• 9時半、バイクの用意も整った。清岡さん、渡辺さん、ウェミンさん、私と、それぞれ4名がバイクの後ろにまたがり出発した。出発したとたん、小雨が降ってきた。もや(いや、雲の中か)がかかり、前方は薄ぼんやりとしか見えない。それを4台はバオバオ、バオーンと軽快に音を響かせ走って行く。スピードメーターが壊れていて確認できなかったが、時速40Kmは出ているだろう。舗装はしてなかったが、平坦ですべり止めを施している道は、走りやすそうな道だ。つい最近できたらしい。

    行くぜ!

    行くぜ!

    もやの中からたまに対向車が現れる

    もやの中からたまに対向車が現れる

    1時間弱走って、マッチャン村に到着した。バイクなので、あっけないほど近かった。徒歩だと半日から1日くらいはかかっていただろう。

    ここがマッチャン村

    ここがマッチャン村

    おばあちゃん、裸足

    おばあちゃん、裸足

    まず、オヤジ達がいた家を訪問。4人で朝から酒を飲んでいた。日本の酒飲みオヤジと一緒で、ろれつが回らなくなっているオヤジもいた。ただ、ろれつがまわったとしても、言葉が通じないので会話はできなかったが。ナガにはいろんな部族がいて部族が違うと全然言葉も通じない。ガイドはビルマ族なので言葉が通じない。ドライバーに一人ナガの若者がいたが、部族が違うということでやはり通じない。結局、お互いワーワーと自分たちの言葉で言い合っているだけだった。

    酔っぱらい四人衆

    酔っぱらい四人衆

    部屋の中を見ると、テインセイン大統領のポスターが飾られていた。ナガでは村々にテインセイン大統領のポスターやカレンダーが大量に配られたらしい。というのを、ドライバーから聞いた。ビルマ語が読めないナガの人は、テインセイン大統領を新しい映画スターと思っているかもしれない。いや、映画を見たことがないだろうから、ちょっと違うか。

    家の中にテインセイン大統領のポスター

    家の中にテインセイン大統領のポスター。動物の頭蓋骨の上だから一等地?

    こちらは、スーチーさんのポスター。

    こちらは、スーチーさんのポスター。

    男たち4名は酒を飲んでいるだけだったが、家の入り口では娘(だと思う)が一人黙々と米の脱穀をやっていた。昔ながらの杵と臼での作業だ。

    杵と臼で米を脱穀する

    杵と臼で米を脱穀する

    飲兵衛屋敷を出て外を散策した。子どもたちが遠巻きにしてこちらを見ている。ビルマ語(ミャンマー語)で話しかけるが、全然通じない。この村には学校がないんだろうか。学校があれば多少のビルマ語が通じるのだが。それにしても、子どもたちだけで、大人を見かけない。さっきの家にいたぐらいだ。農作業にでも出かけているのだろうか。雨季の始まる前なので畑仕事が忙しいのかもしれない。

    ナガ独特の家

    ナガ独特の家

    子どもたちが集まってきた

    子どもたちが集まってきた

    ナガの子どもは願力が強い

    ナガの子どもは眼力が強い

    何を思っているのだろう

    何を思っているのだろう。

     言葉が通じないということは、学校がないのか。それに、ここには教会もないようだ。キリスト教が入ってないからオヤジ達も堂々と朝から酒を飲んでいるんだろう。そう、なぜかナガのキリスト教(バプティストが多い)では飲酒を禁止しているのだ。キリスト教が強い村では男たちも酒をあまり飲まない。ビルマ語が通じなくて酒を堂々と飲んでいるということはナガの文化がたくさん残っている村だ。

    鉄を溶かすための、ふいご。村の加治屋だ。

    鉄を溶かすための、ふいご。村の加治屋だ。

    学校も教会もないが、ソーラーパネルがあった。

    学校も教会もないが、ソーラーパネルがあった。

    文化が残っているのはいいが、何も話ができないとあまりやることもない。ということで、次の村に向かうことにした。

     

  • 15時半、ラヘーに到着した。トラックは食堂の横に止まった。シンディから6時間だった。

    ラヘーの食堂と乗ってきたトラック。写真は翌朝。

    ラヘーの食堂と乗ってきたトラック。写真は翌朝。

    ラヘーでは、教員を定年退職したライノン・ナガ族のヤムカさんがバイクの準備やら宿泊の用意やらいろいろとアテンドしてくれていた。ヤムカさんとiPadに入れたナガの地図を見ながら食堂で打ち合わせ。あらかじめ旅行会社のほうで村毎の入域許可はもらっていたのだが、ヤムカさんと話をしているうちにそれ以外の村にも行きたくなった。「まだ外国人が行ったことがない」という言葉に弱いのだ。

    結局、3箇所ばかり追加で許可がもらえるかどうかヤムカさんに依頼することにした。とりあえず、翌日の村めぐりは予定通りの村へ行くことにした。

    ところで、ヤムカさんのことをライノン・ナガ族と書いたが、ミャンマー文字だとラインノウンという表記だ。ローマ字表記だと、Lainong, Leinong, Lainaung などがある。耳にはライノーとも聞こえるが、ライノンが一番近いようだ。少数民族の固有名詞をカタカナで書くのは難しい。

    ラヘーで一番賑やかな交差点にある、NLDの事務所と雑貨屋

    ラヘーで一番賑やかな交差点にある、NLDの事務所と雑貨屋

    今日の宿は学校の教室。4月はずっと休みなので教室を宿として使えるのだ。学校に近づくと鼓笛隊の音が聞こえてきた。うん? ナガで鼓笛隊? 中高生くらいの生徒たち17人で演奏しながら行進していた。これは我々の歓迎式? なんてことはない。3日後にミャンマーの有名な僧侶がラヘーに来るので、その歓迎式典のための練習だった。

    学校で練習中の鼓笛隊

    学校で練習中の鼓笛隊

    でも、お坊さんの歓迎式で音楽? ミャンマーの仏教では僧侶が歌舞音曲を楽しむのは禁止されている。水島上等兵は僧侶の姿で竪琴を奏でたが、本来ミャンマーではありえないことだ。それなのに鼓笛隊の演奏はいいのだろうか。

    たぶん、ナガだからいいのだろう。2002年にナガ新年祭でラヘーに来たとき、僧院から大きな音でビルマ語で歌うロック・ミュージックが流れていた。あのキャロル・キングが作曲したロコモーションだ。70年代には、グランド・ファンク・レイルロードが演奏したハードロックバージョンもある。そんなギンギンの歌が僧院から大音量で流れていた。

    ナガではキリスト教か土着の精霊信仰が強い。大きな村や早くから開けていた村には教会があり、キリスト教徒が多い。地域によってはキリスト教も入ってこず、今でも多くの人たちが精霊信仰を信じている。最近は政府が率先してナガの村に僧院を建てて僧侶を送り込んでいるが、まだ仏教徒は非常に少ない。僧院があっても、信者が1, 2家族だけだという村もある。こういう状況だと、歌舞音曲禁止など言っている場合じゃない。教会の賛美歌に対抗するための、ロコモーションと鼓笛隊なんだろう。

    鼓笛隊の音を聞きながら、宿である教室に着いた。そこには木製の簡易ベットが4台並んでいた。毛布2枚を貸してもらって今日のベッドが出来上がりだ。クッションが全然ないので上向きに寝ると痔が痛むがしょうがない。

    宿にあてがわれた学校の教室

    宿にあてがわれた学校の教室

    この学校には50才前後の先生が一人いた。奥さんと子どもをモンユワに残して一人で宿舎に住んでいる。もう一人先生がいたのだが、その先生は任期が終わって帰ったそうだ。人の良さそうな先生、食事から洗濯から掃除から全部一人でやっていた。でも、あと数日後には学校の休みで奥さんの元で過ごすことができるということで、嬉しそうだった。

    ここラヘーでは電気が来るのは夕方から夜の9時頃まで。携帯はCDMAのみ。私が持っているGSMは全く入らない。これで、やっとネットや電話から離れた生活ができる。夜は何もすることがないので9時にはベッドに入った。真っ暗の夜、雨音がしてきたがすぐに寝てしまった。同室のみんなは私のいびきで寝られなかったかもしれないが。

    翌日、6時起床。朝モヤがかかって今にも雨が降りそうな天気だった。4月なのでナガの山でもそれほど寒くはない。日本の4~5月ごろの気温だ。

    トタン屋根になったナガ伝統の家。

    トタン屋根になったナガ伝統の家。

     

    やはり、パゴダもある

    やはり、パゴダもある

    ラヘー一番のめ絵抜き通り。右に行くとシンディ。左の角は僧院。坂の向こうはインド。

    ラヘー一番の目抜き通り。右に行くとシンディ。左の角は僧院。坂の向こうはインド。

    早朝のラヘー。この坂の先がインド国境へと繋がる。

    この坂の先がインド国境へと繋がる。

    今日は2箇所の村めぐり。村にはバイクで行く。2006年にラヘーの南の村、レイシから村めぐりをしたときは10日ほどずっと歩きだった。そのときと比べると、ずいぶんと楽になったもんだ。インド国境までバイクで1日もかからない。いつもの食堂で朝食をとり、出発を待った。

  • 9時半、トラックは出発した。運転席と助手席の後ろに奥行きが狭いけどシートがある。助手席も入れると全部で4名座れる。そこに我々が乗り、荷台はたくさんの荷物と若干名の乗客が乗った。シンディーとラヘーの間には乗客専用の車というのがない。バスが走れるような道じゃないので、車というと大型トラックがほとんどだ。そこに荷物を積み、乗客も乗り込む。基本は荷物なので、乗客は運転手と交渉次第というようになっている。

    トラックは快調に走る

    トラックは快調に走る

    途中ですれ違ったトラックに乗っていたナガのギャルたち

    途中ですれ違ったトラックに乗っているナガのギャルたち

    この道は私にとっては2回目、前回は2002年だった。そのときは非常に悪い道だと記憶していた。雨季になると至る所で分断されるので、乾季しか走れない道だ。雨季には馬しか通れないといっていた。前回の記憶のままトラックに乗ると、崩れ落ちそうな山道ではなく、ちょっと期待はずれだった。こういうのを期待はずれというのはおかしかもしれないが、「ナガに行くのは大変だ」と、いつまでも思いたい私だった。

    ラヘーへの道はかなり良くなっている

    ラヘーへの道はかなり良くなっている

    立派な吊り橋もある

    立派な吊り橋もある

    道が良くなった理由はすぐに分かった。いたるところで道路工事をやっているのだ。以前は補修工事しかやってなかったのが、今は本格的な道路を作っているのだ。今年の1月にイラワジデルタのミャウンミャに行った時も同じだった。入域許可が必要な奥地の村でも道路を盛んに作っていた。今、ミャンマー中で道路工事をしているんだろう。

    砂利はハンマーで人力生産

    砂利はハンマーで人力生産

    ブルドーザーはしばしば見かける

    ブルドーザーはしばしば見かける

    トラックの運転手は28才のカムティーシャンの若者だ。この道を運転しても6年になるという。一度も事故にあったことはないと言う。たしかに、緩急をつけた走りっぷりはまだ若いのに余裕も感じた。彼はカムティー生まれではなくホマリンから来た。奥さんもカムティーシャンで子どもが二人いる。家族の話をするときはちょっと嬉しそうだった。どおりで、若いのに安全運転第一のわけだ。

    前方に大きめの村が見えてきた。トラックに乗って3時間近くなり、腹も減ってきた時分だ。運転手は木陰に車を止め、昼飯時間となった。ナガのドライブインは簡素な草葺きの小屋だが、表には大きなポスターがかかっていた。あれ?サッカー選手?

    腹が減ってきたころ、前方に村が見えてきた

    腹が減ってきたころ、前方に村が見えてきた

    Chelsea? チェルシー・・・ おお、イングランド・プレミアのチェルシーか。サッカーに疎い私でも、チェルシーの名前は聞いたことがある。ミャンマーではなぜかプレミアリーグが大人気だからだ。あれ? ユニホームがSAMSUNGになっている。スポンサーなのかな。右側には GRAND ROYALと書かれたウィスキーのビンがあるぞ。Grand Royal はミャンマーのウイスキーで、かなり有名なブランドだ。ナガ族は酒飲みが多いが、みんな自宅で作っているので自給自足。最近はウイスキーを飲むようになったんだろうか? サッカーの問題はだいたい片付いたが、新たな疑問が湧いてしまった。

    ナガの村にサッカー選手のポスターが

    ナガの村にサッカー選手のポスターが

    でも、腹が減っていたのでそんな疑問はすぐに忘れ、皿に手が伸びた。豚のカレーにシカの干し肉だ。ミャンマーでは一般的な豚のカレーが出るなんて、シンディ、ラヘー間を通るビルマ族の人たちが増えたんだろう。以前は政府と軍関係者以外はほとんどナガ族だったラヘー、このルートを通る人たちはほとんどナガ族だった。 

    もう一皿はシカの干し肉。これはお勧めだ。私が今まで食べたことのある干し肉で一番うまかったのがこのナガにあるシカの干し肉。干し肉といってもあまり固くない。半生干し肉だ。噛むと上品な肉の味が口に広がり、スモークの香りが鼻孔をくすぐる。臭みは全くない。書いていてまた食べたくなってしまった。でも、自分用のお土産で買った干し肉はとっくの昔になくなってしまった。という、絶品のシカの干し肉、ナガに行く人がいたらぜひ食べてみてほしい。

    昼飯は豚カレーにシカの干し肉

    昼飯は豚カレーにシカの干し肉

     ひさしぶりの鹿肉に満足した昼飯も終わり、またトラックに乗り込んだ。標高も高くなり、ナガらしい風景になってきた。焼き畑を終えたばかりの山もある。急カーブをいくつも曲がり、ラヘーに近づいてきた。 

    焼き終えたばかりの焼き畑

    焼き終えたばかりの焼き畑

    2,000m級の山々が連なる

    2,000m級の山々が連なる

    どこまでも続く山道

    どこまでも続く山道

    一度で曲がれない急カーブもある

    一度で曲がれない急カーブもある

    前方の山腹に大きく広がる村が見えてきた。懐かしきラヘーだ。

    「熱烈歓迎、ラヘー町、標高4213feet」と書かれたラヘーの入り口

    「熱烈歓迎、ラヘー町、標高4213feet」と書かれたラヘーの入り口

     

  • 乾季で穏やかに流れているチンドウィン川をボートはほんの数分で渡った。

    ボートはほんの数分でシンデイに着いた

    ボートはほんの数分でシンデイに着いた

    川岸を上がるとすぐに町の中心だ。広場に大型トラックが2~3台集止まっていたので、ラヘーまで乗れるかどうかガイドのウェミンさんが交渉を始めた。2台目のトラックでOK。荷台に乗ると一人20,000チャットで助手席&シート席だと25,000チャットだ。かなり高いが、外国人料金で決まっているようだ。我々はロートル組なので無理をセず前のシート席に座ることにした。9時半の出発まで2時間ほど時間があったので、シンディの町を散策することにした。

    ラヘーに向かうトラック。荷台ではなく運転席のほうでと一人10,000チャット。

    ラヘーに向かうトラック。荷台ではなく運転席のほうでと一人25,000チャット。

    シンディのメインストリート

    シンディのメインストリート

    シンディはカムティーよりもずっと小さな町だった。町のメインストリートもほんの3~4分で終わる。そのメインストリートの終わりに三叉路があり、真ん中に柵で囲まれた町の名前が描かれた碑があった。シンデ・サンピャー・チェーユワと書かれていた。サンピャー・チェーユワ は「モデル村」という意味になる。何のモデルなのか、現地で聞き忘れてしまった。

    三叉路にシンデ モデル村と書かれた碑があった。

    三叉路にシンデ モデル村と書かれた碑があった。

    シンデは、「象が死ぬ」という意味だ。何でこんな縁起の悪い名前を付けたんだ? 伝説でもあるんだろかと、この時は思った。それに、地元の人の発音はシンデではなく、シンディに聞こえる。まあ、細かいことはいいや、ビルマ語によくある文字と発音が違うパターンなんだろうと思った。

    その三叉路を左に曲がってすぐの家に目が止まった。家の縁側のようなところに少年が変な格好をしている。板に両足を通しているのだ。おお、江戸時代にあったような足枷じゃないか! どうも少年が何か悪さをしでかして、その罰として足枷をさせられてしまったようだ。これはナガ族に残っている風習なんだろうか。これも聞き忘れてしまった。この足枷写真はあるが、少年がかわいそうなので公開は控える。代わりに、ナガ族の若いお母さんと少女の写真をどうぞ。

    ナガ族の若いお母さん

    ナガ族の若いお母さんと子どもたち

    こちらは、ナガ族の姉と妹

    こちらは、ナガ族の姉と妹

    シンディでは外国人はまだ珍しいようで、町、いや村を歩いていると子どもたちが近づいてくる。子どもたちと遊んでいると、一人の老婆がどこからか現れた。

    「珍しいものがあるからちょっと来なさい」

    70才以上だと思える腰の曲がったおばあちゃんだったが、言葉も物腰も強引だった。外国人相手のあやしい土産物売りに捕まったようだ。けど、外国人相手にしてはおばあちゃん英語を話さなかったぞ。まあいい、面白そうなのでちょっと寄ってみることにした。

    捕まった場所からほんの30秒ほどでおばあちゃんの店に着いた。店といってもガランとしていてなにもない。壁にはミャンマーや中国のポスターが貼られていた。棚には薄汚れた人形やらプラスチック製のおもちゃやらライターやら薬のケースやらとても売り物には見えない。見る人が見たら価値のあるものなんだろうか。

    ガラクタに見えるけど骨董品?

    ガラクタに見えるけど骨董品?

    おばあちゃんは一人で奥のほうへ入っていった。そして持ってきたのは木彫の人形。よく見るナガ族のもののようだが、ボロボロで今にも崩れそうだ。あまり興味なさそうな顔をしているので、おばあちゃんは今度はナガの帽子を持ってきた。これもボロボロであまりいい物には見えない。最後に、いつの間にか40代だと思える息子も現れた。「息子が病気で・・・」と、おばあちゃん。結局、顔の形の小さな金属ブローチを渡辺さんが買っただけだった。

    ボロボロになったナガ族の木彫の人形

    ボロボロになったナガ族の木彫の人形

    興味深かったのはナガの骨董品ではなく、おばあちゃん自身だ。なぜ中国人のおばあちゃんがこんなところに住んでいるだ? 店の入り口には、「和合喜神」と描かれた札が貼られていた。これは雲南省あたりの家でよく貼られている札と同じものらしい。今、ネットで調べたばかりだ。

    店先に貼られた「和合喜神」の札

    店先に貼られた「和合喜神」の札

    出発の時間がせまってきた。トラックの乗り場へ戻ることにした。9時半、我々は日産ディーゼルのトラックに乗りラヘーへ向かった。

    ラヘー行きのトラックに乗り込んだ

    ラヘー行きのトラックに乗り込んだ

  • 11:23、飛行機はカムティ空港に到着。マンダレーからの飛行時間は1時間10分、私の睡眠時間は50分、充分寝られた。

    カムティー空港に到着

    カムティー空港に到着

    カムティーはミャンマー北西部、チンドウィン川の東側に面した町だ。チンドウィン川を渡るとすぐにナガ族が住むナガ丘陵が始まる。ナガへの入り口の町だ。


    より大きな地図で カムティー を表示

    カムティーは英字表記だと Khamti または Hkamti と書く。でも、ビルマ文字(ミャンマー文字)をそのまま発音すると カンティーになってしまう。なぜ表記が違うのかというと、カムティというのはシャン語の言葉で、シャン語の発音をビルマ文字では正しく表現できないからだ。ビルマ文字には「kham」の最後の m を表す文字がない。だから、シャン族以外のミャンマー人はみんな「カンティー」と発音している。

    英字だとKhamtiだが、ビルマ語(ミャンマー語)だとカンティーの発音になる。

    カムティー空港。英字だとちゃんとKhamtiの表記。

    このカムティー、シャン語では「カム」が「黄金」で「ティー」が「場所」の意味だ。カムティーは「黄金の地」という意味になる。ここには今でもシャン族の人たちが多い。ミャンマーでは「カムティー・シャン」と呼ばれている民族で、その昔、シャン・雲南地域から来たシャン人たちだ。カムティー・シャンはここカムティーやチンドウィン川流域だけじゃなく、インドのアッサム地域にもいる。12世紀から18世紀にかけてアッサムにあったアホム王国はシャン族の国だった。このカムティーシャンの歴史もいろいろと面白そうだ。

    前振りが長くなった。私にとっては12年ぶりのカムティー空港、相変わらずひなびていていい雰囲気だ。空港からか町まではトウンベイン・サイケーと呼ばれる、バイクとリヤカーを合体した車に乗った。丘の上にある空港からトウンペイン・サイケーは軽快に町へ向かっていった。4月の一番暑い時期であるが、ヤンゴンよりは気持ちのよい暑さだ。

    トウンベイン・サイケーに乗り込んだ。

    トウンベイン・サイケーに乗り込んだ。

    トウンベイン・サイケーの荷台。風が気持ちいい。

    トウンベイン・サイケーの荷台。風が気持ちいい。

    15分ほどでトゥンヤダナーというゲストハウスに到着した。外国人は1泊40ドル。昔ならせいぜい10ドルくらいのゲストハウスだが、ホテル料金の高騰はこんな田舎町までやってきていた。電気は夕方から夜10時頃まで来る。携帯はCDMAはいつでも通じるが、GSMは夜中と早朝だけ可能だという。

    カムティーのゲストハウス。これで外国人は1泊40ドル。高い!

    カムティーのゲストハウス。外国人は1泊40ドル。

    ゲストハウスは町のメインストリートに面していた。すぐ近くの竹細工店で竹編み帽子と竹カゴを購入。その斜め向かいはカムティーで一番大きな市場もある。そのまま真っ直ぐ進むと、チンドウィン川に出た。今は渇水期なのでかなり水位が下がっている。川沿いを進み、教えられたラペッイエサイン(喫茶店)に着いた。

    カムティーのメインストリート

    カムティーのメインストリート。暑季の真っ昼間なので、人通りも少ない。

    ヤンゴンではこうした竹細工の店が最近は絶滅に瀕している。

    ヤンゴンではこうした竹細工の店が最近は絶滅に瀕している。

    真ん中になるのが私が買った帽子。2,000Ks

    真ん中になるのが私が買った帽子。2,000Ks

    市場で働く女性。たぶん、カンティーシャン族。

    市場で働く女性。たぶん、カンティーシャン族。

    趣きのある校舎。4月なので学校は休み。

    趣きのある校舎。4月なので学校は休み。

    渇水期のチンドウィン川

    渇水期のチンドウィン川

    カムティーで人気のラペッイエサイン(喫茶店)

    カムティーで人気のラペッイエサイン(喫茶店)

     この町で最も人気のある(と思う)この店のお勧めはグレープフルーツジュース。グレープフルーツをまるごと搾ったここのジュースはうまい。ミャンマーでは最北部の町、プタオがグレープフルーツで有名だが、ここカムティーでもけっこう売られていた。この近くでも栽培しているだろう。 

    グレープフルーツジュースの写真は後で。 これは、携帯充電サービス

    グレープフルーツジュースの写真は後で。これは、携帯充電サービス

    夜はゲストハウスのすぐ横にある中華料理屋に入った。愛想の悪い太ったおばちゃん二人でやっているこの店、最初はこの店に来たのは失敗だったかと思ってしまった。でも、出てきた料理はどれもうまかった。「うまいね!」とおばちゃんに伝えると、ちょっと恥ずかしそうな笑顔。本当に嬉しそうだった。

    食事中に停電。料理はどれもうまい!

    食事中に停電。料理はどれもうまい!

    翌日、朝早くトウンベイン・サイケーに乗り、チンドウィン川の渡し船の出ているところまで向かった。対岸の町、シンディーからラヘー行きのトラックが出ているからだ。何もないように見える河原だったが、ここが渡し船の発着場。小さなボートに乗り、シンディーへと向かった。 

    渇水期なので、河原が広い。対岸がシンディー。

    渇水期なので、河原が広い。向こう岸がシンディー。

    小さなエンジンボートでシンディーへ向かう。

    小さなエンジンボートでシンディーへ向かう。

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