつくと、もうマンダレーに着いた。時間は3時過ぎ。マンダレー在住のガイドは5時頃にバスターミナルに来ると言っていたので、ここでしばらく時間をつぶすことになった。
     
    マンダレーのバスターミナルはいつもの薄汚れたミャンマースタイル。安心した私たちは、薄汚れたラペッイエサイン(喫茶店)でボーと時間を過ごした。というわけにはいかなかった。友人に頼まれていたレストラン用の日本語ロゴ作成が終わってなかったのだ。ノートパソコンで私一人苦闘していた。
     
    朝5時になり、ガイドのウェミンさんが到着。マンダレー在住の彼は辺境地が得意分野で、チン州で植物調査のガイドをしたり、東南アジア最高峰のカカポラジのベースキャンプにも行ったことのある人だ。ナガは初めてらしく、彼もナガに行けるのが嬉しいようだ。
     
    ミャンマーでは外国人が立ち入るのに許可が必要な地域がまだたくさんある。特に辺境地は多い。入域許可はミャンマーの旅行会社を通じて申請する。許可の条件としてはライセンスガイドを連れていかなければいけない。ということで、辺境地に行くにはけっこう金がかかる。
     
    早朝のマンダレー、車はすぐに空港に着いた。マンダレー空港は私は12年ぶりだ。イタリアの会社の設計による近代的なマンダレー空港、以前は客が少なくて空港ビルのほとんどの部分は使われてなかったが、今はやっと日の目を見ることができるようになった。
     
    マンダレー空港 
     
    出発ゲートの待合室でカムティー行きの飛行機をしばし待っていると、小さな少年が待合室を走り回っていた。声をかけると、愛嬌たっぷりにカメラを覗きこんだ。
     
     マンダレー空港にいた愛嬌いっぱいの少年
     
    カムティー行き飛行機は毎週日曜日のみだ。これが欠航になると1週間待たなければいけない。カムティーには船でも行ける。モンユワからボートでチンドウィン川を遡る。モンユワからカムティーまで2泊3日ほど。夜の運行は危険なので、船着場で停泊することになる。こうした理由もありボートでは時間がかかる。
     
    飛行機がやってきた。Sun Far Travel と Myanma Airwaysとの共同運航便だ。Sun Far Travel は昔はエアチケット販売会社だったが、今では共同運航便を飛ばすような会社になっていた。
     
     カムティー行き飛行機がマンダレー空港に到着
     
     10時10分に飛行機は離陸。昼食にパンが出てきて、おいしくいただいた。「ミャンマーの昔と今とで何が変わった?」という質問をよく受けるのだが、「パンとケーキがうまくなった」と最近は答えている。今のパンやケーキがそれほどおいしいということではないのだが、普通に食べられるようになった。それほど昔のミャンマーのパンはまずかった。
     
    カムティー行き飛行機の機内食
     
    私はパンを食べた後、どこでも寝ることができる私はすぐにまたウトウトした。しばらくして目が覚めると、眼下にチンドウィン川が近づいてきていた。もうすぐカムティーに到着するのか、飛行機はどんどん高度を下げていった。
     
    チンドウィン川
  • ナガは私にとって4回目、懐かしい場所に戻ってきたという気分だ。今回は、ラヘーとその周辺への村めぐりをしてきた。前回のレイシからの村めぐりでは全て徒歩だったが、今回はバイクの後ろに乗っての村めぐり。8年間の間にナガも変わってきていた。

    これまで私がナガに行ったときの写真はこちらのサイトにまとめている。祭りのときのナガの人たちの姿はとても東南アジアとは思えない格好だ。

    http://photo.campur.com/photo/myanmar.html

    ナガはインド側とミャンマー側に分かれていて、インド側は分離独立運動が盛んなナガランド州として有名だ。ミャンマー側のナガは南部、中央部、北部に大きく分けられ、それぞれ中心になる町(村?)は南部のレイシ(Layshi)、中央部のラヘー(Lahe)、北部のナンユン(Nanyun)となっている。レイシには2006年に行ってきたので今回は中央部のラヘーに行くことにした。

    ラヘー行きにはヤンゴン在住の清岡さんとミャンマーと日本を行ったり来たりの渡辺さんが加わり、全部で3人になった。それにガイドも含めて4名のメンバーだ。

    ナガに行くには入域許可が必要だ。入域許可はミャンマーの旅行会社に依頼する必要がある。それと、ガイドを付けるのが条件となる。以前は新年祭以外でナガに入るのは難しかったが、最近は比較的簡単に入域許可が取れるようになった。それでも費用はそれなりにかかるので、新年祭以外でナガに行く外国人は少ない。今回はラヘー中心に村めぐりをしたが、ラヘーから奥の村に日本人が入るのは何と戦後初めてのことだった。

    今回のナガの旅の日程だ。

    4/5 ヤンゴン → マンダレー (夜行バス)
    4/6 マンダレー → カムティー (飛行機)
    4/7 カムティー → シンディー (ボート)
    シンディー → ラヘー (トラック)
    4/8 ラヘー → マッチャン村 → サントン村 → ラヘー (バイク)
    4/9 ラヘー → ポンニョン村 (バイク)
    4/10 ポンニョン → ソロ村 (バイク)
    4/11 ソロ村 → ラヘー (バイク)
    ラヘー → シンディー (トラック)
    シンディー → カムティー (ボート)
    4/13 カムティー → マンダレー → ヤンゴン (飛行機)

    今日はまず、カムティーやラヘーで購入したものを公開する。

    ナガで買ったもの

    カムティー、ラヘーで買ったもの。

    • カムティーの竹製品の店で帽子を購入。なかなか渋くてかっこいい。実は最初に買ったものをなくしてこれは2つ目。2,000Ks
    • 帽子の右側が同じ店で購入したミニほうき。ヤンゴンでは最近こういう手作り日用品を売る店が少なくなった。500Ks?
    • 白いモチのようなのは麹。カムティーの市場で購入。ナガの酒、カウンイエはこれから作る。1個200Ks
    • 麹の上にある薄茶色のものも麹。こちらのほうが甘くなるらしい。1袋200Ks
    • 麹に左側にあるのが中国人が買い付けに来ている、タウンロンッテ(山をひとつ超えるの意)。中国語がちょっと分かる人が「水山七」ではと言っていた。朝鮮人参と同じように強壮剤になるそうだ。160gで9,000Ks。
    • 白い麹の下にあるのが鹿の干し肉、サッタチャウ。臭みがなくほどよいスモークの香りで、メチャウマ。1束1,500Ks。
    • GrandRoyalの瓶に入っているのはカムティーの市場で購入した蜂蜜。1瓶2,500Ks
    • 一番右にあるのが、ラヘーで購入した歯ブラシ。タイ製で500Ks。

    鹿肉、もっと買っときゃよかった。ミャンマー人におみやげであげたら残ったのはわずか4束。ヤンゴンでも干し鹿肉を売っているがナガの干し鹿肉とは全く別もの。ヤンゴンのものはカリカリに干したもので風味はなくなっているが、ナガのものは柔らかくて生干し状態。臭みはほとんどなく、肉の旨味とスモークの香りがマッチして、食べだすと止まらない。猟師たちが「鹿肉が一番うまい」というのも納得だ。

    干しシカ肉

    シカのスモーク干し肉。メチャウマ。

    現地で買ったものが他にもあった。

    ナガで買ったもの2

    カムティー、ラヘーで買ったもの、その2

    • 中国製のヘッドライト。ライトはまあまあだが、ベルトの部分がすぐに外れるのでいつも手で持っていた。3,000Ks
    • ざる蕎麦用に買った竹ざる。こうした簡単な手作り品もヤンゴンでは見つけにくくなった。500Ks?
    • ざるの中にあるのが、可愛らしい模様の豆、ピッタインダウン(ミャンマーのダルマの名)。まるで、チョコレートをコーティングしたお菓子のよう。2カップで600Ks
    カムティーで買った豆

    カムティーで買った豆。チョコレートコーティングのお菓子のよう。

    この豆をヤンゴンの何人かに聞いてみたが、みな知らない。これは珍しい豆かと思い、ネットで調べてみると「パンダ豆」というのにそっくりで、ちょっとがっかり。試しに一晩水につけた後に茹でてみると、チョコレートコーティングが水に溶け出し全身薄茶色の煮豆になって、またがっかり。でも、パンダ豆は煮豆でも模様が消えないはずだ。新種パンダ?

  • ジョービンガウッ(Gyobingauk)からバイクでバゴーヨーマ(バゴー山地)へ入っていった。

     3月30日の家計簿(為替レート 1円=9.387チャット)

    1. バゴー山地ツアー代 90,000Ks *ジョービンガウッ, バゴー山地での全ての費用
    2. 長距離バス(ジョービンガウッ → ヤンゴン) 4,000Ks
    3. お土産 4つ(マラインゲという牛乳から作ったピィー名物のお菓子) 4,000Ks
    4. タクシー (バスターミナルから帰宅) 2,000Ks

     合計 100,000Ks(10,653円)

    今回バゴー山地へ向かったのは、福島さんが以前訪れたときに日本兵の遺骨が残っているという話を聞いたからだ。そこで、今回はその現場へ行ってみようということになった。

    朝8時過ぎにジョービンガウッを出発してバゴー山地へ向かった。福島さん夫妻、ガイドのPさん、私の4名がそれぞれバイクの後ろにまたがった。バイクは全て中国製、50万~60万チャットするという。タイから輸入したホンダのバイクは150万チャットだから、約1/3だ。みんなホンダのバイクを買いたいというが、3倍の価格差は大きい。結局、ここで走っているバイクはほとんど中国製だ。ただし、山道を走るバイクの場合はタイヤやホイールはタイ製のパーツと交換する場合が多いという。

    中国製バイク

    地方では中国製バイクが大流行。

     1時間ほど平地を走って行く。周りは刈り取られた後の乾いた水田が続く。茶色だらけの風景に時々オアシスのように緑の木々が見えてくる。そこは村だ。村をいくつか過ぎると道はだんだんと上りになってきた。それとともに、赤土だった道がパウダーのように細かな土に変わってきた。

    バゴー山地へ向かう

    平地では赤土の道がずっと続く。

     運転するのも大変だ。パウダー状の道は轍が深く、バイクが走れるのは道の細い中央部だけ。轍に落ちると、パウダーにハンドルが取られてちゃんと走れない。私が乗ったバイクのドライバーは上手だったので1回しか転ばなかったが、何度も転倒しているバイクもあった。転び方が下手だとかなりの怪我をしてしまう。1台のバイクは我々が休憩中に一人で運転していてパンクしてしまった。その時に転んでしまい膝を怪我してしまった。バイクもホイールがだめになってしまい現地で修理することになった。バイクが1台足りなくなったが、それも現地調達した。

    バゴー山地を走る

    途中、ちょっとトラックの荷台に乗った。バイクだと頭の先から足の先まで土埃。

     途中休み休み走ってバイクが行ける最後の場所に到着した。時間は1時半、ここからは徒歩20分ほどで目的地だ。一番暑い時間だが、しょうがない。カレン族のドライバーを先頭に歩き始めた。彼は近くの村に住む40才のイケメンで、このあたりの地理には詳しい。

    バゴー山地のゾウ

    途中、ゾウとも出会った。

     途中、ゾウにも出会いながら現地に着いた。そこは何の変哲もない斜面。このあたりで日本兵二人が死亡したという。ただ、この「あたり」ということで、はっきりとした場所は分からない。遺骨や遺品についても詳しく探せば出てくるのではということだが、詳しく探すには何日もかかってしまう。遺骨や遺品についてはあきらめた。

    日本兵はバゴー山地のこのあたりで亡くなった

    日本兵2名がこのあたりで亡くなったという。

     カラカラに干からびた斜面に持ってきたミャンマー製の線香をさした。そこにジュースを供え、ミネラルウォーターの水を乾いた斜面にかけた。そして、線香に火をつけて祈った。気温44度だった。

    バゴー山地で命を落とした日本兵と地元ミャンマー人のために祈った

    ここで亡くなった日本兵と地元ミャンマー人のために祈った。

     案内してくれたカレン族のドライバーに話を聞いた。日本兵二人は、将校と付き添いの兵士だった。対日蜂起したビルマ軍との戦いで二人は負傷してここまで逃げてきた。輜重が任務だったのか、運搬の手伝いとして地元のミャンマー人6人を引き連れての敗走だった。そして運搬任務も終わることとなった。6人は一箇所に集められた。そして彼らが受けたのは謝礼ではなく銃弾だった。その後、日本兵二人はこの斜面に死亡した。

     銃弾を受けた6名のミャンマー人のうち一人だけ助かった。だからこんなに詳しく当時の状況が分かっているのだ。敗走時に道案内や運搬を手助けしてくれたミャンマー人を最後に殺したという話は他にもある。以前読んだ じっこくおさむ氏の「ミャンマー物語」という本の中でも、道案内をしてくれたミャンマー人を殺すように上官から命令された作者の話が載っていた。この本では、作者は殺すことができずにこっそりと逃したと書いている。上官もそのことを知っていたが、見てみぬふりをしていたらしい。

     手助けしてくれた地元のミャンマー人をなぜ殺したか。それは情報が漏れるのを恐れたからだ。すぐ背後まで迫っていた英国軍、敵に自分たちの行方が漏れないように殺したのだ。ミャンマー人がかくまってくれたために命が助かった日本兵という話はたくさん聞く。でも、こうして殺されたミャンマー人がいたのも事実だ。

     夜8時頃、すっかり暗くなってジョービンガウッに無事戻った。ヤンゴン行きのバスは一晩中あるという。夜9時半のバスでヤンゴンに向かった。

     バスの一番後ろの座席が空いていた。道路の悪いミャンマーでは後ろの席は振動が多くていやがる人も多いが、ちょうど2座席空いていたのでそこで横になってヤンゴンまでぐっすり寝た。1時半頃、ヤンゴンに到着した。そして、タクシーで U Wisara の団地に着き料金を払おうとした。

    財布がないーーーー!!!

    何とズボンのポケットにも荷物の中にもどこにも財布が見つからない。とりあえず、家の中からお金をもってきてタクシー代を払った。部屋の中で荷物を全開。でも、どこにもない。バスは途中のドライブインで休憩した。そのときにお土産を4,000Ks買った。これが財布を確認した最後だ。ヤンゴンに到着してバスから降りるとき、財布がポケットになかったのが分かったので、リュックに入っているんだろうと思った。となると、なくしたのはドライブインからヤンゴン到着の間だ。となると、バスの中で寝ているうちに財布を落としてしまったか、隣りにいた人にスられたかどちらかしか可能性はなかった。

    深夜2時過ぎだったが、 ネットでバス会社の電話番号を調べて電話してみた。バスのナンバーは? バスの色は? と聞かれたがナンバーはわからないし、色もはっきりとは覚えていない。もう深夜だし、これ以上できることはない。寝ることにした。ちなみに、財布の中にはミャンマー・チャットが5万ちょっと、ドルが110ドルばかり、ミャンマーのカンボーザ銀行のカードとVISAカードが1枚ずつ入っていた。

    ミャンマーでは落し物をしても必ず出てくる。これは私の個人的神話だ。今回もきっと出てくるに違いないと、妙な確信を持って横になった。疲れていたせいか、確信のせいか、あっという間に寝てしまった。

  • 地方に行っていたためアップが3日ばかり遅くなりましたが、家計簿はちゃんと続きます。

     3月29日の家計簿(為替レート 1円=9.394チャット)

    1. タクシー(福島さんの家へ) 4,000Ks *途中忘れ物をしたので引き返す
    2. 長距離バス(ヤンゴン → Gyobingauk) 4,500Ks
    3. 夕食 (バスターミナルでシャンカウスエ) 1,400Ks
    4. バスの中で
      • シューゼー 300Ks
      • ティッシュ 100Ks
    5. 夕食2 (ドライブインでヤギカレー) 2,000Ks

     合計 12,300Ks(1,309円)

    ひさしぶりにヤンゴンを出た。バゴー山地に近いピィー手前の町 Gyobingauk へ向かった。同行者は、福島さん夫妻。ジョービンガウ(Gyobingauk)には、福島さん夫妻の友人であるPさんが住んでいる町だ。

     いつものことであるが、出発からして忘れ物をしてしまった。タクシーに乗ってしばらくしてカメラを部屋に忘れてきたのを思い出したのだ。2,000Ksで交渉成立したタクシーが、途中引き返しで4,000Ksになってしまった。

    ピィー行きのバス

    我々が乗ったピィー行きのバス。乗用車は日本製が圧倒的だが、バスは韓国製もよく見る。

     バスはヤンゴンを18:00に出発し、ジョービンガウがもうすぐだというところで、食事のためバスは停車した。バスターミナルで食べたのはシャンカウスエだけという軽食だったので、このドライブインでも食事をとることにした。福島さんが以前ジョービンガウにバスで行ったときは、ドライブインでバスに置いて行かれそうになったそうだ。その話を聞き、タミンジョー(フライドライス)をやめて、すぐに出てくるミャンマーカレー(ヤギ肉)にした。

    ドライブインの食堂

    ジョービインガウッの直前で夕食タイムとなり、ドライブインでミャンマーカレーを食べた。

     ジョービンガウには22:30ごろ無事到着した。

     バスの中で買ったものをひとつ紹介する。シューゼイだ。キャップを外して鼻の穴に突っ込ん息を吸うと、スッキリ!! 怪しそうだが、本当は怪しくない。ミャンマーでは(タイでも)一般的なもので、メンソレータムの香りで頭と鼻がすっきりする。旅のお供に最適、ガムを食べるのと同じようなものだ。私は東京にいたときも、ミャンマー雑貨屋で時々買っていた。

    旅のお供にシューゼイ

    旅のお供にシューゼイ。頭すっきり鼻スッキリ。

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