ナガの旅~その1~ホマリン到着

ミャンマー各地

ナガへの旅はいつも早朝に始まる。朝一のヤンゴンエアウェイズでヤンゴンからマンダレーへ向かう。マンダレーではホマリン行きのUBを待った。昼前に予定よりちょっと遅れてプロペラ機のUBが到着した。

昼過ぎにチンドウィン河沿いの町ホマリンに無事到着。ナワラというゲストハウスに投宿した。私は2階の部屋、同行者のD女史は1階の部屋だ。そう、今回はいつもの一人旅ではなく同行者がいた。女史と書いているように、今回の旅の同行者は何と女性である。Dさんは昭和30年代初頭、大阪外大ビルマ語学科在学中に戦後初めてのビルマ政府国費留学生として、1年間ラングーン大学でビルマ語を学んだ方である。その後、東京外大の教壇にも立ったD先生の教え子には、ビルマ関係の研究者や外務省職員がたくさんいる。この世界でD先生を知らないのはモグリである。と書くと、何だか雲の上の人のようであるが、素顔は気さくな大阪のおばちゃんだ。


夕暮れのホマリン

その大阪のおばちゃんは留学生時代、ヤンゴンでナガの男たちと偶然出会い、そのときからずっとナガにあこがれていたのだ。連邦記念日のためにナガからヤンゴンへはるばるとやってきたナガの男たちと、はるばる日本からやってきた女子学生と出会った。そのときに一緒に撮ったという写真を見せてもらった。山から出てきたばかりだという風情のたくましいナガの男たちと一緒にかわいい女子学生が写っていた。当時のD先生だ。女子学生はナガの人たちと再会できるのを希望していたが、それが許されないまま数十年の時が過ぎたのである。そんなある日、何気なく買った週刊誌をめくっていると、ナガの男たちの写真が目に飛び込んだ。その写真を撮ったのが私だった。そんなこんなで、D先生と私のナガ繋がりができたのだ。その後、D先生は2003年のナガの新年祭を見にナガの地を初めて訪れた。今回の旅では、村巡りということでもっと奥地へ入ることができる。女子大生時代に出会ったナガの男たちの消息が分かるかもしれない。

私はというと、2001年にレイシ、2002年にラヘーと続けてナガの地を踏んだが、それは祭りという特殊な状況である。彼らが実際に住んでいるもっと奥地の村に行き、普段の生活がどんなものかぜひ見てみたかった。新年祭以外では入るのが難しいナガであるが、今回そのチャンスが巡ってきたのである。


ホマリンの船着き場