• 今日、651人の恩赦が発表された。

    ミャンマー:恩赦651人新たに実施 民主化運動指導者も(毎日新聞)

    1988年当時学生の民主化運動リーダーだったミンコーナインや、2004年に失脚した元首相のキンニュンが恩赦の中に含まれている。ヤンゴンの友人にチャットで聞くと、651人の中には他にも有名な政治犯が何人かいるという。これで主だった政治犯はほとんど釈放されたのではと言っていた。

    それともうひとつ、カレン族の反政府軍KNUと停戦協定が結ばれた。1990年代に他の民族軍が停戦協定を結んでもKNUだけはずっと戦ってきた。そのKNUが停戦協定を結んだ。

    ミャンマー、反政府勢力と停戦合意

    1962年のネウィンによる軍事クーデターから数えるとちょうど50年。変わるときには変わるんだ。

    Posted by 後藤 修身 @ 17:31

  • 4 Responses

    • 以前、総選挙の際にコメントをさせて頂いた者です。その節は失礼致
      しました。

      1週間ほど訪緬をして、今日の朝帰国したのですが、13日は私的なパーティに呼ばれて参加していたところ、20時頃にホストを始めとする軍関係の偉いさん方が、手元の貴金属を外しながらそそくさと退席され、何が起こったのかと思っていたら、釈放なったキンニュン詣でと判明した次第でした。

      現地の人には刑務所にはいっていた、と聞いていたのですが、自宅軟禁だったのですね。それにしても、失脚後8年を過ぎてもなお、彼の影響力は大であり、彼に恩義を感じている人は多い事を感じさせる一幕でした。

      1988年の学生運動の指導者だったミンコーナイン氏が恩赦を受けたのも
      当時を知る人としては、かなり民主化の象徴的な意味でのインパクトが
      あったようで、翌朝の雑誌には両氏が1面に大きく乗っていました。

      今回は、ミッチーナのカチン人のマナオ祭の塩梅を見に行ったのですが、
      全く影も形もなく、駅や橋を中心とする厳戒態勢ぶりを見に行った形と
      なりました。中国国境とも近く、地域に存する資源の面からも、カレンに
      続いて、カチンとも実質的な「和解」をする事が、より重要度の高い課題
      として、がっしりと残っている雰囲気を実感しました。

      10日にその辺りの失意を抱えてヤンゴンに戻り、13日の恩赦で驚き、と
      本当に2012年はミャンマー激動の1年になりそうです。

    • t-yamaさん、

      キンニュン詣でがあったんですか。キンニュンが失脚して7年以上たち、もう影響力がないかなと思っていました。曲がりなりにも民主主義へ進みだした今、彼の政治への影響力はどうなんでしょうか。

      カチンとの和解がこれから大きな問題ですね。でも、なぜ今戦いが起こっているのか腑に落ちないところがあります。表に出てこない何かがありそうです。

    • 私はミャンマーにたまに行く旅行者にすぎないので、後藤様のような深慮など働くはずもありませんが、たまたま見聞きした事や、それについて思ったことをコメントしておりますので、あしからずご容赦の程を。

      先週ミッチーナにて、現地の方と話をした中で引っかかったのは、二つ。

      ①11月まで頻発していた爆発事件の大部分は、夜間警護が面倒になった
      国軍が仕組んだもの。言い方の積極さの差はありましたが、ジンポー、緬、印の複数の方が異口同音に言ってました。不信感は相当なものです。
      事実、当時は日没以降に戸外を歩く人は絶無だったとの事。
      ②ミッソンのダム建設中止について、私が話した際に、「でもまだ7つか8つ、このカチンでダムを造る計画は続行中だからね」という回答があり、
      状況はまだまだ予断を許さない、と思っている人が多いようです。

      市場や駅や橋、市街への各方位の主要な出入り口には武装した国軍がしっかり待機していましたし、ミッソンにいく途中の道で、30人ほどの国軍部隊が重火器を含む完全武装で行軍している様子も見かけました。

      大統領が国軍、カチン双方に攻撃をしないように指示、要請をした、と
      聞いていたので、あの様子には違和感を覚えましたが、永年の確執というものは一朝一夕には晴れないものなのかな、と思いつつ見ておりました。

      ビルマとカチンそれぞれを覆っている不信感、これが問題の大部分かと。
      キンニュン氏が少数民族に宥和的な施策を執っていた事は彼らにも知られ
      ていると思われますので、個人的には彼の侠気に期待したいところです。

    • 民族問題というのは難しいですね。
      1ヶ月ほど前に在日のカチン族(ジンポー)の人と話しをしていたときです。若い彼はミャンマー政府や軍を憎んでました。同じカチンに住むラワン族やリス族について私が聞くと、
      「ジンポー族が一番だ。彼らはジンポーになりたがっている」
      という返事。ラワンやリスはジンポーに遠慮しながら生活している(嫌っている人もいる)ということを知らない様子でした。

      ビルマ族と少数民族との関係が、カチンだとジンポー族とその他の民族なんですね。まあ、世界中同じといえば同じか。どこでも、多数派は少数派のことを知らないしあまり関心がないようです。

      ところで、カレンなどは政府軍とずっと戦ってきましたが、カチンは92年に停戦して以来、カレンと比較するとミャンマー軍政と宥和的でした。私が知っている元KIAの人など、「KIAの幹部は軍人ではなくビジネスマンになった」などと言ってました。それが今はカレンが停戦協定を結びカチンが戦い始めた。今ひとつ理由がわかりません。何か表に出てこない理由があるのかも。

      その昔、国鉄が民営化するときにそれまで強硬的だった動労が民営化に賛成し、穏健的だった国労が最後まで反対闘争を続けたというのがありました。もしかして、カレンが動労でカチンが国労?

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