• 1日に4〜5杯コーヒーを飲む。ヤンゴンに移住当初は100gで45円程度のコーヒー豆だったが、ここ1年近くは100gで130円ほどのArnandaのコーヒー豆を買っていた。
    ヤンゴン家計簿3月27日 | 国軍記念日 & ミャンマーコーヒー

    これに勝るコーヒーを見つけた。 友人との待ち合わせで訪れたサボイホテル隣の Coffee Circles、ここ最近増えた洒落た雰囲気のカフェだ。エスプレッソ(たしか2,000チャット前後)がなかなかの味だったので、豆がほしくなった。ウェイターに聞くと、店内ではなく隣りのオフィスで売っているという。友人が来るまで時間があったので、早速オフィスを訪れた。

    Coffe Circles の店内。夜は雰囲気のある薄暗い照明。

    Coffe Circles の店内。夜は雰囲気のある薄暗い照明。

    オフィスの隣りには展示室がり、エスプレッソマシンやコーヒー器具を売っていた。出てきたのはまだ若いオーナー。試飲させてくれるというので、深煎りのミャンマーコーヒーを所望した。出てきたコーヒーを一口、うまい! 今までヤンゴンで飲んだコーヒーで一番のコーヒーだった。チョコレート風味のかすかな甘さを感じさせる深いコクだが後味はすっきり。おお、これだ! すっかり気に入った。

    Coffee Circle 展示室。オーナー氏に試飲コーヒーを淹れてもらった。

    Coffee Circle 展示室。オーナー氏に試飲コーヒーをいただいた。

    コーヒーを飲みながら店内の写真を撮っていると、ラテアートのカプチーノを出してくれた。その写真を撮っていると、ラテアートにいまいち満足できなかったようで、2杯目アートが出てきた。そして3杯目、4杯目も。かなりの凝り性のオーナー、コーヒーはタイで修行し、2年前ここに Coffee Circleを出した。

    ラテアートに集中するオーナー。

    ラテアートに集中するオーナー。

    4杯目のラテアート

    4杯目のラテアート

    そうそう、ここにはコーヒー豆を買いに来たんだった。世界各地のコーヒー豆があるそうだが、やはりミャンマーコーヒーを買うことにした。使用している豆はピンウールィンやタウンジー産が多いが、決まってはないという。ミャンマーではコーヒー豆の生産が安定していないので、その都度一番いい豆を仕入れるそうだ。値段は200gで7,000チャット(740円)と、日本でちょっといい豆を買うのと同じ程度。ヤンゴンでは安い店で1ポンド2,000チャットだったので、値段差は8倍近い。小心者の私は7,000チャットという金額にちょっと躊躇したが、200g を2袋買った。

    200gで7,000チャットのミャンマーコーヒー

    200gで7,000チャットのミャンマーコーヒー

    かなり選別しているようで、一つ一つの豆が大きくて形が整っている。

    かなり選別しているようで、一つ一つの豆が大きくて形が整っている。

     

  • 朝早く目が覚めた。僧院の板の間に寝袋だったので熟睡はできなかったが、朝早く目覚めるのは気持ちがいい。いや、他の人たちは私のいびきであまり寝られなかったようだが・・・。気持ちがいい朝は、快い便意がもよおしてくる。村のトイレ事情調査も兼ねて、昨日納豆をもらった家のほうへ歩いて行った。

    朝6時のポンニョン村

    朝6時のポンニョン村

    昨日の家を通り越すと家はすぐに途切れ、下りの斜面になった。おお、あった。竹で小さな家。あれこそポンニョンのトイレだ。斜面に数軒ボツンボツンと建っている。なかなか風流な風情だ。そのひとつのドアを開けた。木の床の真ん中に四角い穴が開いている。匂いはほとんどしない。気持よく朝の仕事が終わった。

    斜面に建つトイレ

    斜面に建つトイレ

    トイレのある斜面は気持ちのいい風が吹いていた。鳥の声も聞こえる。正面には山があるが、そこに行くには一度谷まで下りまた登らなければいけない。3時間はかかるだろうか。

    Audio MP3

    鳥の声と虫の羽音(バイノーラル録音)

    トイレの向こうに見える山並み

    トイレの向こうに見える山並み

    次に教会へ向かった。その途中、竹林があった。ナガの竹は日本のとは違い、密集して数十本生えている。そうした密集地が何箇所かある。この竹を見ると、「ああ、ナガに来たんだ」といつも感じる。この竹はタイミンチクと日本では言われているらしい。日本には沖縄を除きほとんどないが、台湾や東南アジアでよく見かける竹だそうだ。

    その広々とした竹林にさっきと同じように風流なトイレがポツンポツンと建っている。いや、これはトイレというより厠と言ったほうがいい。野点でもできそうな雰囲気だ。このポンニョン村、今までのナガの村とはかなり趣きが違う。魑魅魍魎が出てきそうな荒々しさや闇があまり感じられない。山の上の比較的平坦な土地で見晴らしもいいという地理的な理由もあるが、人もオープンで穏やかだ。風流なナガという名前を付けたくなる。

    竹林の中の風流な厠

    竹林の中の風流な厠

    ラヘーから最も遠い「奥地」が一番開(ひら)けていたというのは、2006年に行ったレイシと同じだった。レイシはラヘーの南にある大きな町(村?)で、南部ナガの中心地だ。そこに行ったのが2006年、土橋先生と一緒だった。レイシには、ラヘーと同じようにトラックで入った。レイシから奥の村は当時は歩くしかなかった。片道4日の山道を毎日数時間歩いた。最後に着いたのがインド国境に近いソムラだった。レイシから4日も歩いて行く村だからさぞかし辺境の地だろうと思っていたが、最も大きくて最も開けていたのがソムラだった。

    インドから来たナガの青年

    道路工事のため、インドから来たナガの青年。車はスズキ

    ミャンマー側から見ると最も奥でも、インド側から見ると逆に一番近い。インフラが整っていて「文明化」したインド側のナガ、そこから近いソムラやポンニョンが開けているのは当たり前のことだった。

    メインストリートの両脇に小さな集落が並ぶ

    メインストリートの両脇に小さな集落が並ぶ

    教会に着いた。今まで訪れたナガの村には教会がなかったが、ポンニョン村では一番見晴らしのいい場所に立派な教会があった。中を覗くと牧師が説教をしていた。牧師も信者たちも全て女性たち。男より女のほうが真面目というのは、ナガも同じだった。

    ポンニョン村の教会

    ポンニョン村の教会

    教会に来ていたのはみんな女性

    教会に来ていたのはみんな女性

    教会に来ていたかわいいおばあちゃん

    教会に来ていたかわいいおばあちゃん。顎に刺青がある。

    牧師も女性

    牧師も女性

     

  • 8年ほど前、土橋先生とナガに一緒に行ったとき、

    「ンガーの発音をもう一度」

    と、私のビルマ語の発音にダメ出しされた。数字の5も魚も ンガー なのでビルマ語ではよく出てくる発音だ。ンガー、ンガー、ンガーと反復練習をしながらナガの山道を私は歩いた。ちょっと息が苦しいときのほうが、このンガーの発音はうまくいく。いつもは優しい土橋先生だが、ビルマ語の発音には厳しかった。

    戦後日本人として初めてミャンマーに留学したのが土橋先生だ。それも「ビルマ政府の国費留学生」だ。そんな土橋先生が最近出したのが、「ミャンマー こんなとき何て言う?」というこの語学本だ。この本は他の語学学習書にない特徴がふたつある。

    「ミャンマー こんなとき何て言う?」

    「ミャンマー こんなとき何て言う?」

    ひとつは発音用の文字。一般的には、発音記号, ローマ字, カタカナ などで書いている本が多いが、この本ではできるだけ本物の発音ができるようにカタカナに工夫している。カタカナ版発音記号だ。たとえば、「どこへ行くの?」は、「ベート゜ゥワー:マレ゜ー」だ。この変なカタカナが正確な発音のキモになる。普通のカタカナやローマ字だと正確な発音は表記できないし、一般的な発音記号だと、日本人には親しみにくい。それで生まれたのが、この変なカタカナだ。ちなみに私が苦労したンガーは「ガー:」だ。これで私もちゃんと発音できそうだ。

    もうひとつは、説明が非常に丁寧で本当の授業を受けているかのように感じる。一般的な語学書だと、例文があって解説、例文があって解説・・・・眠くなってしまう。でも、この本だと、例文があって、それにまつわる説明、いや、話が始まる。「おかず」からミャンマー料理の作り方にまで話が広がったり、「遊びに来てください」からミャンマーと日本の比較文化論的な話に広がったりする。本当の授業を受けているようで退屈しない。

    【目次】

    まえがき

    I はじめに
    1 ミャンマ一語って?
    2 基本文字と発音
    3 母音、声調、鼻音について
    4 身近なミャンマ一語

    II あいさつ
    5 最初のことばは?
    6 返事の仕方は?
    7 さようなら
    8 よびかけは?

    III 基本文型
    9 ご飯を召し上がれ
    10 ご飯たべますか?
    11 ご飯を食べないで
    12 おかずのいろいろ
    13 おいしい!
    14 食卓のマナー
    15 もったいない
    16 好きです
    17 飲み物、おやつ

    IV 市場で買い物
    18 楽しい市場歩き
    19 買い物をする

    V 空港で、ホテルで
    20 空港に着きました
    21 ホテルに着いたら
    22 身体の具合が
    23 おみやげを買う

    VI より深く知るために
    24 お祭り好き
    25 相手への気づかい
    26 慶弔のことば
    27 便利なことわざ
    28 祈念のことば
    29 ミャンマーの古い詩

    【附録1】おもな助詞一覧表
    【附録2】おもな助動調一覧表
    【附録3】方角・序数調・曜日など
    【附録4】こんな言葉も(単語集補足)
    【附録5】ミャンマ一語単語集

    「III 基本文型」の例文は全て食べ物に関するもの。やはり、何でも基本は食べるだ。これなら興味を失わずに基本文型を身につけることができる。その上、読み終わったらミャンマー料理を作れるようになる。

    私が気に入ったのが、【附録1,2】の助詞と助動詞の説明だ。ビルマ語と日本語は文法が似ていて、日本語の助詞や助動詞にあたるものがある。これを理解すると自分でいろんなビルマ語の言い回しがわかるようになる。初心者向けの語学書では助詞、助動詞を解説している本はあまりないので、これは貴重だ。

    ということで、お勧めのビルマ語学習書が増えた。他に私が持っている本の中で他にお勧めの語学本は、「エクスプレス ビルマ語」「現代ビルマ語入門」「旅の指さし会話帳 ミャンマー」だ。ただし、現代ビルマ語入門は絶版。ビルマ語関係の語学本も辞書もいろいろと持っているが、私のビルマ語はなかなか上達しない。

    ところで、この本の中にミャンマーの写真がたくさん載っている。実はこれらの写真は私の写真だ。モノクロで小さな写真だが、ミャンマーの雰囲気が多少でも感じてもらえればと思う。

    もちろん、私の写真があってもなくてもこの本はお勧めです。

  • マハーバンドゥーラ公園の横を歩いていると、見慣れないものが目に入った。公園の前の歩道に手作りテントが数十メートル並んでいた。マハーバンドゥーラ公園はヤンゴンの中心スーレーパゴダのすぐ脇だ。東京でいうと、日比谷公園だ。テントの前には赤い看板がいくつも掲げられていた。

    マハーバンドゥーラ公園の前の抗議テント

    マハーバンドゥーラ公園の前の抗議テント

    その中に英語の看板があった。

    「我々は昔からティンガンジュンに住んでいたが、1991年に軍によって追い出されてしまった。我々の土地を返せ!」

    といった内容だ。軍政時代には強制立ち退きはよく聞いた話だ。当時、軍政には誰も逆らえなかった。突然住んでいた場所から立退きを命じられ、代替地(多くは元の場所より条件が悪かった)に強制移住させられたのだ。

    抗議の立て看板

    抗議の立て看板

    抗議活動(ただ座っているだけのようだったが)をしている人に話を聞くと、

    「祖父の代からティンガンジュンの土地に住んでいたんだ。でも、今じゃみんないろんな場所にバラバラに住んでいる。オレたちの土地を返してほしい」

    私には興味深い話だったが、抗議テントの前を歩いている通行人は誰も興味を示さない。写真を撮っている私のほうが珍しいようで、こちらをチラチラ見ていた。

    抗議テントの中で過ごす人たち

    抗議テントの中で過ごす人たち

    アパートに戻って写真をプリントして近所の人たちに見せた。このティンガンジュンの土地の問題はみんな知っていた。ジャーナル(タブロイド紙)にも出ていたという。近所の人たちは同情するのかと思っていたが、全然違った。抗議活動をしている彼らに批判的なのだ。元々、ティンガンジュンの土地は彼らの土地ではなかったのだ。要は、政府の土地に不法占拠で勝手に家を建てたが、それを政府に咎められて追い出されたらしい。それで誰も同情しなのだ。それに民主化以降、こういう話がたくさん出てきたという。最初のうちは同情を集めたが、あまりにも多くなりすぎてこの土地を巡る話題にうんざりしているのだ。

    最近、土地争議が増えたのに民主化以外にもう一つ理由がある。土地の値上がりだ。ヤンゴン中心部の土地の価格は東京とあまり変わらなくなってきた。私が住んでいる築40年のアパートの部屋も、2年くらい前までは200〜300万円で売り買いしていたのが今では1,000万円を超えている。マハーバンドゥーラ公園の近くにある、サクラタワーのオフィスの賃料は東京の一等地にあるビルの賃料と変わらない。彼らが追い出された土地も昔は二束三文だったが、今ではかなりの金額になっているのだ。

    ヤンゴンで一番賃料の高いサクラタワー

    ヤンゴンで一番賃料の高いサクラタワー

    また、軍政時代に強制移転させられた人の中には、今ごろになって政府から土地を一部返還してもらった人もいるらしい。元々その土地を所有していた人たちだ。さらに、政府の土地を不法占拠した人たちの中には、場所によっては最近居住権を認められた人たちもいる。

    そんなこんなで、ヤンゴンの土地を巡る争いは「かわいそうな人たち」だけで済むような話ではなくなっている。

  • 午後2時過ぎ、ポンニョン村に到着。

    おっ、今までと違うぞ。大人たちが出払って静かなのは同じだったが、村が明るくて広い。実際、ポンニョン村には160軒ばかりの家で人口は800~900人なので、このあたりではかなり大きな村だ。バイクは村の中を進み、中央の広場に着いた。なんだ、あれは?

    ショベルカーが並んだポンニョン村

    ショベルカーが並んだポンニョン村

    黄色が鮮やかなショベルカー4台が広場に並んでいた。ポンニョン村に来る途中見かけたショベルカーと同じものだ。外国人がまだ入ったことのないという、ラヘーから一番奥の村に来たらそこには黄色いショベルカーがあった。アームの部分にJCBと大きく書かれていたが、もちろん日本のJCBとは全く関係がない。イギリスのメーカーで建設機械では世界第3位だ。この黄色を「JCBイエロー」というらしい。

    インド側から来た、「JCBイエロー」のショベルカー

    インド側から来た、「JCBイエロー」のショベルカー

    早速、村の中を歩いているとトタン屋根の家から声がかかった。ナガの村ではトタン屋根は金持ちの象徴でもある。中には男性二人と子どもを抱えた若いお母さんがいた。彼らはみんなビルマ語が話せた。

    「はい、お茶」

    といって出てきたのが、ミャンマーでいつも出てくるイエヌエジャンではなく、紅茶だった。ミャンマーでは烏龍茶に似たイエヌエジャンが最も普通のお茶で、他にはとても甘いミルクティーか、とても甘いインスタントコーヒーが普通だ。それが、このポンニョン村で出てきたのが、何も入ってないブラックティーだ。ミャンマーでは初めての経験、なかなか美味だ。男性の一人は村の牧師で、もう一人はトランシーバーで盛んに連絡を取っていた。

    トランシーバーで工事現場と連絡をとる

    トランシーバーで工事現場と連絡をとる

    早速、ショベルカーについて聞いた。ショベルカーはインドの土木会社が持ってきたもので、この村に土木会社のインド人たちも寝泊まりしているという。この会社はインドからラヘーへと繋がる道路建設を行っている。村に来る途中、川で工事をしていたのもこの会社がやっている工事だった。ポンニョン村からもかなりの人たちが工事に出ている。日当は1日200ルピーだ。そう、チャットではなくルピーだ。国境の村ポンニョンではルピーも普通に流通しているのだ。200ルピーというと340円ほど、現金収入が限られているナガではけっこういい収入だ。

    ブルドーザーで遊ぶ子どもたち

    ブルドーザーで遊ぶ子どもたち

    ここの家は村の中で道路建設についての世話役のようなことをやっているらしい。まだ若いお母さん、私が興味深そうに囲炉裏の上に置いてあった納豆の匂いを嗅いでいると、

    「それあげる」

    と、手作り納豆をくれた。

    ナガの手作り納豆

    ナガの手作り納豆。日本の納豆よりずっと納豆臭い

    納豆をくれたポンニョン村の若いお母さん

    納豆をくれたポンニョン村の若いお母さん

    空が薄暗くなってきたころ、広場から歓声が聞こえてきた。JCBイエローが次々と帰ってきた。ショベルカーのバスケットの中に若者が何人も座り、はしゃいでいる。子どもたちもあつまり、祭りのように賑やかになった。

    工事現場から若者たちが戻ってきた

    工事現場から若者たちが戻ってきた

    インド側工事関係者

    インド側工事関係者。左端はネパール人だがこの工事の責任者

    村の子ども

    村の子ども

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